まどろみに浮かぶ、星降る夜と少女の【夢】
「瑞穂ちゃんたち、大丈夫かしらね――」
惨劇の現場で塚本瑞穂が成田エリスと対峙していたちょうどその時、病室に残っていたノエは心配げに呟いていた。
「だいじょうぶかしら――って、さっき慌てて出ていったお姉ちゃんたちのこと――?」
ひんやりとした白い病室に響く、幼い男の子の声。ノエはゆっくりと視線を下ろし、声のする方を見やる。
病的なほどに白く、蒼い筋の透ける肌。濡れているかのように黒々とした髪。目元と表情とを覆い隠す、ぐるぐると巻かれた包帯。男の子の遮られた視線はしかし見上げられ、ノエへと向けられていた。
「ええ。あの娘たちは今、危険な存在たちをなんとかしようとしているの。だから、怪我とかしてたりしないか、心配で――ね」
「それって――ニュースでやってる奴のこと――?」
男の子が訊きながら小首を傾げる、その時。付けっ放しになっていたテレビから、臨時ニュースを伝える緊迫した声が流れ出した。
『――ネ市――ア区の駅周辺において、突如として通行人や建造物が【潰れされる】という原因不明の現象が発生しました。死者は現在確認されているだけで26名――。
数時間前に――キ区の大通りでも同様の現象が発生しており、当局はテロの可能性も視野に捜査を進めています。また、現場付近では正体不明の白い飛行物体が複数人に目撃されており、一部識者からは、何らかの未確認生命体により引き起こされた現象ではないかとの指摘も――』
「――また別の場所で――被害が――?!」
ニュースを聴き、ノエは驚きと茫然とが綯い交ぜになったような声で呟いた。
その様子を静かに見上げて、男の子はぽつりと言葉を発する。
「さっきのニュース――だけど、実はね――僕もその白い奴にやられたんだよ――」
「えっ――貴男――が――?」
ノエはテレビへ向けていた視線を、男の子へと戻した。男の子はやはり包帯と蒼白い肌に包まれた顔で、プールから上がったばかりのような艶の濃い黒髪を揺らして、幼い子供の声でノエへと語っていた。
「アナタ――って。ああ、そういえば、僕の名前、まだ言ってなかったっけ。僕の名前はね、羽田マモルっていうの――」
マモルと名乗った男の子は見上げたまま、包帯に覆い隠された視えない視線をノエの顔へと向けたまま、ぐいと一歩、少女へ胸元へと近づいて囁くように。
「でもね、僕が知っている僕のことは、そのくらいしかないんだ。この名前だって、つい最近、ようやく思い出してきたくらいなんだもの――」
「あ、貴男――いえ、マモルくん――? 思い――出してきた――?」
「そう――あの夜、ベッドに横たわって、夜空を見上げていた僕は――闇夜を突っ切る白い光を見つけたんだ。
何かを考える暇もなく、何かを感じる余裕もなく――すぐその後にやってきたのは、身体が潰れるほどの【重み】――覚えているのは、思い出せるのは、それだけ。潰されそうな、その間際に抱いた●●●だけ――」
マモルは言いながら、背伸びをする。少女の脇のあたりに、もたれるように少年の頭が触れ、微かな消毒液の匂いが、ノエの鼻を掠めて。
「――今の僕にある記憶はそれだけ。親がいたのか、友達がいたのか、兄弟がいたのか――今の僕にはわからないんだ――。
たぶん、僕はね――その白い光に、やられちゃって――」
棒読みのように呟きを続ける男の子。その距離は更に縮まり、不意に少女の手を握り、ぐいと間近に迫ったその表情はしかし、両目を覆う包帯によって窺い知る事はできず。
「だからね、お姉ちゃん――」
幼い声とは不釣り合いな、艶めかしいマモルの吐息が、ノエの耳元をくすぐる。
「――ユキナ――ダメだ、それは――」
突然の声。マモルはピタリとその動きを止め、そして静かに包帯に覆われた視線を声のする方へと向ける。ノエもまた、同じ方向を見やった。
白いベッドに横たわる少年――天王寺翔真が魘されている。悪夢でも見ているかのように眉間にシワを寄せ、歯を食いしばって、譫言のように苦しげな寝言を漏らして。
「――その先は――ユキナ――いけない――」
聞きながら、マモルはふわりとノエから離れる。肩を竦めて、小首を傾げて、幼い体躯をすべてを使って溜息をついて見せて、そして一言、呟いていた。
「ふぅ――そこのお兄さん、ずいぶんと大きな寝言だね――?」
○●
夜の空に降り注ぐ、光のカーテン。
次々と、止め処なく、そのひとつひとつが星であるとは思えないほどに数多くの、流れる粒子。
朧気なその映像は、まるで夢のようで、しかし、それは間違いなく、いつかの過去で見た事のある光景。
不意に話しかけてくるその声もまた、聞き覚えのあるもの。かつて、ここで交わした会話。
『――流れ星にお願いごとをするとね、【天使】がそのお願いを叶えてくれるんだって――アシャくん、知ってた?』
それは少女の声。横に腰掛けて、夜空に流れ続ける星々を見上げて、彼女は呟くように話しかけてくる。
あの時、何と応えたのだろうか。知っていると応えたか、知らないと応えたか――それとも、別の――。
滑らかに言葉を紡ぐ薄桃色の唇に、透き通るように眩しさすら覚えるほどに白い頬。肩甲骨のあたりまで伸びた白銀の髪をさらさらと靡かせ、星々を見つめる紫紅色の瞳をキラキラと瞬かせて、少女は喋り続ける。
『それにしても、本当にキレイだよね――ところで、あなたは何かお願いごとをしたの――?』
その問いには、何と返したのだろうか。不意に少女は振り返り、白い顔を仄かに赤らめて。
『そうだね――私は――』
その時、視界を裂くように、一直線に星が墜ちる。目の前に。少女のいた場所に。
光が、視界いっぱいに広がり、覆い尽くす。
そこで、意識は途切れた。
――。
――――。
――夢の中で意識を失うということはつまり、夢から醒めた――ということ、か。
――とても長い間、夢をみていたような気がする。
夢の中ではなく、過去の記憶の中でもなく、今、現実の中で。
戻りつつある意識の中で、次第に聴こえてくるのは、何かを伝える声。すぐそばにある何かから発せられているのだろう、ニュース音声。
『犠牲者――は――200――超え――』
そして、僕は、目を開いた。
瞼の開かれた先に、僕の視界に、まっさきに飛び込んできたのは、こちらを覗き込むような少女の顔。
蒼いツインテールに白い肌。小柄で幼くも、大人びた雰囲気を漂わせる物憂げな表情と、その中で涙に潤んできらきらと光を揺らす紫紅色の瞳。
それは、まるで先程まで夢に見ていた彼女のようだと、とてもよく似ている――と、僕は思った。
○●