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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
三章 聖俗紛争
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教会と俗語聖典1

 コランド教会には、毎日イグナートの遣わす小僧が往来していた。神性を身ぐるみ剥がされたようなコランド教会は、外観が変わらずとも、何と無く寂れて見えた。

 ラビンスキーが道を通ると、教会には険しい罵声が毎日のように浴びせられている。そんな男達でも、狸牧師が俗語訳をちょっと見せれば満足して帰ってしまう。ラビンスキーの目からも、それが何とも愚鈍に映ってしまう。


 ラビンスキーは大公広場のゴミを拾いながら、しきりに教会のステンドグラスを覗き込んだ。「公正の為に」公開で行われている俗語訳聖典の推敲作業では、気難しい顔の教授と、澄まし顔のクリメントが細々とした指示を出している。雷のモニュメントがいかにも威圧感を与え、寂れて見える外装とは裏腹に未だに権勢を保っているように見える。


 もう一つ変わったところがある。ルシウスの教室が満席で大忙しだというものだ。もっとも本人としては迷惑極まりないらしく、ラビンスキーにもしきりに文句を漏らしていた。大学に顔を出そうにも、学生が集まるその中にいい大人が混じっているというのは、少々気恥ずかしいところがあった。結局、ラビンスキーはここ数日間全くルシウスに教授を受けてはいない。


「おーい、ラビンスキーさーん!そっちのゴミは取れましたかー?」


 アレクセイが叫ぶ。ラビンスキーは間延びした返事を返し、腰のこりをほぐしながらアレクセイのいる広場の中央に向かった。


「いやぁ、久々に動くときついね……」


「でも良かったですよ。どうなることかと思いましたから」


「私が一番ハラハラしたんだけどね……」


 ラビンスキーが苦笑して返す。アレクセイも笑顔を返した。相変わらず火挟をカチカチと鳴らすラビンスキーは、教会の方をチラチラを覗こうとする。


「気になりますか?」


 アレクセイの声に我に帰ったラビンスキーは、誤魔化すように笑う。二人は変わらぬ喧騒の中心で暫く沈黙する。耐えかねたラビンスキーが頭を書きながら続けた。


「いやぁ、うん。気になります……」


「行って見ましょうか……。あそこには、アーロン卿も見えるのでしょう?」


ラビンスキーは意外な反応に目を丸くした。この真面目な青年が、仕事中に仕事外の(ある種興味本位の)訪問に反応するとは思わなかったからだ。


「行きたいけど……いいの?」


 ラビンスキーが念を押すと、アレクセイは、今度ははっきりと頷いた。


「えぇ。この外回りは挨拶回りも兼ねていますので」


(ハンスさんに似てきたな……)


 ラビンスキーはそんなことを思いながらも、お言葉に甘えることにした。


 教会の大聖堂は閑散としていた。淋しそうな雷のモニュメントが二人を出迎える。信仰心が微塵も感じられない態度で小僧が寝息を立てている。さすがに会議には入らせてもらえなかったのかもしれない。


 聖堂の裏、普段は解放されていない空間が解放され、どうにも暇そうな人々が野次馬となって連なっていた。会議室の扉は開いているらしく、気難しい顔をした中高年達がこの文言は云々と言い争っているらしい。正直ラビンスキーにはさっぱり意味がわからないが、恐らくは初めの節について激しく議論されているのだろう。この場にあるほとんどの人が、首を傾げているというのは少々残念ではある。


 ラビンスキーが背伸びをして覗き込むと、たまたま資料をずらした狸牧師と目があって、思わず顔を逸らした。


「……で、あるからして、我が主の御言葉に忠実に従うのであれば、ここで「天地の創造」なる俗語を使う

のは正確とは言えない。ここははっきりと「ウム・ジェミス・カル・チアム(天と地を双子とした)」と、文言を改めるべきではないか」


 いかにも頭の固そうな男が言う。大学の教授らしいが、しかめ面が良く似合う、強面の男だった。それに対し、一見温厚そうなひょろ長の男が手を挙げて反論する。


「いえ、我々の間でもその文言は「天地を創造した」と教えているではありませんか。今回の俗語約の趣旨は多くの方に読んでいただくことで、主の御言葉と我々を理解して頂くことですから、できる限り分かりやすく、解読可能な文言に訳するのが宜しいかと」


「……そうですよ、私たちにも分かりやすく!」


 よく響く声はイグナートのそれだろう。他の者と比較して、圧倒的に声が明るくハキハキとしている。中央のクリメントが眉にしわを寄せながら、錫杖の先端をとんとんと叩く。決して大きな音ではなかったが、全員が一斉に顔を向けた。


「「天地を創造した」と、言う文言でいいでしょう。わざわざややこしい言葉で記す必要はありません」


(良かった……ちゃんと趣旨は理解しているんだ)


 ラビンスキーが安堵したのも束の間、隣のアレクセイが不機嫌そうに不満を零した。


「クリメントが中心で決めていたら、変わらないじゃないか……」


「そもそも「ウム・ジェミス・カル・チアム」……。この言葉自体が、文言解釈上問題となりうるかもしれませんね……」


 突然上司の声が聞こえ、二人は一斉に顔を向けた。ハンスが外出用の紳士服に身を包み、興味深そうに

顎をさすっている。ラビンスキーは頭を掻きながら笑って誤魔化した。


「はは……怒ったりしませんよ。私もこうして来ているんですから」


 目があまり笑っていないため、アレクセイもラビンスキーも震え上がった。とは言え、このまま即刻仕事に戻ると言うのも難しい混み具合だった。


「ええっと……。直訳すると、天と地を双子にした……ですね。同時に生み出した、と言うことですかね?」


「そう解釈していいでしょう。しかし、「天と地を双子にした」と言うだけで、産んだとは一言も書かれていないんですよね。もしかしたら、もともと両方とも別に存在していたものを、くっつけたのかもしれません。ちょうど養子縁組のように」


 会議室に背を向け始める群衆がちらほら現れ始める。ラビンスキーは道を譲りながら反応する。


「えっと……それは、つまり……?」


「天と地がもともと主が作ったものなのか、或いは何らかの形で元からあった二つを合わせた、或いは一つを分けたのか……と言うことです」


 ラビンスキーは思わず息を飲む。それを「創造した」と解釈しなければまずいと考えた、教会側の配慮である可能性が否定できないと言うことだ。


「無から有を創造するという主の第一権能さえも、彼らが守らなければならないのかもしれません」


 アレクセイが議場を眺めながらハンスの言葉に続けた。


「クリメントは、まさしく教会の守護者、なのですね……」


「さ、さ。そろそろ帰りましょう。ルカさんがサボってないか確認しないと……ね?」


 ハンスが笑っていない目を二人に向ける。ルカという緩衝材にさえ、棘が混ざっているようだった。

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