教会と俗語聖典4
ラビンスキーは度の強い蒸留酒を仰ぎながら、浮かない表情で並んだ料理を眺めていた。隣の席では新たな転生者と思われる人物とビフロンスが談笑している。ラビンスキーには、よく喋る若い転生者に愛想笑いを浮かべるビフロンスの心中が、何となく察することができてしまう。どんちゃん騒ぎをするコボルトとオークはいつも通りだが、席が違うだけで店の雰囲気が一気に明るくなったようにも思える。
「おーい、ラビンスキーさーん、元気ですかぁー!!」
ラビンスキーはルカの声に我に返り、自嘲も込めて苦笑する。ルカは顔を真っ赤にしながら黄色い歯を見せる。立派なビール腹を揺らしながら、隣でしゃくりあげるアレクセイの肩に手を回した。ラビンスキーの隣がすっかり特等席となっているハンスは、美味しそうに白湯を啜りながら、一服ついている。ラビンスキーよりは箸の進みが速かったようだが、それでも脂ののった魚などはあまり手についていないらしい。
「……ラビンスキーさん、気になることでもありましたか?」
ハンスが穏やかな表情のまま訊ねる。ラビンスキーは周囲を気にしながら答えた。
「俗語聖典が教会の新たな権威になる事に反対する人はやはり相当数いますよね。暴動など起きるのではないかなと」
ハンスはコップを机に置く。その音は周囲の音と比べてあまりに些細な音であり、かき消されてしまう。
「そうですね。既に大きな反対運動が起きています。教会の前には毎日俗語聖典の翻訳会議を見るために人が集まっていますし、その入場料で結局は搾取する姿を目の当たりにして、下層市民が黙っているとは考えづらいでしょう。彼らは過激なところもありますからね……」
「教会への祈祷を条件にしているから、寄付金を落とさざるを得ないんですよね。解放しないのはそれはそれで問題ですが……博士たちにも危害が及ぶ可能性もあります」
「大学と教会は古くから癒着構造が恒常化していますから、そこにいるだけで非難されることもありますね。もともと学生の中には、学費の為に詐欺まがいの取引をする者もあります」
ハンスは高価な子ウサギの焼肉に手を伸ばす。トレンチャーの上を見れば、添え物から順に摂取されていたことが伺える。ラビンスキーはハンスに倣って食事を摂る。初任給までの間、木製の皿を利用していたビフロンスの気遣いが身に染みるように感じた。ラビンスキーは久しぶりの肉に舌鼓を打ったが、それ以上に薄めた紅茶の事を思い出した。周囲に合わせて食事を摂ることが多いラビンスキーにとっては、ここ数日間の食卓は物足りないものに思える。確かに硬くなったパンにしなびた野菜を食べていたはずなのだが、腹がもたれるほどの祝福を受けたルシウスの解放の日を思うと、どうしてもひもじい気がしてしまう。
「……私の故郷では、読み書き計算はできて当たり前でした」
「そうですか。とても素晴らしい事ですね。階級、資金力でそれらは異なります。それこそ、貧しい学生が手段を選べないように」
アレクセイが項垂れて大きな欠伸をする。今日に限っては、お気に入りのチーズもおかれていなかった。悪酔いしそうなエールをがぶがぶ飲むルカが高笑いする。隣のコボルトも巻き込んで飲み比べを始めたらしい。
「……教会が縛り付けることもできない以上、こればかりは静観するしかないんでしょうか?」
ラビンスキーはハンスに訊ねる。ハンスは白湯で口を湿らせて答えた。
「どうでしょうね。ラビンスキーさん、貴方は間もなく国際関係を動かしていかなければなりません。今の教会とどのようにかかわることが、一番国益に適うと考えておられますか?例えば、「国益」という視点に限れば、私は、教会との癒着を悪いものと捉えるべきではないと考えています。教皇庁との対立は、そのまま西方世界からの隔絶を意味します。彼らの文化には優れたものも多い。安全な交易が出来なければこの国は文化的進歩でも資源面でも苦しむことになるでしょう。一方で、それを維持するためにはある程度国家を「統制」しなければならない」
「……本当は、クリメントが簡単に退位できれば問題ないのでしょう。彼らが暴徒とならないようにする方法としてはそれが一番です。叙任権は教皇が持っている以上、それは難しい。とすれば、別の形で教会を認めてもらうべきではないかと」
「別の形とは?」
「……わかりません」
教会を金で買うことはそれこそ非難を買うだろう。ラビンスキーは、明確な答えを出せない自分が酷く恥ずかしく思えた。それでも、ハンスは優しくラビンスキーを見つめる。ローテンアルバイテにも、教会の愚痴をこぼす声が紛れているらしかった。




