刹那の夢から【醒めて】
――それは、忌まわしき記憶。
荒れ狂う炎の柱。頭上より降り注ぐ瓦礫。全身を撫でていく空気は灼熱を帯びて、その心までをも灼いていく。
「――たす――け――」
渦巻く爆風の中で、崩れ落ちた瓦礫に埋もれて、その少女は声を漏らしていた。
「おと――う――さん――」
それは助けを呼ぶ声。それは父を呼ぶ声。しかし、その声に応えることのできる者はいない。
何故なら彼女の両親は既に両親は、既にこの世に存在してはいなかったから。母親は彼女が生まれた時に死に、父親は――。
少女はそれを理解していながら、しかし父親に助けを求める声を、ただたた放ち続ける。まるで、それ以外に助けを求めるすべを知らない。
「おと――さ――たす――け――」
瓦礫の隙間を縫う黒煙が、少女の意識をその命ごと奪おうと小さな身体へと纏わりついていく。
暗転していく視界。閉じられた瞼に、その目尻に涙の雫が溜まっていく。
――ガラッ、ガラララッ――!
遠くから聴こえる、瓦礫を掻き分ける音。その音は次第に近づいて、薄れ消えゆく少女の意識を、ギリギリのところで繋ぎ留めて。
「――瑞穂ちゃん――!」
線のように細められた視界に、光が射し込んだ。身体の上に降り注いだ瓦礫を取り除き、投げ捨てて、彼は少女の名を叫びながら、必死なその顔を覗かせて。
「だ――、大樹――くん――?」
放心しきったような声色で、朧気な景色の中で少女は、彼の名を呟いて。
「どう――して――、私が――ここに――埋もれて――る――ことを――?」
「視えたから――! 瑞穂ちゃんが、ここに埋もれてるって――視えたから――!」
咄嗟に衝いて出る叫びともに、彼はさらに瓦礫を掴み放り投げ、そして手を伸ばす。彼のその指先が、掌が、腕が、少女の小さな身体を瓦礫の山から救い上げ、そのまま抱きかかえて。
「大丈夫? 瑞穂ちゃん。待ってて。今すぐ、助け出してあげるから――」
――2050年7月29日夕刻に発生した、病院跡施設の爆発崩壊事件。人為的に引き起こされたものなのか、自然災害であったのかすら原因不明な本事件はしかし、『何故かその場にいて巻き込まれてしまった一人の少女が、一人の少年によって無事に救出された』という公式記録のみをもって、この後次々と発生する他の事件事故に上書きされていくかのように、記録からも記憶からも風化していくこととなった――。
助けられた少女の名は――、瑞穂。
そして、瑞穂を助けた少年の名は――、塚本大樹。
偶然か必然か、彼らはやや年の離れた幼馴染同士であり、事件よりも以前から兄妹のように慕いあっていた。
事件の後、両親のいない少女は、そのまま成り行きで幼馴染である彼と一緒に暮らすようになり、2人はやがて周囲から兄妹のような関係として認識されるようになる。
事件から3年も経つ頃には、その忌まわしき記憶も少しずつ薄れ、周囲からだけでなく自分たち自身も、元々本当の兄妹だったのではないかと錯覚してしまうほどに、自然と出来上がったその環境に馴染んでいた。
そして、そんな中で――。
〜〜
【2053年3月26日 9:13】
耳元で鳴り響く携帯電話の着信音に、塚本瑞穂は目を覚ました。
夢の中で更に夢を見ていたような、2重に重ねられた擦りガラスの向こう側を凝視させられていたような、朧気すぎる光景に、上体を起こした少女は一瞬、機能を停止させたように虚空を見つめて。
それが過去の記憶であることに気付いた少女は、一人でに眉を顰め、陰を帯びた口調で呟き漏らす。
「どうして――今更、あんな昔のことを夢に――」
携帯電話は鳴り続ける。少女に考える隙すらも与えぬその音に、ちらと彼女は画面を見やり、そして小首を傾げつつ指を伸ばして通話を繋ぐ。
「どうしたの? 大樹くん。今、お仕事中じゃないの――?」
『――そうなんだけど、ちょっと忘れ物しちゃってね』
電話をかけてきたのは彼女の兄、塚本大樹。生物研究所に勤める彼は職場から、春季休暇で自宅にいるだろう瑞穂へと連絡を入れてきたのだった。
「えっ、忘れ物――?」
それほど大した用事では無さそうだと、瑞穂の声は僅かに張りを取り戻す。大樹は申し訳そうに言葉を続けて。
『うん。僕の机の上にノートパソコンがあると思うんだけど、研究用データの入っているメモリ素子を挿しっぱなしにしちゃっててね――。
そこには今日の打ち合わせに必要なデータも入ってて――悪いけど、瑞穂ちゃん。ちょっと研究所まで届けてくれないかな――?』
「うん、いいよ。支度して、そっちに行くね」
通話を切ると瑞穂は立ち上がり、そそくさと大樹の部屋へと向かう。部屋の中、その机の上には、彼の言葉通り、メモリ素子が挿しっぱなしで電源が付いたままのノートパソコンが置き去りにされていた。
瑞穂はパソコンへと近づき、その電源を落とそうと画面へ手を伸ばす。その時、ふと少女は画面に映し出されていた内容に目を留めた。
視線の先に映し出されていたのは、古びた書物の写真。遥か昔に綴られたと思しき、茶色くボロボロな書面には、現代のものではない読解不能な文字が、びっしりと敷き詰められていた。
「えっ、なに、この文字――」
画面の左半分にはエディターアプリが立ち上がっていた。そこには、読めぬ文字の翻訳途中と思しき文章が書きかけのまま放置されている。少女はごく自然に、そこに書かれていた言葉を目で追い、そして小さな小さな声で呟いていた。
――私の刃は、世界を殺し――。
――彼の返答に、私は――。
○●