善意の欺瞞
審問官は呆然と立ち尽くし、あちこちの拷問器具を眺めながら審問官に質問をする男を持て余していた。
その男、ルシウスはさも当然のように拘束具を外し、壁のいたるところにある武器や器具を物珍しそうに観察している。審問官が押さえ込もうとすると、いいからいいから、と手であしらって観察を続けている。
「いやぁ、うん。実に機能的だね!実にいい!」
「あの、そろそろ証言台に……」
ルシウスは二つ返事で証言台に戻った。審問官は顔を見合わせ、困惑の表情を見比べている。しばらくすると扉が開き、高慢そうな澄まし顔が現れた。
「今回は私が審問の担当を受けることになりました。では早速」
クリメントは錫杖を器用に使って椅子を動かすと、丁寧に着座した。タヌキ牧師ほどではないが、腹は多少突き出て見える。しかし、それはあくまで年齢によるもののように思えた。
「率直に申し上げますが、我々としては、あのユウキとかいう少年が黒だと考えています。故に、あなたに対する罪の告白は強要いたしません。しかし、世間はそれでは許されないというでしょう。そこで……」
クリメントは澄まし顔を上下に動かしながら、審問官から書簡を受け取った。ルシウスは大きな欠伸をしながら、半分閉じた目でクリメントの動作を観察する。
「……あぁ、なるほどね。あれだろう?僕を解放する代わりに、兄さんに『ラビンスキーとイグナートを引っ張り出してこい』と、いう手紙を出せ、ということだ」
クリメントは開こうとした書簡を片手に、小さく鼻を鳴らした。
「さすがは魔法学博士、話が早い。と、いうわけでこちらの書簡にサインをお願いします」
「お断りだね」
審問官たちがざわめいた。クリメントは細い目でルシウスの言葉を待つ。拷問用の諸道具が震え合い、賑やかに互いをぶつけ合っている。
「……今、何と?」
ルシウスはニヤニヤしながら答えた。
「僕は魔法学博士、要は学者だ。学者は真実の探求者でなければならない。だから、君たちに嘘はつけない」
クリメントは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに口角を上げ、審問官たちに目配せをする。審問官たちはそそくさと拷問の準備を始めた。
「その必要はないよ。僕は黒だからね」
「……は?」
審問官の一人が思わず声をあげた。クリメントが険しい表情で睨み付けると、物怖じした審問官は顔を逸らして準備を続ける。
向かいの壁から少年の悲鳴が聞こえる。微かに、鞭を打つ音も響く。
「但し、僕としては『信頼できる人』に聞いてほしい。アーロンを呼んでこい。それに審問を続けさせるならば、僕は白状しよう」
「アーロン?何故、アーロン卿なのですか?」
クリメントは錫杖で机をつく。彼はリズミカルに右の人差し指で膝を叩きながら、ルシウスと審問官を交互に目で追った。
死臭のほんのりするこの部屋に、貴族を呼ぶということの意味、それは、世間にこの場所を晒すことにも繋がるのだ。言葉だけが先行し、秘密裏に行われて来た異端審問が世に出た時、彼らはいったいどのような反応をするのだろうか。
「決まってるよ。彼は君よりもずっと、『信頼できる』人だからね。疑っているのかい?残念だが杞憂だよ。僕は真実を述べないことはあっても、嘘をつくことはない。そうでなくては自分達だけで叡智を独り占めしようとする教会法学者と同じだからね」
クリメントは舌打ちをする。したり顔のルシウスだが、反面、その頰には汗が伝っていた。クリメントはそれを確認すると、揺さぶるように続けた。
「アーロンならば見逃してくれる、と、お考えのようですが……。我が朋友であったアーロンは実直な男、あなたの思うようにはいきませんよ」
「僕は真実の探求者だ。君たちとは違うよ。それとも、『ここを見られて不都合なこと』でもあるのかな?」
ルシウスはわざとらしく周囲を見回す。クリメントは眉を寄せ、審問官はざわめく。
「わざわざ彼らの手を煩わせるべきではありませんよ。我々は神の信徒、雷の民に嘘偽りなぞありません」
「確かにコストはかかるね。しかし、僕を救ってくれるんじゃないの?それとも、これも神様の試練?じゃあ、何かい?君は神の声をかけるというのかい?僕はアーロンに全幅の信頼を寄せているが、君には信頼は寄せていない」
「……爪をはがします」
審問官は急いで拷問の準備を始める。ルシウスはクリメントの目だけを見て、ニヤついている。
「ふぅん……『神の信徒』が懺悔をしたがる男を見て、暴力で無理やり吐かせるんだねぇ」
クリメントはついに錫杖を机に叩きつけた。荒々しい呼吸を整えた彼は、審問官がルシウスの腕を持ち上げるのを視線で遮って、足早に立ち去る。
「あの、クリメント様……」
振り返る時には、いつもの澄まし顔に戻っていた。
「……アーロンに手紙を出します。そして、あの、あの子供を……!」
隠しきれない屈辱の表情が現れる。審問官たちは爪剥がしの道具を持ったまま、右往左往している。
「……っ解放っしなさい!」
ルシウスは静かに笑った。満足げに、恐れるでもなく。
 




