空射抜く翼【プテロスフェラ】
微笑みは緩やかに溶けていき、無表情のままゆっくりと見開かれた少年の瞳は、金色の輝きを湛えていた。
それは少年が――天王寺翔真から、覇王アシャへと覚醒した色。
右足を縛りし魔枷は、少女の白刃によって断ち切られていた。先程まで枷が喰い込んでいた箇所からは、翡翠色をした魔法陣が展開され、そこから植物の芽のように伸びていくのはネオンのように輝く幾重もの翠光の筋。太腿を伝い、腰を這い、背中に至った翠の筋は、そこを起点として4方向へと花弁のように広がって、ふわりと羽ばたかんばかりの巨大な翠色の四翼を形造っていた。
「久方ぶりだな、小娘」
覇王アシャは開口一番そう言うと、首を鳴らしながら周囲を見回す。そして遥か上空に佇む敵の姿を――白き異形の姿を見つけ、その口元をニヤリと歪めた。
「なるほど――アレをぶっとばせばいいのだな――?」
「お久しぶりですね、アシャさん。ええ、そうです。あなたの力で、眼下に広がるこの惨劇の元凶であるあの敵を――射抜いてください」
少女の言葉にアシャは視線を下ろす。ひび割れたアスファルトの上に飛散する残骸と肉片と、こびりついた鮮血と流し見て、そして彼は肩越しに瑞穂へと金色の瞳を向けて。
「ふん――俺としたことが、随分と長い間縛られていたものだ。あのような不届者を今までのさばらせておくとはな――」
「あっ、それと――くれぐれも無理はなさらないでください――その身体は――」
ふと言いかける少女の言葉を、アシャは向ける視線の圧で制して。
「案ずるな、小娘。我が右足に封じられし力――グリゴラ・エニア・カタフラクト――全力で行使しようものなら、この身体にはちと負担が大きいと――そんなことは十分承知している。
俺も、今度は長々と縛られるつもりはない――我が力、身体に負荷がかかるというのであれば、そうなる前にとっとと終わらせてしまえばいいだけのこと――!」
アシャは言い放ち、右腕を前へと翳した。背中より展開されし4つの翠翼の内の1対が、ぐいんと弧を描くように曲がっていき、逆弓の形状へと変化する。
形成されし逆弓へと、少年は指先を添える。すぅ、と矢のような形状の光が、指先を中心として浮かび上がる。指が軽く曲げられ、僅かに引かれた光矢の色が、深みと濃さを増していく――その瞬間。
「グルファァァァッ《グルファァァァッ》――!?」
白い異形が声を上げた。それまでの奇声とは異なる、驚きを帯びた呻くような声。
「あっ――あれは――」
瑞穂は目を見開き、それを見た。遥かな空に浮かぶ白き異形の――その胸元と肩と頭部とを瞬く間に射抜き、貫き刺さっている翠光の矢を。
「ふん――いかに高速で動こうとも、いかに高層へ飛翔しようとも――我が狙撃を避けることはできぬ。
ありとあらゆるすべての疾さを貫き、蹂躙せし射翼の前にあっては――貴様がその存在を認識したときには既に、それよりも疾く射翼は貴様の身体を射抜いているであろうからな――」
アシャのその言葉通り、放つ挙動も軌跡も無く、何よりも疾く、射翼は白き異形へと貫き刺さっていた。
だが、しかし――。
「あ、あの――アシャさん――敵のあの様子は――」
「ルフォォォォッ――!」
躊躇いがちに放たれた瑞穂の声を、|白き異形の発狂にも似た奇声が搔き消す。異形はぐぐぐっと、壊れかけた機械のようなぎこちない動きで右腕を伸ばし、まずは胸元を貫いた射翼を摑み取り、そして強引に引き抜いた。続いて肩に刺さったそれを、頭部を潰すようにめりこんでいたそれを、次々と引き抜いていった。
「――まさか、効いて――いない――?」
戸惑いを帯びた少女の呟きに、アシャは微かに金色の瞳を細めて。
「いや、確かに効いていないな―――出力不足か。まあ右足だけの力であればこういうこともあるだろう。だが――」
彼は忌々しげに口元を歪め、白き異形の姿を凝視する。射翼をすべて引き抜いた白き異形は、その傷跡すらも残さずに、先程までと変わらぬ様子で空中に佇んでいた。
「なるほど――確かにアレは魔族では無い――。
魔族ならば、たとえ右足だけであろうと、我が力が通じぬなど有り得ないことだからだ」
眉間にしわ寄せる覇王アシャの顔と、完全に回復し、上空より次なる重奏を放たんとする白き異形とを、瑞穂は交互に見やる。
「そ、それなら、アレはいったい――」
「ふむ――我が射翼に貫かれながらも、痛みを感じておらぬようなあの様子。あれ程の回復速度――そして、傷口より一瞬迸りし魔力のその種類――」
アシャは何かに気づいたかのように金色の瞳を見開いた。小さな舌打ちとともに彼は言う。
「そうか――アレはそもそも本体ではない。アレは単なる傀儡に過ぎず、アレを生み出し、意のままに操っている操り主が別にいる。
そして、そいつの正体はおそらく――」
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