或るところの方髄-創造しさに対する討論1
本著の執筆にあたって、実在性諸君に多大なる影響を及ぼすことを、ここに友人の頭蓋を借りて謝る。
未定義された空間が蠢いている様を座礁空間に"著す"*0と呼ぶ。
ここで資料に射すもの、ex)赤石を暫定された斜間、ミルガンの滑らかさ、そのシニフィアンなど
かつ十分な大きさをもった価値判断*1の中でも、中立性を以て、所持しているものに対しては、なぜそれぞれにS字対応表の未項目が対応しうるのか。
S字対応表……全てについての暫定的結論。Sというのが変数としての役割を超越した経緯にについては、[特権的下位意識の挫傷]の第二稿を参照の事。簡素な説明をすると全ての暫定的結論*2を、無限性を保つ形で量子プラスチック紙に延写したところ、フラクタルにS字型の完全な円になったことから。
故に変数名の有意性は保たれたまま、厳密な意味でS以外の有意な使用が不可能になったのである。
S字対応表はその性質から自明にコンスタントの存在を導く。これによって未来が実在することの証明が実在性全般の証明より先になされた事は記憶に新しい。が、しかしやはりそれは過去の実在までは説明しないのである。(フォルクレドス=ミーガルシアの匕首可能性の定理)
話を戻そう。S字対応表の"単に可能的にあるわけではない"(alter-advolcyを満たす)用法と対応することが証明された*3これが"矛盾でさえない"無いことを当時の物理学者、月斜康博*4はこう述べている
「表象と実在の二分さえも人間の主観的趣きであり、グラデーションであるというのは、昨今の操作幾何学者にとっては最早ありふれた話に成り下がっていたし、他の分野でも勿論そうであることが証明されている。しかしこれはあくまで前提の再確認であり、いくらシームレスといえど"実際に"主観の領域に参入する要素であることを可能性として留保するように、まるで流れ去った滑走路が点在に偏在を繰り返すさまを直近で"必ず観測可能"であることを実感しつつ悟っていなかった。現れたのだ、最善説に依らないような予定調和が。それは理解できない事だった。間違っていないのに、それに対して私たちが語ることは能わぬこと……」
月斜の問題意識は未使用のラップトップ問題に還元できる。それは還元主義が敗北したためだ。
即ち、入力aに対して、"必ず複数回同じ値にはならない"bという項が少なくとも一つ存在し、かつ、現にメタ的に"ある程度この世界と同条件の"何百の世界が実際に終わっているという空間を想定し(これはありとあらゆる理論のドグマを逃れる)、不能性を演繹するような状況の想定は、形式科学の問題ではなく、むしろ自然科学の問題であるということだ。
これを解決するのが"著す"行為である。それは長年の実験結果から、"この世は実験結果とは必ず逆の事が起きる"という事が証明されたためである
或るところの方髄-創造しさに対する討論2に続く。
*0……(huxys iayeyh。0147年)
*1……その範囲内においての大小は問題ではない
*2……全てについての暫定的結論を、ではない
*3……これは言い換え以上の意味を含まない
*4……水上推測理論の提唱者。一切比喩ではなく何一つ人生で業績を残さなかったため、
虚無空間として可能世界のすべてを掌握した物理学者の一人である。