ルシウスから始める魔法科学講座 第5限
朝になると、ラビンスキーは意地悪な日差しに叩き起こされた。冬の穏やかな陽光に馴れた体には、春の陽射しですら眩しいのだ。まして今日は雲ひとつない快晴、休日の緩んだ体を引き締めようとする、有難迷惑な母親のようだ。
のっそりと起き上がったラビンスキーは新品の桶を手に取る。パジャマのままで部屋を出て、苔の生した共同井戸に向かった。
共同井戸で顔をゆすいでいると、部屋からゾロゾロと住民たちが降りてきた。挨拶を軽くかわしながら、教会へと赴く人々を見送る。自分が教会に楯突いているなどと知ったら、撲殺されかねない。想像して一人身震いをしたラビンスキーは、足早に部屋へと戻った。
服を着替え、教会の鐘の鳴る方へと赴く。昼も薄暗い通り道も随分慣れ、乞食が通り過ぎるのもさほど気にならなくなった。ラビンスキーは自分が驚くほど屈強になったことに、また上がらない肩以外のほとんどを受け入れられていることに気が付く。教会に向かう雑踏と、群がる烏合の衆に紛れて、モイラが地味だが動きやすそうな民族衣装を纏って手を合わせている。教会の外まで溢れるほどの「敬虔な」信徒たちが、雷の祭壇へと祈りを捧げる。手を合わせるわけにもいかないラビンスキーは、足早にその場を立ち去った。
大公像の後ろを横切って大学の門をたたく。勿論、祈りの時間に手を合わせない現地人など、一人しかいない。門を開けたのはユウキだった。
「おはよう。ルシウス先生はいる?」
ユウキは頷くと、咳払いをした。喉がかれたような声に違和感を感じたラビンスキーは心配になって尋ねる。
「風邪?」
ユウキは静かに首を傾げる。咳が出るとか、体調が悪そうだとか、そう言った印象は見られない。ただ、無性に不安そうだった。大学の中は相変わらず殺風景で、蝋燭の火が不規則に揺れる。質素、荘厳と言えば聞こえがよいが、単純に時代遅れなだけなのかもしれない。ユウキは少し悩んでから、扉を開け放って言った。
「……どうぞ」
ラビンスキーはユウキの声に若干の違和感を感じつつ、その後を歩く。薄暗い廊下を進み、いつも通りルシウスの研究室に入った。
「失礼しま……っぇぇ……」
吐息に混じって言葉が漏れる。困惑気味に部屋を見回すラビンスキーを見て、ルシウスは楽しそうに笑った。
「やぁやぁ、綺麗な物だろう?実験の為に整理したんだよ」
「実験……?」
ラビンスキーが尋ねると、その眼前に大きな暗い影が現れた。散らばっていた本一つない、巨大な法陣が描かれた部屋に、煉瓦の肉体を持つ巨大な泥人形が立っている。ラビンスキーは泥人形の顔らしき部分を呆然と見上げる。通気口は見られない。手には大量の書籍が入れられていた。それが単なる生物でないことは、瞬時に理解できた。泥人形が会釈をしたので、ラビンスキーもそれを返す。泥人形は何事もなかったかのように作業に戻った。呆然と立ち尽くすラビンスキーの姿を見て、ルシウスがくすくすと笑う。
「え、あの?あれって……」
「ああ!見てごらん!廃煉瓦を組み立てて作ったゴーレムだ!泥製のものの方がやっぱり使いやすいね!内側は途轍もない量の魔術式で埋め尽くされているんだ。……最低限の整理機能だけでこれだけの分量を使うことになったんだ。見てよ関節なんかは動きがカクカクしないようにわざと泥製にしているんだ。でも小型化できたおかげでs=ax/7bhにできたから、作業はかなりの速度でこなしてくれ……」
ユウキがため息を吐いてルシウスの暴走が一旦止まる。後輩の動く姿に何か思うことがあったのか、フラスコの中のホムンクルスがぴちゃんと水を叩いた。ホムンクルスもそれなりに成長していた。
ラビンスキーはゴーレムの背中を追いかける。もう少し小型ならば業務用に使えるだろう。ルシウスの研究室がこれだけきれいなのだ。これで人手不足を解消できるかもしれない。ラビンスキーが目を輝かせる様を見て、ルシウスは満面の笑みでラビンスキーの肩を叩く。
「作りたい?気になる?よし、勉強の時間だ!」
「はい。ぜひ、お願いします」
ラビンスキーは一番外側の下座に座る。小ざっぱりした部屋内で、土がこすれる音が何度も書棚を往復していた。




