天星夜【グォヴォウーシ】に祈り願いて
「あっ、そうだ 、瑞穂ちゃん」
夕食時、手にしたフォークをふと止めて、大樹は思い出したように瑞穂へと語りかけていた。
瑞穂は顔を上げ、なに? といったように小首を傾げる。薄蒼色をしたツインテールが揺れ、少女のそのつぶらな黒瞳が、テーブルを挟んで向かい側に座っている彼の顔を捉えて。
「どうしたの? 大樹くん」
「いや、来週はちょっと帰りが遅くなるかもって思ってさ」
「へぇ――そうなんだ。お仕事、結構忙しい感じなの?」
瑞穂は心配げな口調で問いかける。大樹は小さく頷いて、苦笑いを浮かべて。
「うん、ちょっと面倒そうな案件が来るみたいでね――」
「面倒そうな案件――?」
瑞穂は首を捻る。生物研究所に勤める研究員である彼の言う『面倒そうな案件』とは、どのようなものか皆目見当がつかなかったから。
「うん、実はね――南米のギアナ奥地で、ちょっと変なものが発見されたんだって。それが来週、解析のためにうちの研究室に運ばれてくる予定になってて、その準備やら何やらでだいぶバタバタしそうなんだよね――」
「南米で発見されて、わざわざ大樹くんの勤めてる生物研究所に――? それってなに? 新種の生き物か、何か――ってこと?」
「うーん……何ていうか、まだちょっとハッキリとはわかってないんだけど……」
大樹は困ったように視線を宙に向け、言葉を選ぶようにゆっくりと。
「――どうやら――、ミイラ化した、人間の身体――みたいなんだよね」
少女の手にしたフォークの先に刺さっていた食材が、ぽろりと落ちて皿の端をころろと転がる。眉を顰め、小首を竦めて、瑞穂はその白く幼い顔に僅かな嫌悪感を滲ませて。
「えぇ……なにそれ……。
どうして生物研究所に、海外で発見されたミイラが――? いつの時代のどんな民族のミイラか知らないけれど、もし遺跡とかお墓とかから出てきたのなら、そういうのって考古学? とか、そういうのの管轄なんじゃ――」
「いや、それがね――」
大樹は少し言いにくそうに視線を揺らし、そして、思い切ったように一気に続ける。
「ミイラはミイラなんだけどね――その――心臓だけが、まだ生きているみたいなんだよね」
ガタリ、と机が軋む。少女は驚いたように身を乗り出していた。困惑したような表情で、疑問の言葉を漏らす。
「そっ、そんなの、ありえな――」
「そう。ミイラっていうのは、腐敗する前に乾燥することによって原型に近い形を留めた遺体。だからこそ、心臓だけが生きているなんてことは、もちろんありえない。
ありえない――はずだからこそ、僕の勤める生物研究所で詳しく調べることになったんだ」
○●
【DC△4979年7月7日 22:53】
墨塗られたような黒夜を、きらきらと輝く星々が幾筋も雨のように流れ、澄んだ白光の尾を曳き描いては地平線へと消えていく。
少年アシャとその幼馴染の少女ユキナは、スィラハマの丘の頂に腰を下ろし、夜空に広がる光景を見上げていた。
天星夜――それは、年に1度巡ってくる、星降りの夜。星と星との向きの悪戯により、数え切れぬほどの流星が、深黒な朔の夜空に散りばめられる僅かな一時。
「それにしても、本当に綺麗だよね――」
あまりにも幻想的な光景の中、見惚れるように澄んだ少女の声を、彼は聞いた。
「そういえばさ――、流れ星にお祈りをするとね、天使さまがそれを叶えてくれるんだって。
――アシャくん、知ってた?」
降り注ぐ星々を喰い入るように仰ぎ見ながら、ユキナは囁くようにアシャへと話しかけていた。
アシャは顔を右へと向け、ユキナの白い横顔を見やる。つぶらな黒い瞳に、光の粒子に満ちた夜空が映り込んで。
「聞いたことがあるような、無いような――確か、神ってのがこの世界を創った存在で、その神がここから立ち去る前に、自身の代わりとして最後に創ったというのが、天使――だっけ――?」
アシャの答えに、ユキナは大きく頷いて。
「うん、合ってるよ。よく知ってるじゃない。古典伝承の講義には全然顔を出さないのにね」
「そりゃ、本当かどうかも解らない、昔からの言い伝えを聴いてもね――。
で、その天使というのが祈りを叶えてくれるってのは、つまりどういうこと――?」
「あのね――、夜空を流れる星って、どこから来ていると思う?
それは――、かつて神さまがいた、今は天使さまのいる世界からなんだって。
そこは星々に満ちていて、溢れて零れ落ちたそれらの一部が、私たち世界に流れてきて、こんな感じで夜空を通り過ぎていくの。
だから、流れ星にお祈りをするとね、その祈りは星を通じて、異界の天使さまに伝わって、天使さまがそのお祈りを叶えてくれることがある――っていうね。私たち一族に古くから言い伝えられ、今またも信仰されている流星の伝承だよ。
特に、夜空がこれだけの星に溢れる天星夜はさらに特別みたいでね。『その星夜への祈りは、断ち切ることのできぬ因果を結ぶ』だなんて言われてる。
何だか、すごくない――? 断ち切ることが出来ないってことはつまり、『永遠に結ばれる』ってことだからね――?」
と、そこまで言って、愉しげに話していたユキナは不意に慌て驚くように瞳を見開き、ふるふると小さく首を横に振り。
「あっ、ごめん。私だけ何べらべら喋ってんだろ――そっ、そ、それよりもさ――」
何故だか恥ずかしげに彼から視線を逸らし、ユキナは再び星空を見上げる。流星の光に照らされる人形のように精緻な横顔が、その透けるように白い頬が仄かに紅潮していくのを、少女を眺めるアシャの視線は克明に捉えて。
「それよりも――?」
「そ、それよりも――あ、アシャくん、ところでさ――」
少女の、深く息を吸う音。何かを恐れているかのように、吐き出す息が微かな震えを帯びていることに、アシャは気付く。それが何を意味しているのかを彼が考えるよりも先に、ユキナは問いかけを投げてきていた。
「あなたは、何かお願い事をしたの――? 天星夜の、この星空に――」