外交官、初出勤
ラビンスキーは新調した服を着て、堂々と聳える王城に赴いた。今日は外交官としての初仕事である。都市衛生課に身を置きつつ、外交官に任命されるという特異な事情からか、表情が強張っていた。二、三度深呼吸をし、荷物を持つ力を強めて、平らで美しい宮殿へと足を踏み入れた。
宮殿には大雑把に分けて近衛兵の宿舎、食堂、大臣級の貴族の執務室、会議室、迎賓館、王族専用の居住空間が存在する。庭先は西洋庭園の趣を持つ。国賓たちは東側にある迎賓館に迎えられ、壮大なフラスコ画が出迎える。別館である近衛兵たちの兵舎は大公広場側である南側に面している。貴族たちは西の執務室にある自室で様々な会議の準備をする。北側中央には巨大な会議室があり、両翼に敷き詰めた巨大な赤絨毯と座席には圧巻である。その他東西にやや小規模の会議室があり、中央会議室の奥に謁見の間、さらに奥には王の居住空間がある。概ねこのような構造だが、光が当たりづらい王族の住まいは実際には居心地が悪いという評判があるらしく、女王は執務外の時間を迎賓館のロビーで過ごすという。
ラビンスキーは赤絨毯を踏まぬように気を遣いながら、中央会議室を素早く抜ける。その先にある謁見の間の前で身だしなみの最終チェックを行い、深呼吸をしてノックをした。
「入れ」
ロットバルトの声。重厚で巨大な扉をゆっくりと開く。眩い白の壁とかけられた絵画の数々が、目のやり場に戸惑う程点在している。それでも中央を直視せざるを得なかったのは、中央の玉座に座す目を瞑った女性の威光のためだった。シルクのような肌というのさえ言葉が足りない発光するような肌に、威厳と慈愛に満ちた笑み。ロットバルトとは違った美しさに、目を奪われたからだ。彼は謁見の間の中央まで進み、跪いた。
「失礼いたします。この度、ロットバルトの選任外交官に任命されました、ラビンスキーと申します。ムスコール大公国の更なる発展に寄与すべく、全霊を尽くしてまいりたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「まぁ、彼がロットバルトのお友達なのね!私はエリザベータと申します。会えて嬉しいわ!」
「このような形で陛下をお目にかかれるとは、身に余る幸福でございます」
ラビンスキーが顔を上げずに答える。ロットバルトが女王に耳打ちをすると、あっ、と小さな声を上げた女王が早口で言う。
「ごめんなさい、もう頭を上げていいのですよ」
ラビンスキーは頭を上げると、思わず背筋が凍る。女王の周囲には厳つい大臣が座しており、いぶかしむようにラビンスキーを見定めている。中でも不満そうなのがポストゥムスであり、感情を露わにしないためにしきりに唇を噛んでいた。そんなことは目もくれず、眩い微笑で喜びを表現する女王。隣にはロットバルトが座し、ラビンスキーの心中を察してか申し訳なさそうに軽い会釈をした。多少落ち着きを取り戻したラビンスキーは、女王をしっかりと見る。大臣たちは玉座に向き合うこともなく、単なる凡衆に過ぎないラビンスキーを冷ややかに見下ろす。
「それでは、会議までの間に簡単に任務の説明をする。一度しか言わないから、心して聞く様に」
外務大臣があいさつもなく切り出す。これ以上の雑談は不要、と考えたのかもしれない。
「はい」
「よろしい。本日から、君には特任外務官として、プロアニア、ペアリス、エストーラに対する交渉を担っていただく。大使館を通して簡単な資料を送らせている。今日中に確認の上、一週間後に参られる担当の外務官と交渉に当たっていただく。業務後は、私に逐一報告をするように。また、ロットバルト卿、私、そして女王大公の認可がない場合には、一切の外出を禁ずるので、その度に報告をするように」
「はい」
ほかの大臣は取るに足らぬことと言うようにひそひそと話している。外務大臣は終始眉根にしわを寄せているが、元々そのような顔なのかもしれない。
「付言しておこう。基本的に私は君を信用している。報告さえしてくれれば、あとは君の自由に任せよう。無論、最終的な交渉に当たっては私と外務大臣であらせられるシモノフ卿も同行する。まずは情報を集め、そして手紙を出すのがいいだろう」
ロットバルトが言う。ラビンスキーは再び返事を返す。返事を返しきる前に、シモノフが続ける。
「もう下がってよいぞ。そろそろ会議が始まる」
「はっ。失礼いたします」
ラビンスキーはなるべく背を向けないように謁見の間を後にする。扉を閉め、会議室をでた直後には、周囲の貴族院議員がぎょっとするほどの大きなため息を吐いた。
「え!謁見まで受けたのですか!さすがはロットバルト様のご友人ですね!」
「えっ、いえ。そんな、恐れ多いです」
三人の外交官に囲まれたラビンスキーは狼狽えた。彼らは都市衛生課と異なり伝令を直ぐに受け取れる王城の前の近衛兵舎に一室を設けられており、厳つい男たちの中に余りにも不釣り合いな文人たちが倉庫代わりの部屋で適当に座っていた。
エストーラの外務官は老獪な紳士であり、多少の事では動じない様子だった。ペアリスの外務官は若く活発で、ラビンスキーに相当の関心を示しているらしい。プロアニアの外務官はおよそ人づきあいが得意ではなさそうな仏頂面の中年で、先程からラビンスキーにあれこれと訊ねるペアリスの外交官に刺すような視線を送っていた。
(普通一国ずつだろう!?)
戸惑うラビンスキーは端々を確認した資料を手に、期待の目を向けるペアリスの外務官に笑みを返す。
「……それで、我々は陛下に何を持ち帰ればよろしいのでしょうか?」
プロアニアの外交官は仏頂面のまま訊ねる。ラビンスキーが資料を基に先刻認めたばかりの親書を取り出すと、プロアニアの外務官はそれを奪うように受け取り、さっさと部屋を出て行ってしまった。ペアリスの外務官はそれを咎める。
「これだからプロアニアは未成熟だって言われるんですよぉ。ねぇ?」
「ははは、まぁまぁ。彼にも彼なりの哲学というものがあるのでしょう。どれ、私も頂こうかな?」
エストーラの外務官に親書を渡すと、封筒の表裏をさらりと確認し、満足げに頷いた。
「世に寡黙、饒舌の別あれど、こと外交に置きましては、親書程その人の表現力を顕すものは御座いません。どれ、お手並み拝見と行きましょうかね。それでは、私もこれにて……」
彼はそのまま恭しく、わざとらしい礼をして、去っていった。ペアリスの外務官は肩を竦めた。ラビンスキーは苦笑して、この好青年にも親書を渡す。彼は待ってましたと言わんばかりに顔を晴らし、慣れない手つきで親書を受け取った。ちょっと照れくさそうに微笑むと、何となく年齢よりも幼く映った。
「じつはこれが外務官としての初仕事なんですよ!いやぁ、なんだかワクワクしますね!」
彼は実に楽しそうに言う。ラビンスキーは思わず顔がほころんだ。
「いいお返事を期待しております」
「えぇ、えぇ!あぁ、でもロイ王的には、どうなんでしょうかね!あの人偏屈ですから!」
「え?」
聞き返す間もなく、彼は手を振って出て行ってしまう。急に寂しくなった部屋の中で、ラビンスキーは彼が重大な情報を聞き出すために明るく振る舞っていたことに気付き、急いで城の外を確認した。庭先では、ペアリスとプロアニアの外務官が仲睦まじそうに会話をしていた。
(あ、これは……)
ラビンスキーは妙な悪寒を感じて、身震いした。




