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鳥になりたかった少女  作者: 葉里ノイ
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第八章『失』/終章

  【第八章 『失』】


 少女は、空を舞う蝶のたった一人の肉親だった。

「姉様! エラル姉様!」

 地面に這い蹲る人間達に胡蝶姫と名付けられた少女エラルは、実妹の呼ぶ声に微笑む。少女は姉に自分の名前も呼んでほしいと願っていたが、それは終に叶わなかった。エラルは生まれた時から声帯が弱く、少女が生まれる前に完全に声が出なくなった。だから少女は、エラルの声を知らない。とても綺麗な整った顔立ちをしていたので、きっととても美しい声なんだろうと想像する毎日だった。少女は両親の顔を知らない。八つ離れたエラルが姉であり母だった。少女はエラルに守られ、違界で生きていた。自分よりずっと弱い姉に守られて。

 エラルの弱さを知っていたのは、少女と、よく面倒を見てくれていた技師だけだった。エラルは声の他に足も弱かった。年を重ねるにつれ、次第に歩けなくなっていった。違界で思うように動けない者は、足手纏いだった。躱せるはずの攻撃も躱せず、エラルは右眼を失った。技師は義足にすることを勧め、金はいらないから義眼も作ってあげようと言ってくれた。でもエラルは首を振った。カラの眼窩には眼帯をつけ、長時間は歩けない足を引き摺りながら、ある日、植物を取ってきた。少ない植物だったが、義眼と義足の代わりに、空を飛べる翅を作ってほしいと言った。エラルが十一歳の時だった。

 空の怖さは、当時三歳だった少女も知っていた。障害物のない空で身を踊らせるなど自殺行為に他ならない。声を失い片眼も失い足も碌に動かないエラルは、目立つ空で皆に見上げられ死のうとしているのか?

 けれど理由は少し違った。

 エラルは、この体はどうせ長くは持たないと、だったらせめて誰かの役に立てたらと翅を欲した。技師は植物を受け取り、承諾した。その時ぼそりと「偽善者」と言った。当時の少女にはその言葉の意味はわからなかったが、今ならわかる。でもあれは偽善なんかじゃなかった。

 空を自由に飛び回れるように、いざという時はすぐに逃げられるように、技師は機動力のある翅を作って与えた。とても大きな、蝶のような綺麗な翅だった。

 空を舞う練習を積み、初めてエラルが空を舞った日、地の人々は奇異の目で空を見上げた。生身の人間が優雅に空を舞うなど、ありえない光景だ。最初は何か兵器でも負っているのかと恐れられたが、やがて、ちらほらと空へ目を向けさせ人々を守っている蝶のような姿から、胡蝶姫と呼ばれるようになった。地面では碌に動けないエラルが、空では自由に動き回れる。嬉しいのかもしれない、と少女は思った。人々を守っている姉を少女は誇りに思い、いつか撃ち落とされるのではないかと不安も抱えた。

 地上から空がよく見えるように、空からも地上の人々がよく見えるらしく、エラルはよく、ある少女の話をした。話と言ってもエラルは喋れないので、筆談だ。ある少女はエラルの姿を見つけては物陰から姿を現し手を振るのだという。なんて無防備で警戒心のない奴なんだろう、と少女は思ったが、そんな奴は勝手に死ねばいい。と思っていた。わざわざ助けてやらなくてもいい。

 エラルが空を舞う時は、最初は心配でこっそりとついて行っていた少女だったが、上手く攻撃を躱すエラルを見ている内に、大丈夫なのではないか? と安心を覚えるようになった。それからは空に行くエラルを見送り、帰ってくるエラルを迎えるという日課になった。

 だがそれは、たった三年のことだった。ある日エラルは一晩経っても帰ってこなかった。心配ではあったが、きっと帰ってくると思い、少女は待っていた。しかしもう一晩経っても、エラルは帰ってこなかった。何かあったのだと思った。困った時には相談していた技師は、別の用ができたと言って、暫く会っていない。一人で何とかするしかないと、少女はエラルを捜した。そこで風の噂で、胡蝶姫は死んだ、と耳にした。嘘であってほしいと願った。だが現実は無慈悲だった。エラルのものと見られる眼帯と翅の欠片と、血痕を見つけた。近くに死体らしきものはなかったが、誰かが処理したのかもしれない。生身で飛ぶエラルが珍しく、何処かの技師が回収したのかもしれない。

 その後、エラルを殺したという者に会った。ふらふらと彷徨っていたところ、自慢気に語る者がいたのだ。ああ、最期に姉の死に顔も見られなかった。

 エラルを殺したという者から状況を聞き出し、そいつはすぐに殺した。それでエラルを殺された気持ちが晴れるわけではなかったが、そうしないと気が済まなかった。その者は、エラルはある少女を庇って死んだと言っていた。ある少女は『椎』と呼ばれていて、違界でも珍しい淡い紫の髪をしていると言っていた。そいつがいなければ、エラルが死ぬことはなかった。そいつさえいなければ、あの日もエラルは少女の元に帰ってきたのに。

 いつしか椎という少女も、少女の中ではエラルを殺したということになっていた。だから、許さない。

 エラルが胡蝶姫と呼ばれるようになってから、慕う者が集まりコミュニティが結成された。そのコミュニティの者達も、椎がエラルを殺したと嘆いた。行き場のない感情を全てその少女にぶつけることで、統制を保っていた。

 その中で、コミュニティに属していながらいつもコミュニティの外にいる男がいた。それがコルだ。コルは少女より四つ年上で、少女には兄のような存在だった。どうしていつも外にいるのか、一度だけ訊いてみたことがあった。その時コルは「不毛」と答えた。それでもコルは今もこのコミュニティに属している。少女の傍らで、少女を守っている。エラルのように、死なせないために。口出しはせず、ただ黙って傍にいてくれる。

 それに甘えているわけではないが、コルがいなければここまで椎を追い詰められなかったかもしれない。



 コルが先陣を切り、周囲の壁を破壊しながら突き進む。椎達が逃げた場所はわかっている。首輪から発せられる電波を追い、道を切り開き、石畳に降り立つ。

「よぉ、待たせたなぁ!」

 大剣を振るい、ルナ達の前に姿を現す。ルナ達は構えるが、その刃がルナ達に届くことはなかった。

「っ!?」

 コルの側頭部に銃口が突きつけられていた。

「お前っ……」

「灰音は?」

 建物の陰に潜んでいたのか、人数の多いルナ達の方に気を取られ、反応が遅れた。それに椎は両脚を失い、動けないはずだ。先程ごちゃごちゃと脚を弄っていたようだったが、この短時間で脚を直してしまったのか?

「灰音ぇ? 一人で残った死に損ないのことか? 一度瓦礫に埋まったんだぜ? 全身の骨がやられてるに決まってんだろ。動けねーでその辺でくたばってんじゃねぇの?」

 ゴリ、と強く銃口を押し当てられる。本気か威嚇か知らないが、引くわけにはいかない。

「……殺してないならいい」

 椎は銃口を当てたまま、コルの視界に入る。

「私のこと、わかる?」

「は……?」

 唐突な質問にコルは眉を寄せる。わかる、というのは何だ? 名前ならわかるし、殺す対象だということもわかっている。それ以上に何がある?

「確かあの時名乗ったはずなんだけど……偶然同じ名前なだけだったら、気にしないで」

「あの時? あの時って何だよ」

 話し合いでもして解決しようと言うのか? 無駄なことを。だが何か考えがあって話し掛けているのだろう、どうせこれから死ぬんだ、命乞いだか悪足掻きだか知らないが、少しくらい話を聞いてやってもいい。

「八年前、地雷原で」

 そこまで聞いて、コルは椎の言葉を遮った。

「――あー! え、何? お前、あの時のあいつ? 珍しい色の髪だから引っ掛かるところはあったが……両脚斬った時も、あ、こいつ義足だなって思ったが……マジであの時のお前? あ、名前は忘れてた、すまん」

 思った以上の反応に、椎は目を瞬く。ルナ達も唖然としている。

「まさかこんな所で会うとはな! いや俺が追いかけてたんだが。おい、銃下ろせ。命の恩人に刃は向けねぇよ」

「……」

 からからと笑うコルに偽りはないと判断し、椎は恐る恐る銃を下ろした。

 あっさりと折れたコルに、さすがにこれは拍子抜けだとルナ達は顔を見合わす。何か企んでいるのではないかと勘繰ってしまう。

「お前は! さっきまで本気で椎を殺そうとしてたのに、そんなすぐに掌を返すのかよ!?」

 挑発とも取れるが、ルナにそのつもりはない。ただ純粋に疑問に思っただけだ。

「へぇ、面白いなお前。まあいいけど。胡蝶姫の敵討ちってことでこっちの世界に来たが、俺は別に仇を取りたいとか、そんなことは思ってねぇ。コミュニティの奴らが乗り気だったから乗っただけだ。他意はない」

「じゃあお前は裏切るのか? あの胡蝶姫の妹だって人を」

 コルはルナを見下ろす。話を何処へ持っていこうとしているのか読めない。

「裏切るわけじゃない。椎は殺さないってだけだ」

「あの人は椎を殺したがってるんだろ? それを殺さないって言うなら、裏切ってるようなものじゃないか」

「あ? お前はそんなに他人を尊重してぇのか? 俺は俺がやりたいことをする、やりたくないことはしない。殺したくねぇから殺さない。そこにあいつの意見が挟まれる余地はねぇ」

「それなら……あの人が椎を殺そうとしたら、どうするんだ」

「お。それは少し難しいな」

 大剣を肩に担ぎ、うーん、と唸る。真面目に考えているのかわかりかねる。揶揄されているのかとルナは思う。

「そうだな、あいつの攻撃を防いで、椎は殺させない。あいつも殺さない。一応俺の所属するコミュニティのボスだしな」

「……さっきからお前が言ってるコミュニティって何だ?」

「こっちの世界ではそういうのねぇの? 信用に足る少人数のチームだよ。個人で過ごすより生存率が跳ね上がる。違界では幾つもコミュニティがあって、所属してる奴が多い」

 コルの言葉が引っ掛かる。

「そのお前の所属するコミュニティが、たった二人ってことは……」

「ああ、ねぇな」

 それを合図にするかのように、怒号と轟音が響き渡った。



「裏切り者がああああ!!」

 椎は銃を向けるが、止まらない。躊躇いもない。物陰で様子を窺っていたのか今到着したばかりなのか、両手の指では足りない数の人間がそれぞれ赤い蝶の模様の入った防毒マスクをつけ、武器を手に襲いかかってくる。威嚇にと発砲するが、当てないことがわかっているのか、当てられても構わないと思っているのか、動きに変化が見られない。

 その防毒マスク達にルナとヴィオはハッとする。最初に椎を見つけた時に襲いかかってきた人間と、同じマスク――。

「俺は殺すつもりはないんだけどなァ」

 ごきりと首を鳴らし、椎を抱えコルは飛ぶ。

「えっ!? わっ、わあ!!」

 建物の上へ跳び、ルナ達より後方に退避する。

「おいお前ら! 俺は戦わねぇから、お前達で何とかしろ! 何とかしねぇと、お前らも死ぬぞ!」

 容赦のない言葉がルナ達に降りかかる。数の上では完全に不利だが、ここでルナ達が立ちはだからなければ、コルは戦わないと言うし、逃げるしかなくなる。逃げても埒が明かないことは今まで逃げていてわかった。戦わなければならない。

 武器のないルナは工具入れから武器になりそうな錐を取り出し握る。こんなもの気休めにしかならないかもしれない。でも、ないよりはマシだ。

 アンジェも鉄パイプを構え、宰緒も銃を確かめる。ヴィオは後退し、震えながら魔法玉をお守りのように握り締めた。

「数が多い。僕一人では守りきれないかもしれない」

 ナイフを構え、黒葉は腰を落とす。弱気な言葉にヴィオは震えが止まらない。

「くっ、黒葉! そう言わず善処お願いします!」

 思わず敬語になる。

「情けないなヴィオは! ちゃんと守ってあげるから、物陰にでも隠れてて」

「アンジェかっこいい! 惚れる!」

「冗談が言えるなら大丈夫かな」

 武器を構えた人間達が一斉に襲いかかってくる。飛来する銃弾には黒葉が防弾壁を張る。防弾壁を張っている間はこちらも攻撃ができないので、タイミングを合わせ壁を解除。

 アンジェは鉄パイプを握り締め石畳を蹴る。横薙ぎに敵を払ってゆく。だがやはり負傷した腕を庇っている。その隙を埋めるため、黒葉は小さな刃を幾つも形成し、援護するように戦う。

「違界の人って言っても、体の作りは私達と同じでしょ? 殴られれば痛いし、動きだってそんなに人間離れしてるわけじゃない」

「少なくともこの中に、人間離れしているような者はいないな」

 それはいくらでも技術でカバーできるが、それだけ金を積まなければならない。違界で金を積むのは難しい。生身ではあちらもこちらもない。どちらも普通の人間だ。

 アンジェと黒葉を躱した敵は、ルナと宰緒とヴィオに襲いかかる。宰緒は慣れた手つきで銃を扱い、足を狙い撃つ。ルナも腕や脚を狙い、錐を下ろす。生々しい肉を突き刺す感触に手が震えるが、同時に、殺さなければ殺されるという違界に蔓延した思考がわかった気がした。そんなもの、わかりたくないのに。

「うわあああああ!!」

 人を傷つけるための道具ではないのに、ずっと工具入れの中にあって、何かを作るために使っていた道具を何故人を傷つけるために使っているのか。どうしようもないのか? どうしようもなければ、こんなことに使っていいのか? 殺されるから? これは正当防衛なのか?

 疑問を抱きつつも、ルナは錐を振るう。柄に血が伝い、自分の手を汚す。寒気がした。震えが止まらない。呼吸が荒くなる。

 隣で銃を撃っていた宰緒はルナの異変に気づく。様子がおかしい。宰緒も銃で傷つけているが、ルナのように感触が直接手に伝わるわけではない。鈍い感触と傷口を直接間近で見なければならない、精神への負担。発狂するかもしれない。それでも、やめろ、とは言わなかった。薄情だろうか。だがそんなことを言う余裕はないし、何だか面倒だ。やっぱり薄情かもしれない。

 視点も定まらずフラフラと鋒を彷徨わせるルナに、衝撃が走る。

「だっ!?」

 頭に何かがぶつかった。我に返り頭を押さえると、こつんと地面に小石が転がった。

「え……?」

 状況が呑み込めず困惑するルナに、頭上から更に声が降る。

「おいお前、もうやめとけ。呑まれかけてんぞ」

「!」

 椎を抱えたままのコルが大剣を屋根に突き立て、空いた手で小石を遊ばせていた。抱えられている椎も、心配そうな顔でルナを見ている。

「人を殺すどころか傷もつけたことねぇ奴が頑張ってんじゃねぇよ。お前も後ろに下がってろ」

「皆が戦ってるのにそんな」

「あァ? 皆が戦ってたらお前は戦うのかよ? じゃあ皆が死ぬって言ったらお前は死ぬのか? はっ、んな度胸もねぇクセに、やめとけやめとけ。お前は戦うことには向いてねぇよ」

「お前に、何がっ」

「戦えねぇ奴が戦おうとするのが一番足手纏いなんだよ。後ろで隠れてるお前の仲間の方がよっぽど利口だね。足手纏いは皆の足を引っ張らないことが仕事でっ!?」

 椎の肘鉄がコルの胸に入った。

「――この、何すんだ、ゲホッ」

「ルナを虐めないで! ルナは足手纏いなんかじゃない! 私を助けてくれた、凄い人なんだから!」

「? あ、義足直したのって、もしかしてあいつ?」

「そう! ルナとサクが直してくれた!」

「へぇ、あいつがねぇ……技師とはなぁ」

 興味があるのかないのか曖昧な相槌を打つ。

「――ま、何でもいいわ。おいお前ら、そろそろそいつら片付けちまえ。ボスが来る」

「!?」

 ボスというのは、コルの所属するコミュニティのリーダーであり、胡蝶姫の実妹である、あの少女だ。

「何でそんなことわかるんだよ」

「何でってそりゃあ、見えてるからじゃね?」

 その言葉に、一斉に空を仰ぐ。同時に黒葉は防弾壁を展開。違界の雨のように、弾丸のように突き刺す機械蝶の群れが降る。

「何だ、もう捕まえたのか。さっさと殺してしまおう」

 機械蝶の雨を降らせながら、少女はコルに話し掛ける。蝶の群れが厚すぎて少女の姿がよく見えない。

「あ、そのことなんだけどな、俺はこいつを殺せなくなった」

「? どういうこと?」

「こいつ、俺の命の恩人なんだよ。だからお前にも殺させない」

「裏切る、ということ?」

「どいつもこいつも裏切る裏切るって、んな単調な考えしかできねぇのかよ、はぁ」

 溜息を吐き、やれやれと頭を振る。

 途切れない蝶の攻撃で、ルナ達は身動きが取れない。防弾壁を張っている間はこちらから攻撃もできず、壁を解けば蝶の攻撃を受けることになる。守るために固まって行動していたことが仇となった。

「――で、そいつはどうするんだ?」

 蝶の奇襲で、声しか聞こえない。そいつ、とは一体誰だ?

「まさかあなたが裏切るとは思わなかったが、こいつが役に立ちそうでよかった。人質にする」

「俺に対しては人質の価値なんてないけどな? 俺は椎が殺されなければそれでいい」

「そう。じゃあ、今防弾壁の中に閉じ籠ってる人達は? 殺してもいい?」

「俺は別に構わねぇ」

「駄目!!」

 淡々とした身勝手な遣り取りに椎が割って入る。

「皆……皆、殺しちゃ駄目!!」

 コルに抱えられながら、椎は少女に向かって銃を構える。椎には人は殺せない。構えただけで、当てる気はない。でも、もし……もし誰かが殺されるのなら、当てずに後悔はしたくない。宰緒のように、足を撃つ。今までも、足程度なら何度も撃った。

 椎の覚悟が目から読み取れたのか、少女は表情を変える――不敵な笑みに。その一瞬、蝶の段幕が弱まる。少女に捕らえられている者の姿が、はっきりと見えた。

「ロレン……!?」

 何かされたのかロレンの意識は朦朧としているようで、視線がぼんやりと虚ろだ。

 防弾壁の中からの声に、少女は一瞥する。

「この人は私の擬態を見破った。それは褒めよう。でも、余計なことだった」

 ロレンは、リタの様子がおかしいと言っていた。そのリタに少女は擬態していたのか。なら、リタ本人は何処に――?

「じゃあまずはこの人を盾に、防弾壁の中の奴らを殺そう」

「ぼっ、防弾壁を破るなんてこと、そんな蝶にできるわけ……」

 ロレンを盾にされれば、椎は撃つことができない。でも今まで蝶を防いできた防弾壁が今更破られるとは思えない。はったりだろうか? それとも、戦車の砲撃をも凌ぐ武器でも持っているのか?

「あいつら死んだな」

「え?」

 恐る恐るコルを見上げる。冗談で言ったわけではなさそうだ。

「あいつのあの蝶、紫蕗が作った奴だ。名前くらいなら知ってるだろ?」

「紫蕗……が……?」

「誰が言い出したかは知らねぇが、天才とはよく言ったもんだぜ。本気出せばあんな小さい蝶でも防弾壁をぶっ壊す」

「そんっ……」

 慌ててコルの腕から抜けようと、ルナ達を助けようと足を動かすが、間に合わない。

「さよなら」

 高く手を上げ、少女は手を振り下ろした。

「――――っ」

 土煙が上がり、見えないはずの防弾壁が割れるのが見えた気がした。周囲の白壁が衝撃で崩れ、石畳を穿つ。

「ぁ……」

 銃を構えていた腕が、だらりと垂れる。

「ルナ……サク、ヴィオ、アンジェ、黒葉……み……皆……」

 口元が震える。皆、椎が巻き込んだ。椎がこちらの世界に来なければ、こんなことにはならなかった。

 瓦礫の隙間から赤い鮮血が滲む。誰のものだろう。誰のものなのだろう?

 違界のことを話しても、椎のことを温かく迎えてくれた皆が、椎の所為で。

 皆、優しくて、守ってくれて、義足を直してくれて、戦ってくれて……

「わたっ……わたしっ……」

 空が飛べると言って海に跳んで、落ちて、ルナが助けてくれて、泳げない私を助けてくれて、色々教えてくれて、迷惑ばかりかけた。迷惑しかかけられなかった。だから何か、助けたいと思った。守ろうと思った。ルナの盾になって、でも結局、足を直してもらって、また助けられて……死んだら、死んじゃったら、


 どう助ければいい?


 だらりと四肢を垂らしていた椎は、焦点の定まらない虚ろな目で少女を見る。

「!?」

 少女は、背筋が凍りつくのを感じた。この暑い真夏に寒さを感じる。とても寒い。

 椎は両手から銃を放して仕舞い、屋根に手を伸ばす。

「わっ!?」

 足を振り上げ、するりとコルの腕から抜ける。いや、足を振り上げるというより――浮いた?

 椎は屋根に手をつきくるりと回転、屋根から手を離すと同時に再び両手に銃を形成する。その銃口は、まっすぐに少女へ。


「死ねよ、愚図が」


 咄嗟のことで、ロレンの盾が間に合わない。必死で身を捩り、少女は辛うじて弾丸を躱す。

「なっ……」

 今確かに、頭を狙った。

 威嚇でも何でもない。

 殺す気だ。

「次は当てる」

 赤く染まる虚ろで冷ややかな双眸が、少女を突き刺す。何が起こったのかは定かではないが、今の椎には人質が意味をなさない。人質という荷物を抱えていれば、こちらの動きが鈍くなる。不利だ。ここは人質を捨て、全力で椎を殺しにかからなければならない。

「な、何だお前、二重人格って奴か? 性格変わりすぎ……」

「邪魔するな」

 状態が呑み込めないコルは迂闊に手を出すこともできない。椎の目つきが明らかに先程までと異なる。同じ人間なのに、まるで別人のようだ。別人だとすれば、殺しなどしたくない椎は、今のこの行動を知らないということか? このまま放っておいて誰かを殺して、それを先程までの椎が知ればどうなる?

「おいっ」

 呼び止めるも、椎は銃を構え屋根を蹴る。

「足に何か仕込んでやがるのか……?」

 椎の滞空時間が妙に長い気がする。

 少女はロレンを捨て、機械蝶を周囲に呼ぶ。まるで花片を纏うかのように。

「遅い」

 薙ぐように蝶を銃で払う。少女を守るように舞う蝶の隙間から的確に撃つ。

「くっ」

 肩に当たった。

「姉様だけでなく、私も殺すのか」

「その姉の元に逝けるなら、本望だろう?」

 機械蝶では椎を止めることができないと悟る。なんて――


 なんて、脆いんだろう。


 少女の頭から、鮮血が散る。

 かなわなかったのか。仇討ちは、かなわなかったのか。

 黙って見ていてよかったのか? 止めるべきだったのか? コルは大剣に掛けた手を弛める。一線を置いていたとは言え、自分の属していたコミュニティのリーダーを見殺しにした。

「フレア……」

 ぽつりと漏らした一言に、少女――フレアが、笑った気がした。頭を銃で撃ち抜かれ、白い屋根に倒れていく。意識の届かなくなった蝶が少しずつぱたぱたと落ちる。

「初めて……名前を、呼ばれた……」

 少女の名前を知る者がいなかったわけではない。だがコミュニティの人間には、リーダーやボスと呼ばれ、名前を呼ばれることはなかった。胡蝶姫が健在の頃は、あまり人と接することはせず、コミュニティの人間とは胡蝶姫を通して話していた。面倒を見てくれていた技師も、名前は呼ばなかった。胡蝶姫――エラルも、声が出なかった。でもいつか声が出るかもしれない。声が出ればきっと、名前を呼んでもらえるだろう。そう信じていた。だが、叶わずいなくなってしまった。誰も名前を呼んでくれない。呼んでほしいとも言えない。呼んでもらえるかわからない名前を名乗るのも怖かった。もう自分の名前なんて、忘れてしまおうと思った。誰も呼ばない名前なんて、必要ないと思った。

 それが最期に、意味をなした。

 仇は討てなかったのに、満たされた気がした。とても、気分が良い。頭を撃たれて、きっとおかしくなったんだ。死ぬのに気分が良いなんてあるはずがない。

 白い屋根に落ち、弔いの花のように機械蝶が散る。虚ろに開かれた目にはもう、光はなかった。

 美しく儚い光景に、椎の虚ろな瞳から涙が流れた。力を失った手から、するりと銃が落ちる。

「おいっ……」

 椎の体も傾く。コルは慌てて屋根を跳び、椎の体を支える。怪我をしたわけではなさそうだが、気を失ってしまったようだ。ひとまずほっとし、地面に目を遣る。潰れた瓦礫の周りにコミュニティの人間が様子を窺うように集まっていた。蟻のように集まる人間達を冷めた目で見、コルは一歩前に出る。

「ボスは死んだ! 新しいボスを決めるか、このコミュニティは解散だ。まだ椎を殺したいって奴がいるなら、俺が相手になる」

 コミュニティの人間は顔を見合わせ、焦ったように武器を仕舞った。コルの大剣は、置いておくだけで威嚇の効果がある。

 顔を見合わせるコミュニティの人間から瓦礫に目を移す。また瓦礫が軽くなったりしているかもしれないと破片の一つを蹴ってみるが、軽くはなかった。

「全員下敷きになって死んだか。ご愁傷様」

 感情の籠らない声で呟いた。

 そして今この場で意識がはっきりとあるのはコルだけだと気づく。

「あ……この後片付けもしかして俺一人でやんの?」

 騒がれないようここの住民達にはおとなしくしてもらっていたのだが、破壊した建物を瞬時に元に戻す術などはない。派手に破壊した建物や瓦礫は放っておくとして、死体は片付けなくてはならない。この世界の人間ならともかく、違界の人間の死体を放置しておくわけにはいかない。この世界の戸籍がないのだから。

 椎とロレンを安全な場所に下ろし、瓦礫の下から死体を引き摺り出すため大剣を形成する。腕で退かせられない瓦礫は大剣で砕いて退かせる。

 血の滲む瓦礫の下から死体が出てくる。コミュニティの人間も何人か潰されたようだ。あまり気分の良いものではない。違界では死体は見慣れたものだが、何も感じないわけではない。ほんの少し前まで元気に動いていた人間が、変わり果てた姿で転がっているというのは、何度見ても嫌なものだ。

 石壁の破片を砕いていると、椎の義足を修復したという少年がごろりと出てきた。

「……」

 憐れなものだな、と思ったが、何かおかしい。瓦礫の下敷きになったにしては、死体が綺麗すぎないか? 一滴も血が零れていないように見える。どういうことだ? 大剣の鋒を持ち上げ、体を突く。意識があれば、刃の先が刺されば痛いと感じるだろうが、意識云々以前に、体に刃が刺さらない。

「硬ぇ……」

 いっそ真っ二つにするつもりで刃を振り下ろせば何かわかるだろうか。両手で柄を握り、胴にコンコンと刃を置く。

 振り下ろすために大剣を振り上げようとした時、少年の体に異変が起こった。

「?」

 刃を置いていた箇所から亀裂が走ったのだ。まるで卵から雛が孵るように、罅割れていく。違界でもこんな現象は見たことがなかった。死体が硬くなることは知っているが、これは硬すぎるし、硬直が早すぎる。それに罅割れるなんて聞いたことがない。

 罅割れた中で、ぴくりと何かが動く。

 これは異常だと思ったコルは真っ二つにする寸前で刃を止める。こつんと少し体に触れたが、たぶん問題ないだろう。たぶん。

「っ!」

 ぱきぱきと殻を破るように中から腕が生え、寸止めされた大剣を見て目を見開いている。互いに状況が理解できず沈黙が流れる。

「お前……生きてんの?」

 沈黙に耐えかね、コルが先に口を開く。少年はゆっくりと頷いた。

「そりゃよかった。えーっと、名前、何て言ったっけ?」

「……青羽ルナ、です」

「あー、そうそう、そんな可愛い名前だった。――で、どういうことだこれ? 瓦礫の下敷きになっても無傷って、おかしいだろ」

 適当にうんうんと相槌を打ち、コルは大剣を引く。

「他の皆は……」

 体に纏った透明なガラスのような殻を払い落とし、体を起こす。本当に傷一つない。ルナ自身もそれが不思議なのか、きょろきょろと自分の肢体を確認している。

「他の皆はまだ瓦礫の下だけどよ、俺は死体の処理をしようと思ってたんだが、生存者の発掘に切り換えた方がいいのか?」

「えっ……瓦礫の下……」

 辺りが瓦礫で覆われていることにルナは気づく。慌てて立ち上がり石畳の破片に手を掛けるが、微動だにしない。

「やめとけやめとけ。素手じゃ無理だ。危ないから下がってろ、俺が発掘してやっから」

 大剣を構え直し、大きな破片に向き直る。それでもルナはその場に座り込んだまま動かない。放心しているのだろうか。

「おい!」

 大声を出して注意を向けさせ、目で椎とロレンを指す。ルナは視線を辿り、椎とロレンの姿を捉えると、バネのように立ち上がり駆けていった。

 コルは大剣で破片を砕きながら、ルナに何をしたのか尋ねる。

「でさ、お前何で無傷なの?」

 ルナは椎とロレンが生きていることを確認し、安堵しながら答える。

「俺にもよくわからない……です。アンジェが魔法玉を使って、気づいたらこうなってて」

「魔法玉?」

「紫蕗って人が作ったものらしい、です。試作品だって言ってたけど、思いを具現するものだって」

「ふぅん。紫蕗が作ったやつで身を守ったってんなら、無傷なのも不思議じゃねぇかもな」

「紫蕗はそんなに凄いんですか」

「凄いんじゃねぇか? けど今回のことは、意志の強さが出たのかもな」

「?」

「あいつの蝶も魔法玉っつーのも、作った奴は同じ紫蕗で、でも勝ったのはお前らだ。違界の技師の作ったものには大小の差こそあれ魂が宿るって言われてる。その力を引出すためには、その魂を納得させる意志が必要ってことだ。だから使用者や精神状態によっても武器の性能に差が出る。本当に魂が宿ってるかはわかんねぇけどな。比喩ってやつか」

 黒葉が自分の防弾壁に対して『頑張れば』と言っていた理由がわかった。意志の強さが必要なら、頑張れば性能も上がるということだ。

「特に紫蕗に関しては、稀に同調することがあるらしい。あいつの蝶はそんなことにはならなかったみてぇだし、お前の言う玉は試作品だって話だから、同調はねぇんだろうな」

「同調? ――あ、椎の義足も紫蕗が作ったって言ってた……ました」

「お前な……別に無理して敬語使わなくていいぞ。少し前まで敵だった奴に敬語とか使いたくねぇんだろ。俺の方が年上だろうけど」

 ルナは少し迷った後、頷いた。正直な奴だ。

「今ので合点が行ったかも。そいつ――椎はお前らが死んだと思って、精神が義足と同調……いや表層に出てきたんだろうな」

「何かあったのか?」

「椎には言わない方がいいと思うが、椎は、人を殺した」

「!?」

 先程から攻撃が止んでいるのが気にはなっていた。少女からの攻撃はなく、姿も見えない。時々ひらひらと空から機械蝶の破片が落ちてくるだけ。ルナは空を見上げる。風でひらひらと落ちてくる蝶の破片。きっと屋根の上にいるのだろう――

「別人みたいだったぜ? 俺は紫蕗には会ったことねぇが、やべぇ奴だと思った。欠片も躊躇いなんてねぇ、心を武器に取られたみてぇだった」

「……椎は、そのことは?」

「さぁな。でもあいつを殺したら気を失いやがった。記憶がぽっかり抜け落ちてるかもしんねぇ。ま、そっちの方が椎にとっちゃいいかもな」

 誰も殺したくないと言っていた椎が、表層に現れた紫蕗に意識を乗っ取られたからとは言え人を殺してしまったとは、言わない方がいいだろう。

 口を動かしながらも手を動かしていたコルは、地面に大剣を突き立て、汗を拭った。

「こういう繊細な作業は俺には向いてないんだろなぁ。神経殺がれまくりだ。おいルナ……だっけ? 一応全員発掘できたと思うんだが、お前が殻割るか?」

「皆……」

 ルナはコルの傍らに立ち、瓦礫の下から掘り出された四人を確認する。全員透明な殻を纏い気を失っているが、無傷で生きている。

 皆の無事を確認し、殻に触れてみる――硬い。破られた防弾壁よりも頑丈な殻。

「あ……」

 ルナは足元に錐が転がっているのを見つけた。何人も突き刺し傷を負わせた錐だ。何人もの血がまだ付着している。傷をつけるための道具ではないのに、乱暴に扱ってしまった。ルナは錐に付着した血をハンカチで拭う。拭っただけでは綺麗に元通りにはならないが、マシにはなった。

 血を拭った錐を握り締め、殻を割るために突き立てる。




  【終章】


「えーと……やっぱあっちかも」

「何回目だよ……」

「俺の体力がそろそろ限界を……」

 街を派手に壊し回ったコルは死体の処理を一手に受け、催眠のようなものを掛けられていたらしい住人達は瓦礫に囲まれた惨状を目にし混乱した。何が起こったのかは今のところ不明となっているが、原因が大剣を振り回した人間だとは夢にも思わないだろう。更なる崩壊の危険性もあるのではないかと暫くは建物の中でおとなしく様子を見ていたが、何も起こらないことに疎らに外に出てくる人間も増えてきた。まだ戦々兢々としているが、瓦礫の片付けをする者も少なからずいた。

 その瓦礫の間を縫い、ルナ達はコルに導かれ走り回っていた。

「もう手分けして捜した方がいいんじゃない?」

「あと行ってない所は?」

「手当たり次第なのか」

 灰音は生きてはいるが、全身打撲に骨折にと動ける状態ではないため、壊れたルナの家で寝かせている。病院に連れて行くことも考えたが、違界ではこういう時、自分達で治療を施すらしい。病気等の場合は薬が必要になるため、少ない医者を頼ることもあるそうだが。違界の人間はできるだけ他人に頼らずに、自分の身は自分で守れるように、そういう技術を技師から得るらしい。そういう世界で頼られる技師は、やはり凄い。

 迷路のような街の中をあちらへこちらへと走り回り、体力があまりないヴィオと宰緒は音を上げている。立ち止まる度に宰緒は「帰りたい」と漏らしている。

 こんなことになってしまったのは、コルが隠し場所を覚えなかった所為だ。同じような白い外壁が続くこの街を一見で道を覚えることは難しいかもしれないが、少しくらい当たりをつけてくれてもいいのにと思う。真夏の晴れた空の下、水分を補給しながらとは言え走り回るのは過酷だ。だが、フレアが擬態するために隠したリタを一刻も早く見つけてやらなければならない。日陰で読書を嗜んでいるようなロレンにも辛いだろうが、リタのために音は上げない。

「げほ、げほっ」

「あ。ちょっと休憩ー!」

「休憩、賛成ー」

 走り噎せるロレンに飲み物を渡す。『休憩』の言葉にヴィオは真っ先に反応し、外壁に凭れ座り込む。

「俺もう帰りたい」

「サクはコート脱げば楽になれると思うんだけど」

 この炎天下で宰緒はまだ長袖のコートを着ている。脱いだり着たりするのが面倒らしい。それは暑さより勝るのか。

「もう随分捜したからな……そろそろ見つかってもいいはずなんだが」

 同じく長袖着用の黒葉だが、こちらはいくらか涼しげな顔をしている。片手には手袋も嵌めているのに。

「もっと見つかりにくい所があるのかも……わっ」

 気を失っていた椎には、意識を取られていた時の記憶はなかった。人を殺した記憶も。そのことについてルナは黒葉に相談を持ちかけたが、答えは同じ、言わない方がいい、だった。

 椎も黒葉も皆も、擦り傷程度の怪我はあれど大きな負傷はない。元気に走り回れるほどだ。アンジェの放った魔法玉は閃光はなかったが、皆を守る殻を作った。閃光の有無は、これが試作品だからだろう。

 一時は切断された椎の脚も、きちんと動いている。だが躓きやすくなった気がする。椎が義足を少し重いと言っていたので、その所為だろう。修復と言えど天才の技術には及ばなかった。

 ルナは躓いた椎を支える。この街の地面は石畳だ。躓きやすいだろう。おまけに壁の破片がゴロゴロと転がっている。

「ありがと」

「気をつけろよ」

「うん」

 椎は申し訳なさそうに笑う。申し訳ないのはルナの方なのに。

 比較的体力のある黒葉とアンジェとコルは顔を突き合わせ、次は何処を捜すか話し合っている。コルはこの街の地理を知らない。黒葉とアンジェの話を聞きながら、首を捻っている。このままでは夜になってしまいそうだ。

「あ」

「何か思い出した?」

「でけぇ建物、この辺にあるか?」

「でかい……? 教会か?」

 大通りを抜けたこの街の頂上には教会がある。

「そこだったかも」

「……あんなわかりやすい場所、って真っ先に除外してたんだけど、教会。あんなわかりやすい場所、どうして忘れるの?」

「俺、覚えんの苦手だし」

 どうやら次に向かう場所が決まったようだ。

 座ったまま立たないヴィオを引っ張って立たせ、地面に張り付いて動かない宰緒を引き摺り起こす。

「皆大丈夫?」

 アンジェの体力は無尽蔵なのか、疲れた表情を全く見せない。

「じゃあ、こうしよう。無事にリタを見つけた暁には、コルが皆にジェラートを奢る!」

「は!?」

 唐突に名指しされたコルは、ぽかんと口を開ける。何故今自分の名前が出てきたのか理解できない。

「皆! 教会はここから近いから! ジェラートのために頑張って!」

 この暑い中、冷たいものを喉に通せる喜びと、甘いものが好きな者とで、何とか全員に生気が戻った。椎は首を傾げていたが、皆が走り出すと慌ててついて走った。

「あっ、おいこら待てガキ共! ジェラートって何だ!? つーか俺この世界の金とか持ってな……聞けよおい!」

 先に走り出した一同に遅れを取るわけにはいかない。この街を知らないコルが遅れを取るということは即ち、迷子になるということだ。迷子になるわけにはいかない。コルも慌てて後を追い走る。



 教会の周辺に人はいなかった。そっと中に入ってみると、中はしんと静まり返っている。

「あー、ここだ、ここ。ここに人避け掛けたんだ、確か」

「人避け?」

「誰か入ってきたら見つかっちまうだろ。だから、人避け」

 何故人避けを仕掛けたのではなく、人避けとは何なのかと訊いたつもりだったのだが、まあいい。今はリタを見つけることが先決だ。

「この中の何処に?」

「あそこ」

 コルが指差した先には、祭壇があった。ルナ達は祭壇に歩いて向かう。教会の中を走るわけにはいかない。

 厳かな祭壇の裏に回ると、見知った人形のような顔が現れた。手足に枷が嵌められてはいるが、怪我はなさそうだ。傍らにはいつも連れているぬいぐるみも置かれていた。

「リタ……」

 声に反応しリタは驚き目を丸く、大きな目を潤ませる。

「お兄ちゃん」

 漸く見つけた妹をロレンは優しく抱き締めた。ルナは工具を使って枷を外し、リタを解放してやる。解放された両手で、ぎゅうっとロレンの服を掴んだ。

 二人の様子を遠目から見ていたコルは、フレアに思いを馳せる。リタに擬態する際、本物が見つかっては厄介だ。本物は殺してしまうはずだった。椎の周囲の様子を探るために擬態しやすい者を選んだ結果がリタだった。極度の人見知りで兄以外の者とはあまり会話せず、兄も寡黙なので会話が多いとは言えない。成り済ますためにあまり口数が多い者だとボロが出てしまう可能性がある。その上でリタは最適と言えた。だがいくら口数が少ないからと言って生かして置いておけば、見つかってしまうかもしれない。そんなリスクを負うなら、殺してしまった方がいい。だがフレアはそうしなかった。リタとロレンを自分と姉に重ねてしまったのかもしれない。失うことの辛さを。だがそれを知りながらもフレアは、椎を憎み殺そうとした。全くの無関係なリタと違い、椎は自分の姉を殺したのだ、失う辛さを考える余裕なんてなかった。結局は自分が殺されてしまったが。

「そんじゃ、俺はもう行くわ」

 リタも無事見つかり、自分のやることは終わったとコルは踵を返す。転送装置がなければ違界に戻れないし、この世界で行く当てもないが、早くこの場から去りたかった。自分を捕らえた者の姿を目にしリタはロレンの背に隠れたが「大丈夫」とロレンが宥める。

「何処に行くんだ?」

 行く当てもないコルに、何処に行くのかと尋ねる。

「何処でもいいだろ、じゃあな」

 ひらひらと手を振る。どうせついさっきまで敵だったんだ、おとなしく見送られるだろ、と思っていたコルは、予想外のことに見舞われる。

 アンジェとヴィオが「ジェラート……」と呟き、ルナは「俺ん家直してほしい……」と漏らした。

 図々しいと言うか神経が図太いと言うか……。

「お前ら、言っとくが俺は罪を償う気とか更々ねぇからな。自分のやったことは後悔しねぇ。あ、命の恩人の両脚ぶった斬ったことだけは謝る」

 椎はきょとんとした後「いえいえお構いなく」と照れながら言った。違界の人間は皆螺子が吹っ飛んでいるのか。

「罪を償うとか、そういうことを言ってるんじゃなくて、ただ住む場所を戻してほしいだけだ」

 ルナの言葉に、黒葉は眉を顰める。黒葉はまだ警戒の方が勝っている。自分達を殺そうとした相手に簡単に心を開くことはできない。リタを捜すために黙って従っていたが、見つかった今従う理由はないし、いつまでも行動を共にする必要もない。昔椎が助けたらしいことで椎には危害を加えないかもしれないが、それは他の皆にも危害を加えないということにはならない。それでも椎が間に入っていることで安心しているのかもしれない。ルナ達がまだコルと行動を共にするのなら、彼が危害を加えないかどうか見張るためにも彼らについているしかない。

 全員の視線を受け、コルは渋々折れる。少しは悪いと思っているのかもしれない。

「――あー、わーったよ好きにしろ! だけどな、俺は技師じゃねぇからな、器用なことはできねぇからな!」

「わかった。じゃあ手始めにジェラート奢れ」

「はぁ!? やっぱ奢らされんのかよ! つーかこっちの金ねぇって言ってんだろ聞けよ人の話!」

「そこのバールで働けば?」

 折れたことを早くも後悔し始める。このガキ共、思ったより肝が据わってる。特にルナとアンジェ。黒葉は警戒心の塊のような視線を突き刺してきて居心地が悪いし、早く離れて何処かに行きたい。

 心中で嘆きながらも、結局コルは全員にジェラートを奢ることになった。と言っても代金を払うことはできないので、黒葉とロレンが立て替えた。

 ルナ達に振り回されながら、暫くはこの街に滞在することになりそうだ。いつからこんなお人好しになったんだ。とんだ災難だ。



  fin


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