【殺戮】
そして、本能は叫ぶ。
――【空を裂け】――と。
――【秩序を曲げよ】――と。
――【我らの世界と異界とを繋げよ】――と。
かつてユキナと呼ばれていた白い少女は、頭の中に響き続けるその声のままに、名も知らぬ街の中で踊るように腕を振るっていた。
その爪先が宙を薙ぎ、白銀の閃が虚空に曳かれる。
――ザッ、ザンッ――!
壁が断裂し、地面が弾け、追い詰められるようにそこに立っていた人間達の胴が、次々とふたつに別れていく。
一瞬だけ悲鳴が上がり、しかし即座に、その声そのものが断ち切られたように途端に沈む静寂。バラバラと崩れ落ちていく身体の断面からは一滴の流血も無く、まるでその身の内部を走る血の流れそのものから断ち切られているかのようだった。
「――足りない――足りない――」
白い少女は無数の肉塊を前に、独りごちる。
「空を裂くには、まだまだ生命が足りない――。
人間の生命から啜れる魔力はとっても少ないから――」
呟きながら少女は踵を返す。路に壁際にと散乱する肉塊を背につかつかと歩きながら、空を仰ぎ見て。
「まだまだ足りない――もっともっと街を――人間達を殺していかないとね――」
〜〜
そして、理性は叫ぶ。
――私は、どうして【殺して】いるの――?
――何のために、こんな【非道い】ことをしているの――?
――嫌だ――嫌だ――嫌だ――嫌だ――!
誰も殺したくなんかないのに。
こんな非道い光景なんて、視たくもないのに。
どうして、どうして私は――こんなにも簡単に、こんなにも無慈悲に、人間を殺していくの――?
やめて、やめて、やめて――私の手で、私の身体で、私の笑みを浮かべながら、人間達を殺していくようなことはしないで――。
――嫌だ――嫌だ――嫌だ――嫌だ――。
――助けて、助けて、助けて、助けて――。
「――助けて――アシャくん――」
〜〜
【DC△4974年6月12日 9:38】
「――ユキナッ――!」
アシャ・トゥリブルは飛び起きていた。目醒める直前に視た、悪夢とも思える光景へ、思わず叫び声を上げながら。
そこは、灰色を帯びたように薄暗い部屋の一室。半液体のような物質で成形されたベッドの上に寝かされていた彼は、上体を起こして呆然としたように周囲を見回していた。
「――ここは――? いったい、何が――? それに、僕の身体は――」
一通り周囲を見渡した彼は、呟きながら自身の身体へと視線を移す。
「腕と、足が――元に――戻ってる――?」
信じられない、といったような声が思わず漏れた。
白い少女に断ち切られていた筈の、右腕が、左腕が、右足が、そして左足が――まるで何事も無かったかのように、元に戻っていたから。
アシャは自身の右腕を見つめながら、恐る恐るそこへ力を込める。肌色の指先が意思の通りに滑らかに動き、彼は息を呑んだ。間違いなく、これは自分の腕だ――と。
その時、ガチャリと音がして、部屋の扉が開いた。
「――あ――目覚めて――る?
だ――大丈夫――ですか?」
部屋へと入ってきたのは、背の高い女性だった。カタコトのようにぎこちない言葉を発しながら、肩の辺りまで伸びた翠玉色の髪をぴくりと揺らして、彼女はおずおずとゆっくり、ベッドで半身を起こしているアシャへと近づいて。
「君は――?」
アシャは問いかける。その声に彼女は、『喋った――!?』とでも言わんばかりに目を見開いた。
「あっ――えっ――わ、わたしは、クスガ――クスガ・ワム・コガワ――。
主人より、あなたのお世話を、するように言われて、いて――」
クスガと名乗った翠髪の女性は、たどたどしくも一所懸命にアシャへと説明する。やがて自身の途切れ途切れの言葉が相手へ伝わり難いことに気づいたのか、彼女は恥ずかしげにふるふると首を振った。翠髪がさらさらとこぼれ、尖った耳が顕になって。
頬からその尖った耳の先端に至るまでをみるみるうちに紅潮させ、クスガは大きく息を吐いた。
「とっ――とにかく、主人に、知らせて、きますね――!」
慌てたようにその場から離れようとするクスガを、アシャは咄嗟に呼び止める。
「ちょ――ちょっと、待って。ここは何処で、君は誰なの――?
僕は――、死にかけていたはずだ。君の言う、主人っていう人が、僕のことを助けてくれたっていうこと――?
それに、僕の腕と足は――断ち切られてしまったはずの腕と足が元に戻っているのは、どうして――」
「えっ――えっえっ――ま、まず、主人に、聞かないと――わかんない――」
クスガが困ったように眉根を寄せて振り返った、その時。
彼女のその肩越しに、老人の声が部屋へと響いた。
「ふん――そう焦るでない。そう、今更焦ったところで何になる。お前は既に、あれから5年もの間、眠っているのだから――」
アシャは視線を動かし、声の聞こえる先を、クスガの立つ場所よりも更に奥へと視線を動かした。
そこに、部屋の入り口付近に見えたのは、白髪に身を包んでいるかのように小柄な老人の姿。彼は振り乱された白髪の隙間からアシャを一瞥し、そして語りかけていた。