アクアツアーズの怪物
夏のホラー2017用作品です。
アトラクション:アクアツアー
同じ遊園地内で働くアルバイト仲間から聞いた話によれば、園内のアトラクションには変な決まり事があって、従業員みんながそれを律儀に守っているらしい。
アクアツアーズという大きな池を船に乗って一周するアトラクションを担当している工藤が、休憩中、従業員通路をぶらぶらと歩いている時に、他のアトラクションで案内係をしている笹山という女の子から聞いた話だ。
アクアツアーズの案内人役は、基本的におしゃべり好きで、楽しい事が大好きだった。
それに、わくわくするような冒険やドッキリする悪戯も好み。
レール通りにゆっくりと動く安全で退屈な船の旅を、乗船する客にわくわくしながら楽しんでもらう為には、舵をぐるぐると回し、小道具を使いながらの『真に迫る語り』が必要不可欠であって、そこに大袈裟な程の演技力を求められる。
新人アルバイトの工藤にも当然そういった素質があり、また、その他の案内人役のアルバイトに負けず劣らず怖い話や噂話が好きだったので、笹山の話を素通りすることができなかったのだ。
「なになに、何の話?」
通路の端でこそこそ喋っている女の子二人に急に近づいて行くと、あからさまな不審の目を向けられる。
しかし、この扱いにめげているようでは、おもしろい噂話は手に入らない。
だから工藤は遠慮して引き下がったりなどはせずに、ますます近づいて行った。
「なんだよ、ケチ。教えてくれよ。聞きたいんだよー。ねぇねぇ、どこにお化けが出たの? 俺、お化け駄目なんだよー。すっげぇ怖いっ」
微かに聞き取れた分だと、この遊園地のアトラクションがどうにも不吉だという事だったので、話の全容がわからないなりに推測して言ってみる。
わざとらしくブルブルっと体を震わせてみると、二人の内の一人が笑った。
「お化けは出てないよ。ただ、変な決まり事があるねって話していただけ」
「へぇ。俺らんとこみたいに午後六時に終了、ってやつ?」
「何それ? 初耳」
「あれぇ、知らない? 俺らんとこのアクアツアーズは、午後六時には終わんの。冬は寒いし、水系アトラクションなんて遅い時間に乗りたい客がいないからわかるんだけど、夏は七時半まで営業してるでしょ? なのに、六時で終わっちゃう。だからさ、入口で客の人数を数えてるヤツは、結構最後の時間はピリピリしてんだよ。六時に終わるから、それまでに帰って来られる分の客しか中に入れないようにって」
「そうなんだ。ジェットコースターは閉園の時間までギリギリやってるのに、不思議だね」
「だろ? でも、安全の為って言われちゃしょうがないよなぁ。なんか事故が起こったら、取り返しがつかねぇし。んで、こっからが怖い話。六時で客がみんな乗り場に帰って来るだろ? 案内人役の俺たちも全員戻って来る。動かしていた船は、全部倉庫に収納される。あぁ、倉庫ってのは、乗り場近くの、湖の端っこの水の上に浮かんでいる建物のこと。レールを切り替えて、あそこまで運んで行くの。それで最後の船が帰って来て5分後には、俺らのお仕事はしゅーりょーって事になる。でもなぁ、その後なんでか乗り場にもう一隻来るんだよ。大体、六時十五分から二十分の間ってくらいかなぁ。案内人が一人だけ乗ってて、客は誰もいない。そんな船がすいぃっと静かにやって来て、乗り場をそのまますいーっと通り過ぎて、倉庫なんかに入らずに一人で冒険の旅に出てしまうってわけ」
「点検の人でしょ? 落し物がないかとか、レールがどこもおかしくないかとか調べているんじゃないの?」
「ああ、それだよ、それ。みんなそう言うんだ。だけどさ、乗ってる人の顔を見ても、誰かわかんないんだ。誰も知らないんだぜ? しかも、毎回違うし。普通、点検だったら、同じ人がやっているんじゃねぇの?」
女の子二人が、不安そうに顔を見合わせる。
こういう反応をする人間は、アクアツアーズの案内役達の中にはいない。
基本的に怖い物好きの、冒険好きだからだ。
だから、そういう妙な出来事が起こっていても、誰も気にしない。
むしろ楽しんでいる。
しかし、いくら怖い物好きだとしても、流石にそういう不思議現象に手を出すような馬鹿も今までいなかったので、誰一人として未だひどい目に遭った事はなかった。
いくら乗り場で待っていたとしても、出て行ったその最後の一隻が絶対に戻っては来ないから尚更だ。
それに、運行が終了すると、乗り場は厳重に封印される。
表向きは、間違って客が入り込まない為にという事にはなっているけれど、どうもそれはうさんくさい。
鍵は必ず社員がかけ、その後は本館の管理室に毎回きちんと戻されている。
そこまでしなければまずい理由があるとしか思えない徹底ぶりに、入ったばかりの工藤は驚かされた程だ。
たぶん、あれに乗ってしまったなら、二度と戻っては来られないのではないかと、今も本気でそう思っている。思ってはいるが、あれにさえ乗らなければ大丈夫だと楽観的でもあった。
そうでなければ、アクアツアーズの案内人など到底勤まりやしない。
だけど、他のアトラクションを担当している、しかも女の子にとっては軽く受け流せるような事ではなかったらしい。
怖がらせてしまった事に少し罪悪感もあって、工藤は笑って言ってやった。
「なんちゃって、うっそー。嘘だよ、本気にした? 六時に終わるのは本当だけど、あとは嘘だから本気にしないでよ。じゃあ次、きみ達の方の怖い話もしてみて?」
「怖い話は駄目なんじゃなかったの?」
「ううん、お化けじゃなきゃ大丈夫。あ、お化けの話なら無し。聞かないよ、耳も塞いじゃうー」
両耳を塞ぐ動作を大袈裟に途中までしておいて、ぱっと耳の後ろに手を当てて聞き耳を立てる仕草に切り替える。
「うわ、聞く気だよ。その耳、絶対に聞く気でいるでしょ?」
「うん。怖いけど、怖い話は好きだからねー」
女の子二人がようやく緊張を解いて笑ってくれたので、工藤はほっとした。
アクアツアーズの案内人達は、勿論自分達が楽しむのも好きだったが、相手にも楽しんでもらうのが大好きだったのだ。
だから仲間内で喧嘩や言い争いも滅多になかった。お互いにサポートし、常に協力し合う。
そういう職場の雰囲気が好みに合って、工藤は大学卒業後の就職先にはその遊園地を選んだ。
そして、当然のことながら、今までの経験からアクアツアーズに配属された。
しかし、社員となることで、工藤の仕事内容は少し変化していた。
それまでの自分自身が客と向き合って喜ばせるのではなく、アルバイトを指揮下に置いて彼らを通じて客を喜ばせるように仕事内容が切り変わったのだ。
それでも工藤はやりがいを感じていたし、満足もしていた。
遊園地オーナーの死去と共に、運営会社が代わるまでは。
新しい運営会社の方針で、アルバイト人員の質はかなり下がった。
人件費が高すぎると、時給を下げたことが原因の一つなのは間違いない。
遊園地が、そういった転換を迎えると、それまでいた優秀な社員やアルバイト達が一気に抜けた。
そして、その穴を埋めるべく新しく雇ったアルバイトはその時給通りの人間で、何度教えても仕事内容を覚えられない上に、以前からいるメンバーと比べると格段にやる気のない連中だった。
間もなく工藤は、従業員のサービスに関する客からのクレームが増えて、アトラクションを管理する社員として一日中対応に追われるようになった。
同時に残業も増え、身も心も疲れ果てるようになる。
おまけに、アクアツアーズ終了は午後六時ではなくなった。
新しい運営会社は、これを職務怠慢とし、閉園するまで運行し続けるようにとの指示を下したのだ。
午後六時十七分。例の船が、すいぃっと音も無く乗り場にやって来る。
それが以前は素通りしていたのに、最近では乗り場に客がひしめいているのを見てか、一定時間乗り場に留まるようになっていた。
工藤の指導している優秀な乗り場係員達は、客を並ばせ続けたまま点検の為の船であることを説明し、それを見送る。
毎日が、その繰り返しだった。
工藤は、他の社員が辞めたのもあって、休みの取れない日が続いていた。
けれど、他のアトラクション担当の社員が、工藤の疲れ果てた様子を見て同情し、代わりを申し出てくれたので、ようやく一日休みがとれることになった。
その一日は、ほとんど自分のアパートで寝て過ごし、工藤が目を覚ましたのは午後七時四十五分。
携帯電話の呼び出し音が鳴っていた。表示されている名前は、同僚の社員のものだ。
工藤の休みの為に代わってくれたその社員からの電話に、のろのろと出る。
何か嫌な予感がしていた。
「はい、工藤です」
「もしもし、工藤さん? 芝崎です。すみません、お休みのところ。どうしても、お聞きしなければならない事がありまして」
「はい、どうかしましたか? ああ、鍵を閉めるコツでしたら、鍵穴に鍵を突っ込んで、ちょっと左に回してから一気に右に回転させるといけますよ」
「いいえ、そうではなくて、戻って来ないアルバイトの子がいるんです。男の子で、ちょっとぼうっとした感じの……」
名前を聞いて脳裏に思い浮かべたのは、最近入ったばかりのアルバイトの顔だった。
ぼうっとしていると聞けば、天然ボケでやさしい印象を受けるが、あれはただの馬鹿の悪ガキだ。
何度教えても覚えず不真面目で、正直扱いに困っていた。
当初はその度胸をかって、案内役をさせようと思って教えていたのだが、結局口上を覚えられなかったので、乗り場で戻って来る船の距離の確認をさせていた。乗り場で出発していない船があれば、次に入って来る船を待機場所で止めるよう指示を出す係だ。
その子がどうしたんだろう。一体、どこへ行って戻って来ないというのか。
「その子がどうしたんですか? シフト通りなら、乗り場の見張り役でしたよね?」
「ええ、そうでした。でも、その子が六時過ぎの……いつも客を乗せないっていう船が来た時に、点検に行くって言って、船に乗って行ってしまったんです。乗り場係員の子達がすごく驚いていましたが、いつも点検の為に運行していると言っていたので、私も大して問題はないと思って緊急停止しませんでした。それに、大した理由もなく緊急停止なんてしたら上から何て言われるか……。でも、その子がいつまで経っても戻って来ないのでどうしたのかと思って。アトラクションの故障が起こった時に避難する場所も探したんですけれど、どこにもいなくて。工藤さん、何か思い当たることはありませんか? 案内役しか知らないような場所に隠れているなんて事ありませんか? まさか湖に落ちて溺れ死んだなんてこと……」
「今から、すぐに行きます」
短くそれだけ言って、工藤は服を着替える。
そうして、財布と携帯電話を持って、素早くアパートを出た。
工藤がアクアツアーズの乗り場に着いたのは午後八時二十五分で、そこには芝崎が待っていた。
清掃員が、まだ園内中を掃除している為に各所の明かりはつけられたままだ。
その照明に照らされた芝崎の青ざめた顔を見ながら、工藤は操作室へと入って行く。
船が収容されている倉庫の扉を操作して開けると、その中の1台を乗り場までつけた。
朝、本当の点検として動かしている機体だ。
アクアツアーズ一隻の定員数は、12名と案内役1名の計13名。
しかし、点検用の船は定員8名のそれよりはずっと小型の船だ。おまけに機体は、様々な色がある中で唯一の黄色と一番目立つ。
また、他の船とレールの上を走るという点では全く同じだが、気になる箇所を見つけたらすぐさま対応できるように、その船にだけは発進と後退、また停止のレバーが取り付けられていた。
「あれに乗って探しましょう」
船に乗り込みエンジンボタンを押せば、ぶるると唸って足元が振動を始めた。
黒く底の見えない湖の水を、ゆっくりと掻き分けて船は進んでいく。進みゆく船の先から薄い波が襞のように幾重にも広がって、遠くまで流れて最後には元の静かな湖面へと呑み込まれていった。
やがて、コースの真ん中くらいに差し掛かる。
工藤が教えたアルバイトの一人が、その場所には晴れた日だと、船の真下辺りを一緒になって進んでついて来る大きな影があると言っていた。
学生時代、工藤も同じような影を何度か見てきた。けれど、その影はある一定の場所までやって来ると必ずどこかへ消えていくのだった。
だからその影を演出だと思っている客は多い。
今いる案内役の半分も、そう思っている。
昔は、そう考える案内役の方がまれだった。
それは、深い理由もなしに尊ばれ敬われていたものが、歳月を経ることで徐々に消えていく今の世の中に似ている。意味がなくては存在すら認めてもらえず、ただ消えていったもの。
だが、それはあくまで人間の側から見ただけのことだ。本当に消えたわけではない。なくなったわけでもない。
見えなくとも、感じられなくてもそこに存在している。
そうして、無知蒙昧な人間達を嘲笑っているのだ。
乗り場から丁度反対側の人工洞窟へとさしかかる。
そこは、湖の真ん中にある島の大樹に隠されて乗り場からは完全に死角になっている場所だ。
そして、例の影が消える場所でもある。
洞窟内は風通しの悪い場所で、そこにはいつも熱が籠っていた。同時に閉鎖的な嫌な空気も。
けれど、今日はいつもより一層ひどい。
洞窟内の壁から異様な熱気が向かって来る。それから、周囲に充満している鼻をつくこの臭いの酷さはとても言葉では言い表せなかった。
耐え切れず、同乗していた芝崎は涙ぐみながら呻く。
「何ですか、この臭いっ。うえっ。気持ち悪いっ、吐きそうですよ」
誰が最初に言ったのかはもうわからないけれど、案内役達はその洞窟を大クジラの胃袋と呼んでいた。
昔、漁をする度に荒れて、何人もの漁師を溺れ死にさせた大きな湖に、生贄を沈めていたのだという。
風のない日でも、突然大波がやって来て、漁師の乗った舟を転覆させた上で大渦に呑み込んでしまう。
これを怒れる神の成せる業に違いないと恐れた村人が始めた事だったらしい。
その取り決めがされて以来、何人もの人間が舟に乗せられて湖に流されてきた。
最初は老人、それから罪人、流行り病を得た病人、あとはたまに村にやって来た行商人や余所の村人だった。
彼らは、身一つで舟に乗せられ湖に流された。
逃げ出す為の荷物は何一つ持ち込ませず、当然舟を漕ぐための櫂にしても渡されないのだが、不思議と生贄を乗せた舟を湖に浮かべると、すいすいと風もないのに留まることなく緩やかに進んでいく。
そうして、舟がとある場所まで辿り着くと、そこで大波に煽られ転覆して一気に水の中に呑み込まれていくのだった。
こうして、定期的に生贄を流すようになってしばらくもすると、昼間に漁師が沈められる事がなくなった。村人達は、これを幸いと大いに喜んだという。
慣れとは恐ろしいもので、それから村人達は、今度は村で死人が出るとこちらはいかだに乗せて湖に流すようにもなっていた。
日も暮れて宵闇がせまる頃、遺体を乗せたいかだも、風もないのにすいすいと湖を滑るように進んでいく。
そうして、例の場所まで辿り着くと、くるりといかだの水に面した方がひっくり返って、上に乗せられていた遺体だけがきれいさっぱりと水の中に落ちていき、それが湖面に浮かび上がってくる事はなかった。
骨一本、着物の切れ端一つたりとも残らず全部沈められ、見つかることはなかった。
これを長年に渡って続けた結果、村には墓が異常に少なくなり、それを近隣の村人からは大層気味悪がられていた。
村ぐるみで何か恐ろしい事をしているのではないか、と彼らは薄々思ってはいたけれども、それを敢えて口に出す者はいない。
ただ、何も知らない者への警告や、その土地や村人達への畏怖も兼ねて、その村をはかなし村とだけ呼んでいた。
やがて時代が移り変わり、近隣の村や町との合併を重ね、その都度改名も重ねた為、今ではもうその村の名前を知る者はいない。
いつかの大地震の影響で湖の規模が小さくなってからは、その土地のことも人々の記憶から薄れてしまい忘れられていった。
しかし、その湖は今もどこかに存在しているのだという。
ただ、それがどこなのかは誰も知らない。