空より降り注ぐ【滅び】の奏で
「あっ――サンドイッチのお姉ちゃんだ」
病室を後にした翔真と瑞穂と入れ替わるようにして、ひょっこりと顔を覗かせたのは、両目を包帯で覆った――羽田マモルと名乗っていた幼い男の子だった。
「あら、久しぶりね――」
ノエはスツールを回して入口付近に立つマモルへと向き直ると、膝の上に乗せているバスケットを手にし、その中に詰められているサンドイッチが見えるように傾けて。
「今日もサンドイッチが余ってるのだけれど、食べる――?」
そう話しかけるノエと、部屋の入口から顔だけを覗かせている男の子を交互に見据え、奈留は言う。
「あれ――君って確か、前もノエっちと一緒にいたよね。ていうか、そんな顔を包帯でぐるぐる巻きにしてるのに出歩いて危なくない――?」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。もう慣れちゃったから、視えなくても、何となくはわかるもん」
「ふーん――そんなもんなんだ。ていうか、ノエっちが年下好みだとはねえ――」
奈留の言葉に、ノエは僅かに眉を上げて。
「あのね――そういうのではないわ。それより、貴女は瑞穂ちゃんたちと一緒に行かなくていいの――?」
「のんのん――ノエっち。敵の攻撃を打ち消せるのは、もっちーだけなんだよ? あたしたちが今行っても、もっちーの負担が増えるだけじゃん」
奈留は腕を伸ばし、掌を広げる。その掌の上に、翔真と瑞穂の映った立体映像が浮かび上がった。
「とりあえず2人を見守ろうよ。今はともかく、そのうち何かサポートできることがあるかもしれないから――ね?」
片目をつむり、奈留はノエへと微笑みを向ける。その背後から、男の子は愉しそうに、ひょいひょいと少女達の近くへと駆け寄ってきた。
「――お姉ちゃんたち、何の話をしてるのかな」
「いえ――それよりマモルくん――だったわね、だいぶ元気になったみたいね?」
ノエが語りかけると、マモルは口元を緩め、はにかむような笑みを浮かべて。
「うん――いっぱい食べてるからね」
「そうみたいね。さっきも言ったけれど、サンドイッチなら沢山あるから、よかったらどうぞ」
男の子は目の前に差し出されたサンドイッチを見下ろし、しかし伸ばしかけたその手を、躊躇いがちに宙で泳がせて。
「いや――その、今はちょっとお腹いっぱいで――ていうか、サンドイッチはもういいかな――」
「あら――そうなの――?」
「うん。ごめんね――お姉ちゃん。僕、今はもうサンドイッチよりもさ――」
男の子は言いながら、サンドイッチへ伸ばされたはずの手を、更に伸ばした。
「――っ!?」
思わず驚きの声を漏らすノエ。少女は咄嗟に男の子の顔を、真っ白な包帯に包まれた蒼白い貌を見やり、その口元から小さく赤々とした舌が覗いているのを見つけて。
「――え――マモル――くん――?!」
ノエの呟きを、戸惑いを帯びたその声を――貫くように、突き刺すかのように、男の子はその指先を彼女の胸元へと添え、そして語りかけるように声を発していた。
「お姉ちゃんの――その心臓を食べたい――かな。
そう、純粋で密度の高い魔力の――根源を――ね?」
○●
――ル区の中央大通りは、逃げ惑う悲鳴に溢れていた。
見上げた快晴の先に浮かんでいるのは、太陽ほどに白く眩い、人間の姿に似た異形。
その異形は両手を広げ、両足を揃え、まるで歌ってでもいるかのように奇声を放っていた。空に広がる重奏は細やかな空気の震えとともに、やがて放物線を描きながら地面へと降り注ぐ。雨の如くアスファルトの大地へと打ち付けられたそれらは、しかし雨とは異なり、流れ落ちることも弾け消えることもなく、ただただ内包する【重力】という概念のままに――すべてを圧し潰していく。
そう、すべてを――ありとあらゆる建物を、車を、構造物を――もちろん、逃げ惑う人間達すらも。
砕けたコンクリートの破片。ひしゃげた鉄板と化した車体。ひび割れた道路の隙間から溢れ漏れ流れている赤い液体と、その周辺に飛散した肉片。
「う――うわあぁぁっ――!!」
惨劇を背に駆け逃げる誰か。そのすぐ後ろを走っていた誰が、潰れた。グシャリ、と生々しく残酷なことを響かせて。ちらと背後を見やるその瞳は、恐怖と絶望に包まれて。
「ヒィッ――!? たっ、誰か――助け――」
悲鳴とともにそれは倒れる。続いて響くのは、苦悶の呻き。その者の身体が、視えない何かが上に乗っているかのように、平たく圧し潰されていく。
「う゛ぐあ゛あ゛あ゛っ――!? が、がら゛だが――づぶれ゛っ――?!」
胴や手足が、そして頭が、そこから発せられる喘ぎ声すら――【重力】により地面へとただ一方的に押し付けられ、めり込んでいき――。
その刹那、白い閃刃がその者が倒れているすぐ真上を掠め流れた。
降り注いでいた【重力】は、その閃刃の薙ぎ払われた部分だけ、ばっさりと【断ち切られる】。
「――大丈夫ですか?」
かけられた言葉は、幼い少女の声で。
「――いや、気を失ってる。でも、命に別状はなさそうだね」
少女のすぐ側に立ち、応じるのは彼女よりもいくらか年長であろう、少年の声。
「そうですか――この人だけでも、助けられてよかった。でも――」
少女は――塚本瑞穂は空を仰ぎ、その視線の先に敵の姿を捉えて睨む。周囲に降り注ぐ【重力】の生み出す波紋が、白いツインテールをはためかせて。
「この非道すぎる惨状――圧倒的に手遅れですが――」
「うん。だからこそ、ここで、この場で――決着をつけよう。これ以上の犠牲は、もう出させない」
少年は――天王寺翔真は、少女の傍らすっくと立ち、己が決意を確かめるように強く拳を握りしめていた。
○●