教会と俗語聖典3
教会の鐘と同時に楽しそうな店じまいの挨拶をする人々の隙間を、イグナートとその使者達が歩いていく。教授連の中にルシウスは当然いないが、彼らの専らの話題はまさにルシウスその人に関することであった。
ラビンスキーは蟻のように一糸乱れぬその隊列を見ていた。ローテン・アルバイテに向かう一同より少し遅れて広場の様子を観察していると、教会へ対するヘイトを唱える一団がいるらしいことに気がつく。彼らは手作りのミトラを被せた犬を連れ、そのリードを引っ張っては虐待をして楽しんでいる。教会の前を通る教授達はしきりに不快な表情を見せ、犬を勝ち誇ったように吊り上げる男達の前を通り過ぎる。周囲の一団は気に留めることなく通り過ぎていく。
(あれだけの数は……私にはどうしようもない)
ラビンスキーが強い弱い云々ではなく、虐待する犬一匹に対して、彼らは十数人。どう計算しても一般人には対処できないだろう。その中に飛び込んで行けるのは、勇者か聖人の類だ。ラビンスキーは諦めて立ち去ろうと考えた。
「ちょっと、ワンコロが可哀想だっぺ!」
聞き覚えのある声に、思わずギョッとする。振り返ると、案の定、モイラが教会から正に出てきたところだった。
「お?なんか田舎臭い小娘だなぁ。いいかいお嬢ちゃん、教会の言うことを聞いちゃいけないよ。あいつらは悪魔に魂を売ったのさ。現にあの金庫の鍵束を見ただろう?」
男達は馬鹿にするように、そして諭すように言った。モイラは頰を膨らませる。
「そう言う問題ではありません!そのワンちゃんが何をしたって言うんですか!?可哀想でしょう!?」
「さてはシスターだなオメー?」
男は犬を引くリードから手を離す。キャン、と悲鳴をあげて地面に倒れた犬は脇目も振らず逃げていった。代わりに彼らはモイラの手を掴み、強引に壁に押し付ける。男は馬鹿にするような猫なで声で囁いた。
「……教えてあげようか?」
「離して下さい!」
民衆がぞろぞろと集まってくる。男は周囲を見回し、迷惑そうに顔をしかめた。
「おいおい、これじゃあ俺達が虐めているみたいじゃないか!皆さん!俺たちは別に虐めてなんていませんからね!絡んできたのはこっち!わかる?」
集団が乾笑する。舐め回すような目でモイラを見つめる。モイラが顔を逸らしても、どうしてもその目からは逃れられない。
(さすがにこれはいかん……!)
ラビンスキーは意を決して彼らのもとに駆け寄る。その時、何処かで聞いた声が聞こえた。
「みっともねぇなぁ、お前達。それでも人間様か?」
群衆に紛れて姿は見えない。しかし、それはラビンスキーにとってある種特別な響きを持った声だ。
「あん?亜人風情が調子乗ったんじゃねぇぞ?」
「これは失礼。何せ亜人なんでね、人間様のマナーはわからないんで」
ラビンスキーが群衆の間を縫って中に入ると、そこには確かに小柄なコボルトの姿があった。コボルトは頭を掻きながら男を馬鹿にするように答えた。男は頭に血が上り、コボルトの胸ぐらを掴もうと姿勢を下ろす。それに対して、コボルトはほとんど反射的に体を縮め、あの時と同じように顎に強烈な一撃を食らわせた。男はそのまま体を硬直させ、モイラを持つ手が緩む。コボルトはその隙にモイラを奪い取ると、ラビンスキーの時と同じように強引に手を引いて駆け出した。
男達は怒号をあげながら一斉にコボルトを追う。野次馬をかき分けなければ外に出られない彼らに対して、スルスルと抜け出すコボルトとモイラは広場から消えていった。その速度と言ったら、およそ人間では追いつけそうもない。
「おーい、ラビンスキーさーん!」
「あ、は、はい!」
ラビンスキーはモイラの後姿を探しながら答える。教会の前を覆いつくした一団も姿が見えなくなっており、最早探すこともできなくなっていた。ラビンスキーは諦めて踵を返す。久しぶりの酒宴を思いつつも、つい、足取りが重くなっていた。




