魔縮の四肢【マギ・アサナシア】
「ふん――しかし、ようやく目醒めたか。その様子では千里眼を発現していたようだな――、よかろう。クスガ、お前はもう下がってもよいぞ」
僅かに呆れを帯びたような口調で、白髪の老人はそう言った。クスガは老人のその指示を境にパッと表情に明るさを取り戻し、こくこくと頷くと、そそくさと部屋を出て行った。
クスガのその背中を目で追いながら呆然としたままでいるアシャ。老人はそんな彼へとゆっくりと歩み寄り、そして語り掛ける。
「気を悪くするでないぞ。あれはまだ調整中であるからな」
「――調整中?」
「命令に忠実であればあるほど融通が効かん。しかし、自身で判断できる幅を広げすぎてしまうのもまた暴走の危険がある――思うがままに言うことを聞かせるというのは、難しいものよな」
「――言うことを聞かせる――?
いや、つまり――あなたが、さっきの女性の主人ということ――?」
「そうだ。私の名はキシュゥ。
先程クスガへ投げていた疑問への回答ではないが――、天使の神秘斬滅により四肢を断ち切られ、死にかけていたお前を助けたのは、この私だ。
そして――、喪われしその四肢に、新たな腕と足とを与えたのも――な」
キシュゥと名乗った老人は、そう言ってアシャの手足へと視線を向ける。彼もまたそれにつられるようにして、自身の甦った手と足へと視線を落として。
「断ち切られた僕の――腕と、足を――与えた――? あなたが――?
どうやって――、なんのために――? 僕の身体に――いったい、何を――」
と、そこまで呟いた瞬間、アシャの肩と大腿に鋭い痛みが走った。血流が止まり、その場で破裂して迸り出したかのような猛烈な激痛に、彼は思わず蹲る。
「ぐっ――!? ぐあぁゎぁぁぁっ――!?」
堪らずに呻き声を漏らすアシャを見下ろしながら、キシュゥは感情の拭い去ったような声で呟いた。
「なるほど――神秘斬滅に断ち切られようとも、やはり人間の肉体に、その腕と足は負担が大きすぎる、ということか――だがしかし、これまでよりは遥かにマシであるとも言える――」
両腕を抱えるように、両足を小刻みに痙攣させるように身悶えながら、アシャはキシュゥを見上げる。歯を食いしばって痛みに耐えながら、意味不明な呟きをする老人へと問いかける。
「――何を――言って――? この腕と――足は――いったい――。
僕の身体に――あなたは――何を――したんだ――?!」
「お前には、魔縮の四肢を与えた――それだけのことだ」
「ぐうぅっ――がああぁぁっ――! なっ――な、なんだ――それは――?」
「――その痛みの、根源。わからぬか?
お前の肉体に逆流し、その身を張り裂かんばかりに溢れ漲る、無尽蔵なその魔力に気付かぬか――?
――いや、それどころでは無いか――、ならば教えてやろう。魔縮の四肢――お前の新しい腕と足は、私が十数年かけて魔力を凝縮させて創り出した、無限の力を生み出し続けるモノだ」
老人は言い切り、側にあった椅子へと腰掛ける。アシャは少しずつ鎮まっていく痛みを堪えつつ、老人の顔を目で追って。
「どうして――そんなのを、僕に――」
「お前の身体が、神秘斬滅で斬り刻まれていたからだ。それも、ちょうど――腕と足とをな」
「なっ――?」
「今しがた体感したばかりであろう――その腕と足より漲り溢れ続ける魔力と、それに伴う苦痛を。
だが、それはお前だからこそ、この程度の痛みで済んでいるに過ぎない。普通の人間であれば、このような凝縮された魔力の塊ともいえる四肢などと繋げられた瞬間、その身に魔力が逆流し、瞬く間に灼け死ぬであろうからな――」
キシュゥはおもむろに手を伸ばす。灰色のその指先で、アシャの肩口のあたりをなぞるように動かして。
「だが、神秘斬滅で断ち切られし、お前の肩と大腿は――その断面は、断ち切られているが故に、魔力を通さぬ。
無論、手足として動かす以上は、最低限、神経は繋がねばならぬが――、そこから漏れる魔力くらいであれば、さきほど程度の痛みで済む。耐えられぬ程ではないであろうからな――。
つまり、お前は、魔縮の四肢を繋げても死ぬことのない、現状唯一の人間であった――ということだ」
解ったか――? と言いたげに顎を引き、キシュゥはその指先を引っ込める。白髪の塊の奥から覗く眼光が、アシャの顔を凝視していた。
「この痛みと、苦しみを――『耐えられぬほどではない』――なんて、よく言えるな――。
いや、それよりも――」
アシャは激痛からくる苛立ちのままに老人を睨み返して。
「あんたは――まだ肝心なことを回答していない。
あんたが、僕を助けたのは――僕が、魔縮の四肢という腕と足とを、生きたまま繋げることのできる唯一の人間だから――それは理解った――。
でも、それは――何のために――? 凝縮された魔力で造られた腕と足なんかを与えて――あんたは、こんな僕に――何をさせようというんだ――?」
クククッ――と、嘲笑いを噛み殺すような老人の声。白髪と萎んだような小さな体躯が小刻みに震え。
「天使を殺すには、神にも等しい力が必要だから――だ。
故に、お前に魔縮の四肢を繋げ、力を与えた。今のお前は、もはや人間では無い――。
天使を殺すために神の力を得た――魔神と言えよう――」
唐突に出てきた天使という言葉に、アシャは眉を顰め、思わず聞き返していた。
「て――、天使――?」
「そう――第3異界からの侵略者。
お前は、襲来せしその天使を迎え撃つための戦力――人間達の最後の希望だ」
その言葉の意味をすぐには飲み込めず、ただ呆然と固まるアシャ。老人キシュゥは少し考えるように髭を弄り、そして続けた。
「ふむ――すべてを、すぐには理解できぬか。よかろう――では、まずこの世界の成り立ちと仕組みから説明するとしよう――」