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鳥になりたかった少女  作者: 葉里ノイ
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第四章『襲』

  【第四章 『襲』】


 カーテンの隙間から射す光で目を覚まし、身動ぎする。眠ってしまった椎を背負って帰ってくると、宰緒はまだ起きていた。気が付かれないよう椎をベッドまで運び、漸く自分のベッドに戻った頃には、あまり眠れる時間ではなくなっていた。

 寝返りを打ちドアに目を遣り、その下に動くものを捉え視線を下に。

「ヴィオ?」

 頭に布団を被り、ヴィオがじっとルナを見上げていた。

「お前~、見たぜ? 夜中に椎と出掛けていったの。今回は眠かったからついて行かなかったけどな」

「起きてたのか」

 腕を踏んだからな。起きていても不思議ではない。

「それで、手ぇ出したのか? 意外と早ぶっ」

 ルナの足が、にやにやするヴィオの顔面に入った。

「冗談です……冗談です」

 ガクガクと謝るので、足を退けてやる。

「椎が眠れないって言うから、ちょっと外の空気吸いに行っただけだ」

 抑えきれず、欠伸が出る。

「眠そうだな」

「眠い」

 ルナの欠伸が移ったのか、ヴィオも釣られて欠伸をした。



 眠い目を擦りながら朝食を摂りに階下に行くと、椎が食器を用意する手伝いをしていた。何でこっちはこんなに元気なんだ。

 朝食はルナの祖父母が用意してくれていた。この家にいる間は孫だろうと客人なので、気にせず寛いでほしいとのことで、ルナは手伝いらしい手伝いをさせてもらったことがない。が、椎は食器を出している。

「あ、おはよう! ルナ! ヴィオ!」

「おはよう」

「はよー」

 と思ったが、祖父母の真似をして食器を出しているだけのようだった。机に並ぶ食器が多い。食事と言えば首の後ろに突き刺して栄養摂取程度しかしない椎が、いきなり食器の必要性を理解しているとは思えない。現に皿など何枚用意すればいいのかわからず、机上が皿だらけだ。仕方ない、皿を仕舞おう。

 椎は、せっかく並べた皿を仕舞われて慌てていたが、いらないものはいらない。

「いいか、椎。急にやろうとしなくていい。順番に覚えていけばいい。皿はこんなにいらない」

「じゃ、じゃあ、何枚ならいる?」

「それは料理を出す人が決める」

「なるほど!」

 何がなるほどなのかわからないが、一緒になって皿を仕舞い始めたので、こんなにいらない、ということは理解したようだ。

 朝食のブリオッシュが机上に並び皆が席につくと、ぽつんと一つだけ席が空く。宰緒の席だ。あんなに夜更かししているのだから、朝起きられるはずがない。こうしてイタリアに来ると同じ家で生活をするのでわかりやすいが、宰緒とは殆ど朝食の時間が合わない。

 いつもならそのまま放っておくのだが、今日は椎もいるし、起こしてやろうとルナは思う。

「椎、洗濯挟みまだ持ってるか?」

「うん、持ってる」

「ちょっと貸して。すぐ返す」

「? はい」

 ごそごそと水色の洗濯挟みを取り出し、ぽんとルナの手に載せる。それを握り締め、ルナは宰緒の部屋に向かった。

 程なくして、

「ぃぎゃあああああ!!?」

 宰緒の断末魔が食卓を揺るがせた。



 朝食を終えると、まだ赤い鼻を摩りながら、宰緒は面倒臭そうに口を開いた。

「おい、青羽。お前夜中に外に出てたろ」

 食後にオレンジジュースを飲みながら、ルナは目だけ宰緒に向ける。

「ああ、うん、少しだけな」

「何か変な奴見た?」

「変? いや誰も見なかったけど」

「ふーん……」

 要領を得ない言葉に、横からヴィオも興味を示す。

「何? 不審者でもいたのか?」

「さあ……変な書き込みがあっただけ」

「書き込み? あ、パソコンか。それで、何て?」

 ヴィオは興味津々のようだ。最初に話を振られたルナは、あまり興味がない。椎は会話を見ながら、特別に作ってもらった流動食をゆっくりと頑張って食べている。

「明け方、この近くで発砲音が何回か聞こえたらしい」

「えっ!?」

「誰か撃たれたのか?」

 発砲音、という言葉に、ルナとヴィオはびくりと硬直する。倒れていた椎を運ぶ際に攻撃されたことが脳裏を過ぎる。

 椎も手が止まる。平和なはずの世界で銃声が聞こえるなんて思わなかったのだろう。

「撃たれたってのは知らねぇけど」

「うわー! うわー! 怖ぇえ! ニュースになったりしてる?」

「いや、まだニュースにはなってない。ガセかもしんねぇし。見に行くなら場所を教えてやるけど」

「うわー! 野次馬か! 行かねぇよ!? ガセじゃなくてマジで、しかもまだ近くに犯人が潜んでたらどうすんだよ。外行けねー」

 ガタガタと足を鳴らすヴィオ。ヴィオはホラーの類も苦手な、相当な怖がりだ。一昨日の件も、相当怖かっただろう。

「ロッカにボディーガード頼めよ。あいつなら銃にも勝てそう」

「いやさすがに無理だろ」

 すかさずツッコミを入れるが、もしかしたら、ともうっすら考えてみる。

「あ、そうだ」

 唐突に話の腰を折ってきた。

「青羽、何か……何でもいい、ハムエッグとかそういうの、何か作れ」

「お前の言葉を借りると、面倒臭い」

「はぁ!?」

 日本の朝食はしっかりと摂るが、イタリアでは軽く済ませる。体の大きい宰緒には物足りないのだろう。それに、甘いものしか出ない。いくら甘いパンを積まれても、手が伸びないのだろう。イタリアに来るといつもこうして追加で塩味の食べ物を要求される。用意する者からすると、イタリアの朝食は楽で良いのだが。

「いや、サクの飯より銃声の方が大事だろ! 怖ぇじゃん! 近寄らないためにやっぱ場所訊いた方がいいか!?」

「お前は黙ってろ」

「ルナ、サクの機嫌を取ろう。情報を聞き出すんだ」

「え、結局作るのかよ……」

 結局、宰緒の要望に応える羽目になってしまった。


     * * *


 射し込む朝日に目を細め、アンジェはじっと天井を見詰める。見慣れない天井。

(ああ、そうか。黒葉の家に泊まったんだった)

 まだぼんやりとする頭で虚ろに考える。いつまでここは黒葉の家なのだろう。ずっとかもしれないし、明日かもしれない。技師なんてずっと現れなければいい。

 ベッドの上でごろごろと転がっていると、ふとノックの音が部屋に響いた。

「はーい」

 髪を手で梳きながらドアを開ける。そこには見慣れた銀髪の少年がいる。起きてまだ間もないのだろう、少し不機嫌そうな顔の黒葉。

「寝癖」

 頭を指差し、そのまま踵を返す。朝食の準備ができたのだろう。黒葉は普段からお喋りというわけではないが、朝は更に口数が減る。要するに朝が弱い。アンジェは髪を撫でながら、洗面所に向かう。時々わからないこともあるが、言いたいことは大体わかった。学校の友達の言いたいことも、大体わかった。察しが良いと言えばいいのだろうか。だが、アンジェなら言わなくてもわかる、と言われるのは、納得がいかなかった。何もないゼロからはわかるはずもないし、少ない情報では理解の精度が落ちる。何より、会話が減ることが寂しい。でもそんな思いとは裏腹に、学校の友達との会話は減る一方だった。皆より少し察しが良いだけで、心の中を読まれている、怖い、とも言われるようになった。最初は、凄い! と喜んでいたのに。そんな中でも、黒葉や、ルナやヴィオは、変わらない言葉の数で話しかけてくれた。宰緒は……引き籠りなのであまり会話の機会はないが、宰緒に至ってはあまり考えていることがわからない。とても頭が良いそうなので、その所為かもしれない。あと一年早く生まれていれば、皆と同じ学年だったのに。

 鏡の中の自分を見ながら寝癖を直し、いつものように髪を二つに縛る。顔を洗うと、眠っていた頭が目覚める。

「黒葉、今日時間ある? あるなら買い物行こう」

 朝食の席につき、グラニータに口をつける。夏にホットは飲まないと言った所為だろうか、アンジェの前にだけ置かれた冷たいグラニータ。黒葉の前には熱いカプチーノが置かれていた。

「そうだな。昨日の来客のおかげで食べ物が殆どなくなってしまったからな」

「でもたまには皆で集まって食べるのも楽しいでしょ?」

「さあ、どうだろうな」

 表情の読めない目をして、黒葉はカプチーノを啜る。

 軽く朝食を済ませ、二人は外に出る。今日も晴れ、良い天気だ。なのに黒葉は長袖のコートを着ている。見ている方が暑い。宰緒といい、冷房でも完備しているのかそのコートは。

「黒葉、違界ってここより暑いの?」

「暑い時もある」

 アンジェがじっとコートを見ていることに気づき、黒葉は言葉を続ける。

「違界で必要以上に素肌を晒すのは危険だ。崩れた瓦礫で負傷することもある」

「でもあの椎って人は、どちらかと言うと薄着だよね」

「身動きの取りやすさを重視したんだろう。そういう者もいる」

 違界ではないのに黒葉がコートを着続けているのは、違界での生活の名残なのか、いつでも違界に行けるように、なのか。宰緒はたぶん、これといった理由はないだろう。

 時折会話をしながら路地を進むと、少し開けた場所に出る。そこからまた幾つも路地が伸び、まさに迷路。こちらの世界に来た頃、黒葉もよく迷子になっていた。迷子になる度、アンジェとルナが手分けして捜した。ヴィオがこの街に遊びに来ている時はヴィオも捜すのを手伝って、彼も迷子になっていた。そして泣きもせず階段に座って待っている黒葉を見つけた後で、わんわんと泣くヴィオを見つけた。さすがに今は二人共迷子にならないし、なってもヴィオは泣かないだろう。さすがに。

 そんなことを考えながら歩いていると、黒葉が急に立ち止まった。じっと白い壁を凝視している。

「どうしたの?」

「……」

 ゆっくりと壁に近づき、片膝を落とす。アンジェも黒葉の頭越しに壁に目を遣ると、下の方に小さな穴が空いていた。その穴を指でなぞる。ただ壁が欠けただけには見えない。穴から指を離し、今度はナイフを取り出す。ナイフで穴の淵を突き、壁を崩す。勝手に壁を壊してはいけない、と言おうと思ったが、何の理由もなくこんなことをする人間ではない。もう少し待ってみよう、と黒葉の手元を見詰める。

 淵を崩しナイフの先を差し込み、梃子の原理で穴を掻くと、中からころんと小さな金属が出てきた。

「これ、銃弾……?」

 アンジェが呟いたのと同時、黒葉は振り向き様にアンジェの腰に腕を回し、突き飛ばすように押し倒した。

「っ!?」

 石畳に叩きつけられ、一瞬息が止まる。

「怪我は?」

 アンジェの方は見ず、辺りを警戒する黒葉。

「大丈夫……ちょっと擦り剥いただけ」

 何かが石畳を穿つ音だけが聞こえた。

「もしかして、狙われてる?」

「ただの威嚇かもしれない……だが、壁の弾丸を取り出した直後に発砲してきたところを見ると、見つけてほしくなかったようだ」

「証拠隠滅で殺される……とか?」

「可能性はある。立てるか?」

 違界で育った黒葉には劣るが、アンジェも周囲を警戒しながら小さく頷く。

「立ったらすぐに路地に飛び込め。この開けた場所では不利だ。さっきの弾を避けたことで向こうも警戒してこちらの出方を窺ってる。二発目が来る前に走れ」

「わかった」

 一度、深呼吸。

 石畳を穿つ音が聞こえた方向とは逆の方向に相手はいるはずだ。この狭い空間の中では移動も困難だろう。二人の元いた場所と音の聞こえた方向を結んだ先に、いる可能性が高い。手練れ同士ならすぐに場所を移動するだろうが……今はあまり移動していないことを祈って、真横の路地に逃げ込む!

「!?」

 浮かせた黒葉の体の下で身を捩り、黒葉の肩を思い切り上へ弾く。片手で地面を突き反動をつけ自分も起き上がり、黒葉の腕を掴み引っ張った。二人の後ろを、二発目が飛ぶ。

 細い路地に倒れ込むように飛び込んだ。

「おい、アンジェ!」

「黒葉だけあそこに置いて行けない!」

 視線を逸らさず、互いに瞳の奥を見据える。

「……その話は後だ。これからどうするか」

「後ろに回り込もう。相手が何処の誰かは知らないけど、土地勘なら負けない」

「相手はおそらく違界の人間だ」

「え……?」

「さっき壁から出てきた弾は違界のものだった。その弾を撃った者と今撃ってきている者が同一人物とは限らないが、どちらも違界の者で間違いない」

「じゃあこの街では圧倒的にこっちが有利」

「僕のようにここに何年も住んでいる可能性もある。それに向こうの方がお前より戦闘慣れしてる。お前は先に逃げろ」

「そんっ……」

 こつん、と石畳が鳴った。

 決して警戒を怠っていたわけではない。それでも、路地の入口に人が降り立った。逆光でよく見えないが、女性だった。

 何の躊躇いもなく流れるように、手に持ったライフルの銃口が動く。

「っ!」

 黒葉からは死角だったが、振り向くと同時に足を払う。女は慣れたように跳び、空中で銃を構える。空中で撃てば体勢が崩れる。それでも空中で撃つか、着地と同時に撃つか。――否、撃たせない。

 足を払った勢いのまま地面を蹴り、銃身に向け左手のナイフを振る――先が掠った。

 間合いを詰められた女はライフルを手放す。仰け反りながら拳銃を抜いた。銃口が持ち上がる。

「くっ」

 前傾姿勢を正さなければならない。今の黒葉の武器はこのナイフ一本しかない。

「――っ」

 女が黒葉に集中している間に後ろに回り込んだアンジェが、容赦なく脚を繰り出す。仰け反った女の頭に向かって。

「なっ!?」

 崩れた体勢のまま、腕でアンジェの蹴りを防いだ。壁に手をつき、迫る黒葉の腹に蹴りを放ち、銃口をアンジェへ回す。

同じ違界の者だとしても、この女は相当戦闘慣れしている。ただ逃げ回っているだけの違界人とは違う。黒葉の六年のブランクは大きすぎた。それに首輪のない状態では――

 いや、首輪なんてなくても。

 蹴りが掠り体勢を崩すが、両手をつき女へ足を突き出す。アンジェを撃たせはしない。

 一瞬、女が注意を逸らした気がした。逆光であまりよく見えないが、目が動いた気がした。その一瞬の後、女の顎は大きく跳ね上がった。

「テメッ」

 銃口がアンジェから黒葉へ狙いを移す。

 体勢が崩れすぎた。

 撃たれる――


「やめてええええええ!!」


 空気を震わす絶叫が路地に響いた。引き金に掛かっていた女の指がびくりと固まる。

 こつこつと駆けてきた足音が路地の前で止まる。そこから無防備に顔を出したのは、淡い紫の髪の椎だった。

「灰音……」

 黒葉とアンジェは顔を見合わせ、女を見上げた。女は椎の姿をじっと見詰め、口元を震わせている。

「椎ぃいいい!! 無事でよかった!!」

 灰音と呼ばれた女はすぐに銃を仕舞い、椎を抱き締めた。

「え……何? どういうこと? 灰音って、あの灰音?」

「この様子だと、そうなんだろうな……」

 椎が捜していたという、共に違界から逃げてきた……。それで何故そいつに殺されそうにならなければいけないのか。

「椎、元気だったか?」

 挨拶なんだろうか、灰音はばしんと椎を叩いた。

「痛い……」

「そうか痛いか! 痛いのは生きてる証拠だ! よかったな椎、お前生きてるぞ!」

 何か無茶苦茶な人だ。

 そうして再会を喜んでいるかと思えば、唐突にぐるんと振り向き黒葉を睨む。

「私も痛い。油断したら隙つきやがって思いっきり蹴り上げやがった。お前後で殺す」

「だ、駄目! 黒葉もアンジェも皆、殺しちゃ駄目!」

 よく見ると、椎の後ろにルナとヴィオと宰緒が立っていた。宰緒が外に出ているとは珍しい。

「何だ、知り合いなのか? こっちの世界にも戦闘慣れした奴がいるんだな。あー油断した。後で殴る」

「殴るのも駄目! それに黒葉は、怖いけど、違界からこっちの世界に来た先輩だから、色々教えてくれる」

「違界から?」

 灰音の目つきが変わった。触れてはいけない部分に触れてしまったような、凍てつく視線。

「こいつ、違界の人間か。そうか。殺そう」

 灰音が動くと、凍てついた空気を悟りアンジェは腰を浮かす。緊張が走る。

「灰音!」

 だが誰よりも早く椎が割って入った。両腕を広げ、黒葉を庇うように立つ。

 このまま殺し合いが始まったりしないよな……? という緊張感の中、暫し睨み合った後、やーめた、と灰音は両手を上げた。

「よく見たらそいつ首輪つけてねーじゃん。首輪もヘッドセットもつけてない奴なんて、いつでも殺せる。椎に何かしようとしたら、すぐに殺してやる」

 空気がしんとする。唾を呑む音さえ聞こえそうだ。

「え、えっと……さっき椎が大声出したし、人が来ても困るから、場所移動しよう、か?」

 口を出していいのか躊躇ったが、いつまでもここに溜まっているのは目立つし、また騒がれても困る。ルナは何処に移動しようか考えるが、先にヴィオが口を挟んできた。

「よ、よし、じゃあ、ルナの家に行こう」

「何で俺の家だよ」

「えっ……何となく」

「何となくで俺の家を戦場にすんなよ」

「ごめん」

 急に話に入ってきた二人を、じとっと見据える灰音。怪しまれてる。

「椎、そいつらは?」

「ルナとヴィオとサク。こっちの世界に来てからお世話になってるの。良い人だよ!」

「ふぅん……違界人じゃないなら、まあ行ってやるか」

 椎が歩き出すと、灰音も銃を仕舞いついて行く。

 ルナは立ち上がった黒葉とアンジェに駆け寄る。その後ろで心配そうな顔のヴィオと、面倒臭そうな宰緒。

「大丈夫か?」

「ああ、僕は大丈夫だ」

 ナイフを仕舞いながら、ちらりとアンジェを一瞥する。釣られてアンジェを見ると、彼女は腕を擦り剥いたようで血が滲んでいる。

「アンジェ痛そう……」

「大丈夫だよ、このくらい」

 弱々しい声を出すヴィオとは裏腹に、アンジェは何でもない風に笑っている。怪我をしたのはアンジェなのに、ヴィオが泣きそうな顔をしている。

 椎と灰音から少し離れてルナ達も歩き出す。あまり距離を詰めると、いざという時に対処できない。椎はともかく、灰音は行動が読めない。それに最初に海から発砲してきた人物が、灰音だという可能性もある。銃を発砲する者がそう何人もいるとは思いたくない。

 ルナは声量を落としながら黒葉に話しかける。

「お前、何かしたのか? 尋常じゃなかったけど」

「何か、と言うなら、壁にあった弾丸を抉り出しただけだ」

「よくわかんねぇけど、違界の人ってそういうことにキレるのか?」

 三人も黒葉を見る。椎からは想像できないが、昨日のこともあるし、黒葉はもしかしたらキレたりするのかもしれない。だが黒葉から返ってきた言葉は否定の言葉だった。

「いや、おそらくこの世界だから、だな」

「?」

「この世界では、弾丸が壁に減り込んでいることなんて、そうないだろう? 騒ぎになるのを避けたかったんだろう」

「わかってて抉り出したのかよ」

「違界の弾だと、近くに違界の人間がいるということだからな。警戒しなければならない」

 警戒する前に襲われたわけだが。

「でも返り討ちにあったんだろ?」

 ひょこっと顔を出し、さらっと傷口を抉るヴィオ。悪気がないのが質が悪い。黒葉は目を伏せ唇を噛む。

「返り討ちには遭ってないよ。私が足手纏いだっただけ」

 睨むようにアンジェはヴィオを見上げる。ヴィオはびくりと口を噤み、目を逸らす。

 アンジェは足手纏いじゃない、と黒葉は言おうとしたが、口を開く前にアンジェが言葉を重ねた。

「黒葉、何であの人はあんなに黒葉に敵意剥き出しなの? 実は違界で何かあったとか?」

 言葉を呑み込み、アンジェの質問に答える。

「あの女は典型的な違界人だ。殺される前に殺せ、自分に都合の悪い者は殺せ、殺さなければ殺されるかもしれない、そう自分に脅迫して生きている人間だ。僕も日々警戒はしているが、あそこまでじゃない」

 三人は息を呑む。黒葉にだけ敵意剥き出しなのは、そういう者が多く存在する違界の人間だったからだ。自分を殺す可能性のある者。それを排除するため。こうして歩いている間も警戒を弛めない。背中を見せているのに落ち着かない。ずっと蛇に睨まれているような居心地の悪さ。宰緒だけは面倒臭そうに欠伸をしているが。鈍感なのか肝が据わっているのか。

「そう言えば、サクが外に出てるなんて珍しいね」

 イタリア滞在中にアンジェや黒葉と全く顔を合わさないこともあるほど、宰緒は引き籠っている。ルナの家に二人が訪ねてきても会わない時もあった。

「カルディがうるせーからな」

「ヴィオに引っ張り出されたの?」

 ヴィオの方を見ると、彼はぱたぱたと手を振っていた。

「だ、だって、怖ぇーだろ!? 銃持った奴が近くにいるかもなんて言われたら! サクはこの辺詳しくねーから口頭じゃ何もわかんねーし、連れてきてもらうしかねーし、銃持った奴いたし……目の前にいるし……」

 がくりと首を落とす。

「よかったじゃん。会えて」

「よくねーよ! 怖ぇーよ! オレなんかすぐ蜂の巣だよ!」

 ガクガクと震えるヴィオの肩に、ぽんと手を置く。何故こいつはこんなに動じないのか。動じることすら面倒臭いのか。

「とりあえず何も危害を加えなきゃ、こっちに危険が及ぶことはねぇんだろ。だったらおとなしくしとけばいいだけじゃねぇか。それより、怖ぇー怖ぇーばっか言ってるお前が心底うぜぇ」

「サクひどい!!」

「怖ぇーって言ってんのお前だけじゃん」

 ヴィオは三人に順に目を遣る。真顔で見詰め返された。

「何か……ごめん。オバケとかも怖いし、本当にごめん」

「謝らなくても……。サクも、あんなこと言ってるけど、励まそうとしてると思うよ。たぶん」

 ぽんぽんと肩を叩く。意外と繊細だ、ヴィオは。三人でいるといつも慰める役はルナだ。イタリア語をあまり知らない宰緒と、日本語をあまり知らないヴィオの間に入って通訳をしている内に、そういう位置関係が確立された。今では日常会話程度なら通訳がなくても会話することが可能になったが、二人の間に入る案件はまだ多い。

 話が逸れてきた気がするが、あまり違界の話をしていると、灰音に嫌な警戒心を抱かれるかもしれない。話を戻さず歩いていると、先を歩いていた椎と灰音がふと立ち止まった。何かあったのかと少し距離を詰め顔を出すと、金髪碧眼のロレンとリタが立っていた。リタは大きな白い帽子を被りロレンの後ろに隠れているが、じっとこちらの様子を窺っている。いつも抱いているクマのぬいぐるみは持っていないようだ。

「何だ? こいつら」

 変な服を着ている椎と灰音に立ち塞がれ、リタが脅えている。灰音が追い打ちをかけるように凄むので、もう今後灰音のいる所ではリタはロレンの後ろから出てきてくれないかもしれない。

「ロレンとリタだよ」

「ふぅん」

 じっとりと首の辺りを見ている。二人の首には首輪はない。違界人ではないのだから当然だ。だがあからさまに警戒を強める。先程の黒葉とアンジェの例があるからだろう。違界人であってもこの世界では首輪を外しているケースもあり、こちらの世界でも戦闘慣れ――アンジェは喧嘩慣れだが――している者もいる。もう一つ、こちらの世界に詳しければ、こちらの世界にいない髪色もしくは目の色ならば違界人だと見分けることも可能だが、それは今の灰音には難しいだろう。

 間に入った方がいいかもしれない。ルナは前方の距離を詰め、椎の隣に並ぶ。さすがにあんなことがあった後で灰音の隣に並ぶ勇気はない。

「おはよ、奇遇だな」

「おはよう、ルナ、皆さん。皆さんでお出掛けですか? 僕はこれから買い物で」

「そっか、買い物か。俺らはこれから帰るところだ」

 隠れるリタに手を振ると、何も言わなかったが、軽く会釈した。

 先程まであんなに震えていたヴィオも、ルナの隣にひょっこり顔を出す。

「リタちゃーん、おはよー。飴あげる」

 ポケットから個装された飴を一つ取り出し、差し出す。昨日のチョコレートに続き、暑さで溶けていることだろう。

 リタはロレンの後ろに隠れながらヴィオと飴を交互に見、恐る恐る手を伸ばす。

「あり、がと」

 消え入りそうな小さな可憐な声が聞こえてきた。

「リタちゃんほんと癒し!」

 急に大声を出すので、リタはびくりと体を強張らせ、ロレンの背に退避した。まるで小動物だ。

 ヴィオは歓喜に満ち溢れているが、対するリタは脅えきっている。ああ、これはもうロレンの後ろから出てこないな。

「じゃあ」

 別れを告げると、ロレンは「ほら」とリタを促して去っていった。

 ルナは何か違和感を覚えたが、たまにはそんなこともあるだろうと、気にしないでおいた。

 再び歩き出すとアンジェが黒葉に「私達も、買い物どうする?」と尋ねているので、二人も買い物に行く途中だったのかもしれない。そう言えば昨晩、お言葉に甘えて黒葉の家の食材を使いすぎたかもしれない。買い物に行くなら荷物持ちくらい手伝おう。



 然程広いとも言えないルナの部屋に七人も押し込むと、さすがにぎゅうぎゅうと息苦しい。いや息苦しいのは灰音の放つ殺気の所為か。

 部屋に戻りたいと訴えた宰緒にも少しの間ここにいてもらうことにした。面倒臭そうに椅子をギィギィと揺らしている。

 椎と灰音は床に布を敷いて座り、まだ床に余裕があるというのに残りは全員ベッドの上にいる。

「狭い。ヴィオは下に下りろよ」

「何で!? オレだけ鰐のいる沼に落とすのか!?」

「何だその喩え。お前なら大丈夫だろ。たぶん」

「そんな投げ遣りに言うなよ! お前には鰐の恐ろしさがわからないのか!?」

「鰐じゃない。人間だ。危害を加えなければ大丈夫、ってことで落ち着いただろ?」

「オレの心臓が落ち着いてな」

 小声で言い合う間バタバタと手を振り動かしていたおかげでベッドがぎしぎしと揺れ、耐えかねたアンジェがヴィオを突き落とした。

 肩を打ち床に蹲る。

 椎が隣をぽんぽんと叩く。座れと言っているのだろう。灰音が睨みを利かせているので、恐る恐る這って渋々座る。灰音の隣に座らせられなかったのは不幸中の幸いだろう。

「ねぇ、灰音」

 騒がしいヴィオは放っておいて、椎は灰音に向き直る。

「どうしてアンジェと黒葉を襲ったの?」

 誰が切り出すかと様子を窺っていたのだが、椎が口火を切ってくれた。それぞれの心中を察してということではなさそうだが、椎が口を開いてくれてよかった。一番実害がないだろう。

 灰音は「ふむ」と腕を組み、椎に目を遣った後アンジェと黒葉に目を遣った。

「銀髪が黒葉だったか?」

 黒葉は慎重に頷く。

「そいつが私の弾丸を見つけ、穿り出したからだ。私は違界から転送後、近くに椎がいるなら気づいてほしいと消音せず発砲した。こちらの世界は平和と聞くからな、そのまま弾を置いていくわけにはいかないと、回収を試みた。だが椎ではないこの街の人間の気配を感じ、一時場を離れた。暫くうろうろして戻ってきてみれば、お前達が弾の前にいて、弾を穿り出した。妙な因縁をつけられても困る。証拠を一掃しようとした結果だ」

 灰音が腕組みを解こうとする。

「それじゃあ……最初に海から発砲してきたのは、違う人……?」

「最初? 何の話だ」

 ぴたりと動きが止まる。

「え、あ……最初に椎を見つけた時、海面に立つ人がいて……いきなり発砲してきたんです。その人はその後急に海に入って……いや落ちて? ……わからないんですけど……」

 話が拗れるかもしれないと思ったが、確かめておきたいと思った。ヴィオも気になっていることだろう。

「そんなことがあったの?」

「何故言わなかった」

 灰音より先にアンジェと黒葉が反応した。アンジェは心配そうに眉を寄せ、黒葉の視線も鋭い。椎も、初耳だと不安そうな顔をしている。

 そんな中でも灰音はきょとんとし、何でもない風に言葉を放った。

「ああ……あいつかな? おそらく、私と椎の転送を邪魔しに来た奴の一人だ。全て始末したと思ったんだが……そうか死に損ないが一人転送されてたか。銃を隠し持っていたとはな。ま、安心しろ。落ちたんならそいつは事切れたってことだ。最期に足掻いたな」

 安心……していいのだろうか。不安要素が増えた気がするのだが。躊躇いなく人を殺してきたという灰音に、安心してもいいのだろうか。

「はあ……」

 だがここで変な溝を作るわけにもいかない。適当に相槌を打っておく。

「まあそれはそれとして。まさか違界の人間に出会すとは思わなかったな。やはり殺しておこうか」

 今度こそ腕を解く灰音。銃を抜くのかと、空気が凍りつき緊張が走る。黒葉も腰を浮かす。

「灰音!」

 椎が諭すと、灰音は口の端を上げた。

「お前、いつからこっちの世界にいる?」

「……六年前だ」

「ほう、六年か。のうのうと平和に包まれて六年も経ってる割には、鈍ってないな。全く興味はないけどな」

 くくっ、と何がおかしいのか灰音は笑う。

「お前くらいだと、椎に警戒されるだろ。どうやって椎を丸め込んだんだ? こいつ意外と警戒心強いぞ? 優しくしてやりゃ一発でコロッといくが、優しくなんてお前には無理だろ」

 挑発だろうか。単に馬鹿にしているだけなのだろうか。椎が成行きを話すと、最初に黒葉が椎を襲った件に灰音は殺気立ち、何故かヴィオが命乞いをしたが、椎が必死に宥め続きを聞かせ何とか落ち着いた。

「警戒は弛めるつもりはないが、椎を匿ってもらったことだけは礼を言おう。それと、椎はこの家に厄介になってるらしいが、住処を見つけるまで私も厄介になる。

「え?」

 今でも飽和状態のこの家に、また一人増えるのか? しかも、こんな危険な人物が。祖父母や両親にまで迷惑が及ぶことは避けたい。ルナが渋い顔をすると、灰音はあからさまに不機嫌に、眉間に皺を寄せる。

「あ? 椎は良くて私は駄目なのか?」

 チンピラのようだ。椎と性格が違いすぎる。

 ヴィオが脅えてベッドに這い寄り、ルナの足を揺する。このまま外に放り出しても、何をしでかすかわからない危うさがある。ならば、椎と一緒にここに泊めてやるのが最善か? 黒葉に預けるのは以ての外だし、アンジェも一度襲われた相手を泊めることは躊躇うだろう。ヴィオは……この様子で頷くはずがない。最初に椎を拾ったのはルナだし、灰音を捜すのも手伝った。なら最後まで面倒を見てやらないといけない、気がする。

「わかりました……狭いですが、椎と同じ部屋になら、泊まってください」

 渋々と溜息を吐く。どうするんだこの家の大所帯っぷり。

「えーと、何だっけ、名前」

「ルナだよ!」

 ルナが口を開こうとすると、代わりに椎が答えた。

「ほう、ルナか。椎を匿ってもらってる上に私まで、すまないな。迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼む」

「え、あ、はい」

 意外な言葉が飛び出し面食らう。意外と危険はない……のか?

「だが椎に何かあったら、命はないと思え」

 笑顔を作り、凄む。前言撤回。危険しかない。

 ヴィオはびくりと硬直し「もう嫌だ……」とベッドに突っ伏す。黒葉とアンジェもいい顔はしない。宰緒だけは我関せずと「部屋に戻っていいか?」と面倒臭そうに呟く。

 今後、何もなければいいのだが。


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