秩序重圧【ウェヌスグラビティ】
目元に包帯を巻いた男の子は――羽田マモルは手を伸ばし、蒼い血管が透けて見えるほどに白すぎるその指先を、ノエの胸元へ突き立てていた。
――ずぅん――ずぅん――。
低い耳鳴りとともに、ノエは自身の身体から力が抜けていくのを感じていた。まるで、突き立てられた指先を通じて――その己が心臓より――魔力を――吸い取られて――いるかのような――。
「ちょっ、ちょっと、あんたっ――! ノエっちに何してんのっ――!?
ルスク・ロベリド――っ!」
突然の異変に気づいた奈留は、問いかけるとともに素早く詠唱していた。大きく小麦色をした掌に冷気が凝縮し、そのままぶんと勢いよく振るわれる。投げられた冷気は一瞬のうちに無数の氷と雪とを生成し、小さくも鋭い氷属性の魔術として放たれていた。
氷属性の魔術は急速に渦を巻き、そして羽田マモルとノエとの間に割り込むようにして流れ込む。舞い踊る鋭い氷と風纏う雪とに男の子の身体は仰け反り、その指先はノエの胸元から引き剥がされて。
ノエはその一瞬の隙を逃さずに背後へ跳び、マモルの間合いから逃れた。
「くっ――奈留氏、ありがとう。それにしても――マモル――くん――なの――?」
呼びかけられた男の子はしかしそれに反応を示さず、氷魔術によって弾き飛ばされた指先をふるふると揺らしながら。
「もう――まったく、邪魔しないでくれるかな――?」
男の子は呟き、漂わせていた掌を軽く握りしめ、そして腕とともにぐいんと振るう。未だ身体に纏わりついている氷雪の魔術が振り払われ、霧散して――その勢いに、男の子の両目を覆う包帯が緩み外れて――。
男の子の――羽田マモルの顔貌が、露わとなっていた。
それを目の当たりにした2人の少女は、同時に言葉を漏らす。
「あ――貴方は――いったい――」
「ちょっ――あんた――その顔は――」
見開かれた両瞳は、紫紅色の輝きを湛えて。
ふわりと靡く黒髪は、しかし次の瞬間、雪のように儚く澄んだ白銀へと変化して。
「そ――その髪の色――その瞳の色――」
ノエの背筋を、ぞくりとした悪寒が走る。
その紫紅色の瞳は、その白銀の髪は、少女のよく知る――と、まるで同じであるかのようだったから。
ノエの呟きに続いて、奈留は驚きを露わにするように独りごちる。ノエとまったく同じ考えへと至っているのか、その声は僅かな震えを帯びて。
「その紫紅色の瞳――もっちーの目の色と同じだ――そして、その白い髪の色は――あの娘が神秘斬滅の能力を使うときのものと同じものだ――。
いや、それだけじゃない――奇跡屈折の能力を持った成田エリスって娘もまた、これとまったく同じ――白銀の髪に紫紅色の瞳をしていた――」
ごくりと息を呑み、奈留は訊く。
「あんたは――いや、あんたたちは、いったい――何者なのさ――」
問われ、ぱちくりと紅い瞳を瞬く男の子。小首を傾げるその色白すぎる首筋を、白銀の毛先が揺れる。
「へぇ――それは多分、僕以外の七惑の――七惑の●●の誰かなんだろうね。
そっか――僕たちのこと、少しは知っているってことだね――?」
「今のは――答えになってない」
ノエは短く呟き腕を上げ、その指先を、魔力を纏わせた銃口のようなその先端を、マモルへと向けた。
「マモルくん――貴方は、いったい何者なの。七惑の●●とは、何のことなの――?」
男の子の口元が緩み、嗤みが浮かぶ。
「お姉ちゃん――こんなふうになった僕を、まだその名前で呼んでくれるんだね――」
そう呟いたかと思う間もなく、男の子の白銀の髪が仄かで淡い白光を帯びる。途端、2人の少女の身体を重圧が襲った。
――ドンッ――!
突然の重圧耐えきれず、少女たちはその場に崩れ、床へと圧しつけられる。
「なっ――に――?!」
這いつくばり、病室の床に頭を埋め、ノエは声を吐く。奈留も同様の体勢のまま驚きの声を漏らす。
「こっ――これは――【重力という概念そのもの】――?!」
何とか顔を持ち上げ、ノエは苦しげな表情で男の子の姿を見上げた。
「ま、まさか――この能力――?! どうして、貴方が――あの白い異形と同じ能力を――?
貴方は、あの白い奴に襲われて、家族を――その記憶も失ったって。病院に入院するほどの怪我も、頭部の包帯も――そのせいだって。言っていたわよね――?」
「――そうだよ」
マモルは応え、そして続ける。感情のこもっていない、冷え切った声で。
「あの夜――僕は、夜空に浮かぶ白い奴を見上げていた。そして、それは僕に墜ちてきて――たぶん、その時に僕の両親も、その記憶ごと潰れ、失われてしまったのかな――。
もちろん、僕の身体も――僕の記憶も――そして、僕自身も、圧し潰れて――死んでしまった」
「死んで――しまった――? なら、今の貴方は――」
「アレはね、たぶん魂に空っぽの部分がある人間に墜ちてくるんだろうね――そして、その空っぽの部分を埋めるように入り込んで――やがて僕を殺して、僕自身に成り代わる」
「『僕を殺して、僕自身に成り代わる』――? だとしたら、今の――貴方は――」
「うん。お姉ちゃんと出会った時には、もう僕は半分くらいは【新しい僕】になっていたんだ。
【元々の僕】は半分くらい残っていたけれど、魔力が足りなくて、なかなか置き換わらなかったけれど――」
「だから――私の心臓を狙った――のね」
「そうだよ。だけど、もうその必要も無くなったかな――。
僕の創り出した分身モドキが――概念使徒が、いっぱい人間を殺して、そこから滲み出る魔力を集めてくれたからね――」
「人間を殺して魔力を集める――概念使徒――? もしかして、あの白い異形のこと――?」
男の子の――羽田マモルの姿をしたそれは、こくりと頷いて。
「あ――あんなものをつくりだす、貴方は――マモルくんの中に入り込んで、彼を侵食しようとしている貴方は、いったい何者なの――」
潰れそうな声で、ノエは問い掛ける。それに応えるように、両手を広げて、羽田マモルは宣告するかのように呟いていた。
「僕の真名は――、憤怒のアウリエル。
圧力という概念の能力――秩序重圧を神より戴きし、第3異界からの訪問者――さ」
アウリエルと名乗った男の子は、かつて羽田マモルと呼ばれていた薄白い色をした子供は、生前を思わせる幼げな笑みを口元へと浮かべ、そして付け加えた。
「まあ、人間の言葉を借りて名乗るとするなら、天使――ってことになるのかな――?」
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