僕が語る死について
「僕は人を殺しました」
変わった顔色は大きく分けて三パターン。殺人者と一緒にいることに嫌悪感を抱く者。殺人者を目の前に好奇心の籠った目を僕に向ける者。そして、僕の話を一切信用しない者。
「ご安心下さい。法には触れておりません」
また周囲の顔色が変化する。安堵の表情に変化する者。興味を失った者。やっぱりなと、納得と自己満足に浸る者。
「しかし、僕は人を殺しました。いいえ。ここにいるほぼ全ての人間は人を殺しています。勿論、そこにいるアナタも」
会場は騒然とした。
「最近の若者の傾向として、死ぬ事を軽く見ている気がします」
眠気に襲われ船をこぐ者。何となく耳を傾ける者。下を向く者。
「個人情報が云々とか言う以前に、一個人である前に、人間である前に、僕も含めたアナタ方は生物です」
「それでいいのかっ!」
静聴していた空間に、僕の声がマイクを震わせ、机を震わせ、何より聴衆の鼓膜を震動させた。
「僕らは殺人犯だ。次元の異なる人物や、生存する人物、現実だけが殺人だと思うな。身体の死だけが殺人だと思うな。心を殺せばそれは殺人。存在を確かめもせずに居ないと思い込めば、それは無意識の殺人」
会場中があっけにとられた顔をする。寝ていた者も目が覚めたようだ。
「何故、このような傾向になったのか。それは皆さんが、平和で豊かな幻覚を視ているからです」
所々から、「幻覚?」という声が挙がる。
「そこのアナタに質問です。どうしてアナタは平気で明日の約束が出来るのですか?」
僕はまっすぐに、アナタを見る。
「明日やればいいや。明日遊ぼう。明日は寝よう。無意識の内にそう思っていませんか?」
それがどうしたと、周りからヤジか飛ぶ。
「今、外国のミサイルが飛んでこないと言い切れますか? ニュースや新聞はフィクションではないというのに、『恐いねー』なんて他人事のように捉えていませんか?」
どうしようもないだろう。極論過ぎる。確かに。ダルいわー。様々な声が挙がる。
「日本人は、次元や画面の壁を見慣れすぎています。きっと、ニュースや新聞もある種の物語として捉えてしまうのでしょう。つまり、ノンフィクションとフィクションを混同しがちなのです」
数人は頷き、大半はあっけにとられ、また数人は思考を放棄した。
「もうひとつの原因は、この世に物が溢れたからです。正確には、溢れている幻覚を見ているから」
物は幻覚ではなく、実在しているではないか。と、男性の声が聞こえる。
「では、今、外国からの輸入がストップしたら?」
多くは納得の表情を見せた。
「一見日本は物に溢れているように思いますが、日本自体にはあまり物がありません。つまり、幻覚を視ているようなものです」
それが今の傾向に何の関係があるのか。女性がそう聞く。
「それらの幻覚は、人間特有の欲を満たします。要は、物を手に入れよう、あれが手に入りそうもない…というストレスが激減するのです」
ストレスが激減するならば良いじゃないか! 僕は予想通りの質問に思わず笑った。
「『ストレスは人生のスパイス』という言葉があります。人間、程よいストレスが無くなると、別の刺激を探します。すると、哲学において最も答えがでない『死ぬ事』に魅力を感じるのでしょう」
しかし、流石にそれは過言では? との声が多数上がった。
「そうですね。僕は今の若者の傾向について語っているだけですから過言ということはないです。勿論、個人差はありますけど」
アナタはどうですか?
「改めまして。僕はミステリー作家。つまり殺人者です」
最後の数分間の緊迫。
「そして、僕の本や他の本を読むアナタ方も、殺人者です」
「勿論、そこにいるアナタも」
_僕はまっすぐに、アナタを見る_
今日の空です。
お付き合い下さり、ありがとうございました!
この話は
評論と物語の中間です。
気軽に使わないよう日々
心掛けずとも生きていけると良いのですが…
精進します。