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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
三章 聖俗紛争
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魔女の足枷5

 その商館は意外にも賑わってはいなかった。静謐の中圧巻されるラビンスキーの目には、豪奢な服飾職人と商談をする一人の男と、それを不安そうに見届ける小僧の姿があった。皮を鞣すために雇われた女性職員たちは既に帰宅し、むさ苦しさが漂う中、責任を追及する職人の言葉にラビンスキーの背筋が凍る。一層気の毒なのは小僧であり、立たされたままで無茶苦茶な物言いをする職人に何度も怒号を浴びせられている。


 それは概ねカルロヴィッツの不在中のミスを糾弾する内容だったらしい。服飾職人に向かって座るのはカルロヴィッツではないが、年配の男性だった。


 ラビンスキーは居心地が悪いまま、終業時間も終わったはずの商会で、延々と繰り広げられる惨状をただ眺める。蜜蝋も心なしか項垂れているように思えた。


 ひたすら頭を下げる男性の姿も思うところがある。新参者の失敗で頭を下げることは少なからずあり、仕方がないものの、厄介な顧客がいる場合には、このように理不尽な怒りをぶつけられることもある。苦しい空気が続く中、彼の要求する「責任者」が現れた。


「先刻は大変失礼いたしました」


「カルロヴィッツ君!発注ミスだよ!ちゃんと言っておいてくれないと困るよ!!」


 顧客は高そうな羊皮紙を堂々と掲げる。それはカルロヴィッツ商会との契約書だった。カルロヴィッツは目を細めて内容を確認すると、徐に顧客の前にたつ。


「失礼いたしました。しかし、私たちは小僧にそれほど大切な契約書など書かせておりませんが」


「いや、書いたね。絶対に書かせた。この筆跡を見てもらおうか」


 男はその契約書をカルロヴィッツの目の前に見せつける。カルロヴィッツは顎を摩りながら唸り、その冷たい視線を小僧に向けた。


「なるほど、確かに彼のものですね。もっとも」


「もっとも?」


男から契約書を取り上げたカルロヴィッツ氏は、男に見えるようにサインを指し示した。何かに焦った男が悲鳴を上げる前に、その上をなぞるようにしながら続ける。


「日付の筆跡と、小僧のサインの筆跡が異なります。そして、貴方の筆跡と同じ。我が商会では、お客様にサインを求める場合には、日付は我々が記載するように決めております。更に、このサインの跡からすると、こいつは酷い殴り書きをしたようですね。残念ですが、この小僧は殴り書きができるほど、えらい身分ではございません。恐らく、メモか何かに残したものを利用したのでしょう?」


 男は紙を強引に取り戻すと、顔を真っ赤にして叫んだ。


「もういい!勝手にしろ!」


 大股で怒りをあらわにして男が立ち去る。ラビンスキーが道を開けると、店員とでも間違えたのか去り際に睨み付けられた。


「……館長」


 小僧が不安そうにカルロヴィッツを見る。カルロヴィッツはそれを一瞥し、優しい拳骨をくらわせた。

「文字の練習もいいが、仕事に支障をきたすようなら出ていきなさい」


「申し訳ございませんでした……」


 カルロヴィッツは鼻で出口を示し、事態の処理に当たっていた店員を帰す。店員はラビンスキーとすれ違いざまに恭しく挨拶をして去っていった。


「あの、カルロヴィッツ様……」


 ラビンスキーが言い切るかどうかのところで、カルロヴィッツは店の奥に引っ込んでしまった。愕然とするラビンスキーの姿を見て、小僧は椅子に座って待機するように勧める。言われるがままに腰かけたラビンスキーのすぐ後ろで、小僧は待機していた。


 暫くすると、カルロヴィッツが店の奥から戻ってきた。カルロヴィッツは思わず立ち上がるラビンスキーを手で静止する。カルロヴィッツは窓越しのすぐ隣の教会を一瞥すると小さく鼻を鳴らした。そして、彼はラビンスキーに腰かけるように指示をした。ラビンスキーは言われるままに腰かける。先程からの熱が微かに残っていた。


「どうも、ラビンスキー様。カルロヴィッツです」


 小僧が机に置いた水をすかさず手に取るあたり、傲慢か小心者かどちらかなのだろう。ラビンスキーはカルロヴィッツに頭を下げる。


「わざわざお時間を頂きありがとうございます。ラビンスキーです」


 カルロヴィッツはやや姿勢を崩した、リラックスした姿勢で座る。前かがみになって猫背がちになると、大きい腹がつっかえて苦しそうだ。


「あんた、こっちの人じゃないな?」


「はい」


 ラビンスキーが答えると、カルロヴィッツは益々姿勢を崩し、まるで友人と話すように砕けた口調になった。


「あぁ、そうだな。……取りあえず、イグナートは信用しない方がいい。あれは金のためなら平気で嘘を吐くし、俗語聖典も売り上げを狙っての事だ。魔術師との契約も金銭トラブルだ。あくまでこの件では味方、という認識にとどめておくといい」


「御忠告有難うございます。貴方の事は信用してよろしいんですか?」


 カルロヴィッツは水に映るラビンスキーの顔を覗く。ラビンスキーはカルロヴィッツから視線をそらさなかった。


 主人のいない受付は酷く薄暗く、月光の微かな光が窓から差し込む。店内はあのトラブルからは想像もつかない、静けさの中にあった。ブリキのコップの縁をなぞるように月光の光が映る。それは、カルロヴィッツが持ち上げると、直ぐに消えた。


「なら、俺の話を聞いて判断すればいい。この町で、北東方面の毛皮の権益一切を担うのは、このカルロヴィッツ商会だ。毛皮は特許状を持たなければ販売ができない、いわば独占市場だが……もしも市場が開放されたらどうなると思う?」


 コップをなぞる指は酷くぶよぶよとしていた。


「……毛皮は高く売れる。毛皮を狩る先住民たちは安いブリキ製の生活必需品を大層に望んでいる。ローコスト、ローリターン。ちょっと小金持ちならすぐに飛びつくだろうな。そして、飛びつけば不幸になるのは、先住民だけじゃない。大金を得るためには、代償が付きまとう。例えば鉄製品、陶磁器……或いは毛皮だ」


 カルロヴィッツは水を飲む。机に置くだけで音がなるほど、強く力を込めた。


「乱獲ですか……。求める人がいる限りは、私たちは生産し続けるのでしょうね」


「金は悪いものじゃない。価値の象徴、権利の形だ。同じように、権力は悪いものじゃない。だが、ルールを破るためにある権力は、やっぱり違うと思わないか?」


「何が言いたいんですか?」


 ラビンスキーが聞き返すと、カルロヴィッツは頭を掻く。金髪に混じって生気のない白髪が数本見え隠れする。


「シゲルの討伐に携わったあんたならわかるだろう?あれは教会とつながっている」


「はい。孤児院を利用して、奴隷しょうひんを売る。そういう形で互いに利益を得ていたはずです」


「あとは、聖像の「寄付」―より正確には、その中身の販売だ。私も随分と被害を被った」


 聖像、ラビンスキーの脳裏に、はるか昔に拾った教会から送られたシゲル宛の手紙が浮かぶ。あれが密輸であることまでは想像に難くなかったようだが、その中身となると、話が変わってくる。


「中身は北東の毛皮、特権階級なら税はいらないから、どこかで「寄付」をして、それをムスコールブルクに持ち込ませる。あとは市場で売り捌けばいい。不自然なほどの売り上げは教会への「寄付」となり、教会は「孤児院」を通してこれを回す。マッツォ・ニーアを経由して、最後にシゲルに戻せば、シゲルの財産は完成。高級毛皮が売れないわけだ」


「教会は、なんて酷いんですか!」


 憤りをあらわにしたラビンスキーをカルロヴィッツは静かに窘める。


「教会も金がないのは事実なんだろうよ。何せこの町まで教会を普及させるのに、散々軍を動かしたんだからな」


「そうはいっても、流石にそんな詐欺まがいの事は……」


 納得のいかないラビンスキーは、前のめりになる。カルロイッツを責めるような物言いになったことに気付き、直ぐに姿勢を正した。


「……失礼しました」


「金貨の為に手段を選べないのは、最早国も教会も例外ではない。あんたも次回の参事会までに資料を間に合わせる、なんてことはするなよ。どのみち来年までは予算の話はしない」


「はい……」


「今日はここら一旦閉めようか。これからの連絡手段なんだが、直接話すのは流石に警戒される。挨拶でもかわすついでに、とか、イグナート経由で、とか、いろいろ配慮するが、それでいいか?」


「はい。有難うございます本日は有難うございました」


 ラビンスキーが頭を下げると、カルロヴィッツは即刻席を立ってしまう。頭を上げたときには重い体の余韻を残す椅子と机があるばかりで、一瞬困惑したラビンスキーだったが、直ぐにやるべきことに気が付くと、まだ冷たい水を一気に飲み干して、慎重に商館を後にした。


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