異界【このせかいと、このせかいではないせかいと】
――【世界】というものは、何事もなく最初からそこに存在していたというわけではなかった――。
そこには、もともと何も無かった。空間という概念も、時間という概念も、総て――まったく何も、存在などしていなかった。
だが、やがて――その、はじまりの【無】に変化をもたらす存在が現れた。それが何であったのかは、今となっても不明らない。ただ、ひとつ確実に言えるのは――それはだいぶ後になって、人間達により世界と生命とを創り出した存在と同一視され、【神】と呼ばれるようになる――ということだけ。
【神】は、最初に一本の線を引いた。
【無】が【有】となった瞬間だった。
途切れなく終わりのないその線は、まず【断ち切られ】て複数となった。そして、さらにまた【断ち切られ】て、そのまたさらに【断ち切られ】て――を繰り返していくことにより、次々と増えていき――そこで、【数】と【広がり】の概念が生まれた。
次に、それらの線は【曲げられ】た。ある線は上へと、またある線は左へと、下へと、右へと――それぞれがまったくバラバラの向きへと【曲げられ】ていき――そこで、【方向】の概念が生まれた。
最後に――、【断ち切られ】ることによって増え、【曲げられ】ることによってバラバラの方向を向いていた線と線とが――【繋げられ】た。無秩序だった線同士が組み合わさることによって、そこで初めて【形状】というものが創り出され、その変化こそが【時間】として動き出し――、やがてそれら【概念】の中に【因果】が紡ぎ出されるようになっていった。
その【形状】は――、まず宇宙という枠組みとなり、その中の星となり、海として満ち、大地として隆起し――、そこに生命と物として生み出されていき――。
――そして【世界】が出来上がった――。
だが、そのようにして創られた【世界】は、ひとつだけではなかった。
何故なら、【神】は【世界】を、ふたつ同時に創っていたから。
その内のひとつは、この世界。
もうひとつは、この世界と似ていながら、しかし少し異なる世界。
このふたつの世界は隣り合いながらも、しかし決して交わることも繋がることも干渉することもなく、お互いの存在を知らぬまま、抑止の壁に隔てられたまま――、こうして現在に至っている。
だが――、【神】はそこから更に、もうひとつ【世界】を創っていた。
――それが、第3異界――。
この世界とも、隣の世界とも異なる――【神】が最後に創ったとされる世界。
だが、そこは――我々の世界とは本質的に異なっていた。
――それは、本来あるべきものが存在していない世界――。
第3異界には、宇宙も、星も、そして当然のように海も大地も、その必然として生命も物質に至るまで――まったく、存在してはいなかった。
最後に創られてしまったがゆえか、【カタチ】という概念すら紡ぎ出される以前の、まるで創りかけであるかのような、不完全な世界。
そこにあったのは、ただただ【本来あるべきカタチ】であろうとする【本能】のみだった。
やがて――第3異界の【本能】は、己が世界の中にいるだけでは絶対に【本来あるべきカタチ】へは至ることができぬと悟った。世界を創りし【神】は立ち去ったのか、はたまた消滅してしまったのか、既に第3異界の何処にも居らず、ただ【神が世界を創りしときに使ったとされる概念の能力、神器】だけが残されているだけだった――。
断ち切りの概念――神秘斬滅。
捻じ曲げの概念――奇跡屈折。
繋げ合いの概念――夢幻拘束。
第3異界の【本能】は、世界を創りし神が残したこれら神器の能力を、強引にも使おうとした。そして【本来あるべきカタチ】へ至るための解決策を、【他の世界】――即ち、我々の世界や隣の異世界へと求めた。
世界と世界とを隔てる抑止の壁を断ち切り、異界への干渉という本来あってはならない不正規を捻じ曲げ、世界と世界とを繋げ合い――侵攻する。カタチなき存在が形状ある存在へと流れ込み、その隙間を埋めるかのように同化し、【本来あるべきカタチ】へ至ろうとしたのだ。
同化であり、吸収であり、模倣であり、学習であり――やがて第3異界より流れ込みし【本能】は、人間に目をつけた。この世界で――この星で――最も繁栄している生命。【本能】は人間という存在を調べあげ、その行動根源たる心というものを学習し、7つに分かれた。
それは――より効率よく人間と同化できるようにするため。奴らは、心に隙間のある人間を探し、心の隙間を埋めようとするかのようにその人間へと流れ込み――、同化し、さらに【本来あるべきカタチの拡大】という【本能】のままに、自己の拡大を図りだした――。
ゆえに、第3異界の【本能】に取り込まれた人間は――【本来あるべきカタチ】ではない我々普通の人間を――殺そうとする。ただ殺すのではない。もはや虐殺という言葉すら生ぬるい――子供が気に入らぬ絵をインクでまみれに塗りつぶしてしまうかのような――形状すら残らぬ敷き詰められた死々。
あの日――白光が墜ちてきた街へと駆けつけた私は、地獄よりも悍ましい光景の中に立つ奴を見て――人間達の滅びを確信した。
それは第3異界の【本能】に取り込まれた、ひとりの人間だったもの。奴は、白い髪と、紅い瞳を持ち、そして白き翼を広げ、捩じ切られた肉片の絨毯の上に立っていた。
奴は、私を見て――こう名乗った。
「僕は――、神がいた世界より舞い降りし、七惑の者がひとり――。
この世界の言葉を借りるなら――そう、【天使】と呼ばれるような存在――かな」
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