幼馴染の少女と【少女】
「ありがとぉぉぉっ! アシャくんぅっ! おかげで助かったよぉっ!」
深く息を吸い込み、ユキナはその小さな身体から絞り出すような声を出し、深々と頭を下げた。
「別にいいよ、そんな――そこまでたいしたことじゃないし」
「いやいや、あんな沢山の荷物――私じゃ、どうしようもなかったもの――本当、いつもアシャくんは頼りになるねっ――!」
アシャは呟き、少女の大袈裟な身振り手振りに呆れつつ、目の前に出されたお茶を啜った。
ここはユキナの実家であるダウェスト氏の屋敷。あれから小一時間、大量の買い物に付き合わされ、両腕いっぱいの荷物を抱えさせられ運ばせられて――ようやくひと仕事を終えたアシャは、広い客間に通されると、お茶とお菓子のもてなしを受けていた。
「まあ、ユキナの頼みは断れないからね。昔から――子供の時からずっとそうだし」
アシャはお茶のカップをテーブルに置き呟く。向かい側に腰掛けるユキナは、その言葉にぷくりと幼子のように頬を膨らませて。
「むむむっ――? いや、まあ、そうだけど、なんか、その言い方じゃ、私が我儘ばっかり言ってるみたいな感じに聞こえる――!」
「違う――?」
小首を傾げ、からかうようにアシャは訊く。
「うっ――違わない――違わない――かも――。いや、いやいや、でもね――」
ユキナは口をつけかけたカップを片手に、もう片方の手をぶんぶんと振り。揺れる小さな少女の肩から、澄んだ薄蒼色の髪がサラリと流れて。
「それはさ、なんだかんだ言って、アシャくんが私のことを助けてくれるから――つい、甘えちゃうのかな――?」
「えっ――、『つい』――ってレベルでも頻度でもないと思うけど――」
「もーう! 話をいい感じに着地させようとしてるのに、なにそれぇっ。着地どころか、思いっきり頭から突っ込んじゃったよ――!」
「ってなに、その喩え――」
アシャは苦笑しながら、お菓子をつまむ。
「いっ、いやいや、そんなことより――! そんなことよりもっ――!」
ユキナは何やらもどかしそうに首を振る。薄蒼色の髪が美しい光沢の波を立てて。
「あっ――アシャくんには――、子供の頃から頼りっぱなしだし――、こんな感じでお願い事も聞いてもらってるし、本当、すんごい感謝してるよ――! そっ、それでね――」
「――『それで』――?」
「それで――その――この『お願い』も――、ぜひ聞いて欲しいな――って――」
ゆっくりと、ユキナの白い頬に朱が刺していく。俯いて、もじもじと指先を弄る少女は、意を決したように顔を上げて、その黒々としたつぶらな瞳で、まっすぐにアシャの顔を見つめて。
ただならぬユキナの様子に眼を見張るアシャ。なにそれ、どうしたの――と声をかける間もなく、絞り出すように掠れた少女の声が、彼の耳を抜けていく。
「――明日の、天星夜――その深夜――。
スィラハマの丘で、一緒に流星を見てほしいな――って」
――この一族では、真実と信じられている言い伝えがあった。
それは、大量の流星が降り注ぐとされる7月7日、星降りの夜。17歳になる男女が一緒に星空を見上げることで、その二人は断ち切ることのできない因果によって結ばれる――というもの。即ち、それは【想い】の告白――に、他ならないということ。
ユキナの真意を言葉で知り、アシャは呆然とただ眼前に佇む少女の縋るような黒い瞳を見つめる。やがて、無意識の内に彼は頷いていた。
「いいよ――ユキナの『お願い』だもの。僕で――、よければ」
少年は静かに、その返答を口にする。今までずっとその些細な我儘さに付き合わされてきた幼馴染の少女の、それが最大の、そして最後の『お願い』であるとも知らずに。
○●
【2053年3月26日 18:07】
「――瑞穂ちゃん――、瑞穂ちゃん――起きて――」
少しずつ浅くなっていく眠りの中で、少女は自分を起こそうとする声を聴いた。
ゆっくりと瞼を開く。ぼんやりと開けていく視界の中で、その少女はこちらを覗き込んでくる少年の顔に気付いて。
「――大樹――くん――?」
少年名を呟き、少女はのそりと起き上がる。傍らに屈んでいるその少年――自身の兄である、塚本大樹の柔和な顔を見つめて、焦点の定まらない眼を瞬かせて。
そこは広めのリビング。薄暗くなりつつある部屋の中で、つけっぱなしのテレビが音と光を垂れ流している。少し離れてその前に置かれた柔らかなソファに、ぐったりぐっすりと横たわっていた少女は、目覚めの経過とともに、夕刻にも拘らずその場にて熟睡していたという認識に追いつかれ、自身をまじまじと見つめる少年の眼差しに、次第に赤面の色を濃くしていった。
「おはよう、瑞穂ちゃん」
微笑みつつも少しからかうような口調で、大樹は少女へと話しかけた。
「あっ、あっ――だ、大樹くんっ――!? も、もしかして、私――こんな時間に寝ちゃって――!?」
急速に意識を取り戻し咄嗟に応える少女。狼狽えから仰け反るような態勢をとり、その途端、寝ている間に溜まっただろう涎が、口元からたらりと溢れて糸を引く。
「そうだね――って、あ、あれ――? 瑞穂ちゃん――。
よ――、よだれ――垂れてるよ――?」
「ふぁっ――!? うぁっ、ふわああああっ――!?
みっ、み――、見ないでぇっ――!!」
言葉にならない声を上げ、少女は側に置いてあったハンカチを掴み取る。そして即座に、紅潮しきった顔を包み隠すように押さえた。
その少女――塚本瑞穂は、大好きな兄を前に、無防備に爆睡する寝顔を、さらに寝惚けた涎顔を、まんまと晒してしまったことへの恥ずかしさにただただ身悶えるのだった。
そう、これは――、彼女が、【神秘斬滅の少女】と呼ばれるようになるよりも、少しだけ前の話。
○●