少女は墜ちつつ、空を【裂く】
「――なっ、なんてことを――っ!? おっ、お――墜ちるぅ――っ?!」
空中で回転しながら、瑞穂は叫ぶ。放り上げられた勢いはすぐに止まり、次第にその小柄な体躯は重力に引かれ、落下を始める。少女の視界に広がるのは、遥か下にある豆粒ほどに小さく見える街の景色。
「慌てるな小娘。空中において奴の動きに追随できぬというのであれば、その奴の動きそのものを止めてしまえばいいだけのこと――!」
言い放つアシャは、既に翠翼にて形成された逆弓へと手を掛けていた。掌を握りしめ、その指先を中心に翠色に輝く光の矢が浮かび上がる。
「両手が塞がっていては、射翼が放てぬのでな――!」
ドンッ――!
低い音が響く。アシャが言葉を紡ぎ終えるよりも疾く、射翼は白き異形の腹と肩と胸元とを貫いていた。
しかし、白き異形にダメージを受けた様子はない。平然と手を伸ばし、己が身体に突き刺さった異物を摑み取り、次々と引き抜いていく。
だが――、その一瞬、白き異形の動きは止まっていた。
「――今だ、小娘! さしもの奴でも、こう射翼を撃ち込まれれば、その場に留まらざるを得まい――!」
即座にアシャは瑞穂へ声へと叫ぶ。落下しつつある少女はしかし、姿勢すら定められずあたふたとしている。
「今だ、とか言われても――! おっ、おおお墜ちて――!」
「たわけ――! お前、以前に空気を斬り、風を起こしていたであろう――! それを応用して、奴のところまで翔べ――!」
「そっ、そんな無茶なっ――!?」
「グルフオォォォォッ――ッ!!」
白き異形は、けたたましい奇声を発する。胸元などに突き刺さった射翼をすべて引き抜き、背中より展開された翼を更に大きく広げて、異形は動き出そうと――。
ドドドンッ――!!
一切の隙を許さず、1ミリの油断も容赦もなく、立て続けに放たれた射翼が、再び異形の腰を、頭部を、右腕を射抜く。やはり効いている様子はなく、しかし僅かに仰け反るその体躯は、その一瞬だけ、確実に動きを止めていた。
「急げ、小娘――! 奴とてそういつまでも無防備のままではおるまい。我が射翼にてその動きを止められるのは、その身を射抜いた一瞬――今だけだ――!」
「もう、こなくそっ――!!」
自棄になったように吼え、瑞穂は小さな身体をぐるんとしならせる。そして、その勢いを利用して手にした刃を大きく空振りさせる。
ヴオォォン――!
空気の断ち切られる音。少女の一太刀により生じる、無という隙間。それを埋めるための空気の流れが、強風を舞い起こす。
「うりゃああああっ――!」
意を決したように声を張り上げ、手にした刀剣を突き立てて、彼女は自らの巻き起こした風に身を委ねる。その鋭き刃を進行方向へと向けて身構えた少女の身体は、自らが発生させた強風の勢いによって、白き異形の頭上へと舞い翔がっていた。
「フォグオォォォォッ――!?」
白き異形は、身を貫いている射翼を引き抜く手を止め、顔を上げる。貌のないのっぺらぼうな頭部が、窺い知れないその目線が、己に急接近する少女の姿を捉えているかのようだった。
揺れる雪色のツインテールに、まっすぐな紫紅色の瞳。|そして、小さなその手に握られ、頭上より振り下ろされようとしている刀剣より放たれんとする、神秘斬滅の斬撃。
――ズシャアァァァッ――!
裂けるはずのないモノが、引き裂かれる音。
風に乗った少女は流れ墜ちるように、異形へと接近し、その身体を頭頂部からバッサリと両断していた。
「エルゥ――ザルド――? ザラアアアッッ――!!」
左右2つに斬り分けられた異形の体躯は、断末魔のような声を放つ。神秘斬滅によって存在の因果を断ち切られてしまった肉塊は、これまでのように再生することなど一切出来ぬまま、ただただ端より粒子と化してボロボロと崩れて散っていき――。
間もなく、白き異形だったモノは、跡形も無く消滅していた。
「うっ、うわわわああああっ――やっぱり、おっ、墜ちていく――っ?!」
響く、瑞穂の悲鳴。かたや異形を斬り裂いた彼女はしかし、突っ込んていったそのままの勢いで地上へと落下しつつあった。
ガシッ――。
「案ずるなと言ったであろう、小娘」
ほとほとうんざりとしたような、アシャの声。彼は瞬時の内に空を翔り、墜ちつつあった瑞穂の身体を抱き拾っていた。
「あ――あ、ありがとうございます――アシャさん」
「いや。だが、よくやった。今日ばかりは褒めてやろう――」
アシャがそこまで言いかけた、その時。
「――あらら――遅かったかぁ」
不意に響く、男の子の声。この超高層で、先程まで戦闘が繰り広げられていた空域で、それは本来、ありえないはずのもの。
「――何者だ。貴様」
アシャは金色の瞳で声のする方をギロリと睨む。そこに――空中に佇んでいるのは、純白のパジャマに身に着け、蒼白い肌をした小さく幼い――羽根を生やした男の子の姿。
「その背丈に、パジャマに――その声――。
あなたまさか、病院でノエちゃんと仲良くしていた――顔を包帯をした男の子――なの?」
瑞穂の呟き声に、男の子は白銀の髪を揺らし、紅い瞳を細めて嗤みを浮かべた。
「そうだよ――お姉ちゃんには、いろいろとお世話になっちゃった。
でも、よく覚えてるね。それとも、初めて見かけたあの時から、僕に何か感じるところがあったのしたのかな――?」
「くだらんお喋りはいい」
アシャはつまらなそうに吐き捨て、そして低い声で男の子へと問いかけていた。
「先程討ち倒した白い異形を創り出したのは、貴様であろう――?
であれば、その正体は自ずと見えてくる――貴様、天使――だな?」
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