魔女の足枷3
イグナートの歓待は、ラビンスキーにとっては予想外の出来事であった。彼の応接室はこれでもかというほどの工芸品で埋め尽くされ、壁には重厚な木製の額に入れられた絵画、如何にも趣のある金箔を貼られた杯など、悪趣味と言っていいほどだ。
窓は南側に大きくとられ、光を遮る隣の壁を軽く見下ろせる高さだった。東側にも窓が取られていたが、こちらは南側ほどの大きさはなく、宮殿を遠目に見ることができた。種々雑多で歪なほど文明の入り混じった応接室は、彼がそれらを愛しているわけではない証左であり、彼が愛したものは黄金の杯そのものだったことを示している。
ラビンスキーはその中に圧倒的な存在感を発する、細身の男に誘われるまま席に着いた。
「それにしてもすごいですね。『印字の魔法陣』と聞いて、てっきり法陣術だとばかり思っていたのですが……」
イグナートは自分の席に着くなり、運ばせた紅茶を音を立てて啜る。そこに上品さは見られない。
「あぁ、印字の魔法陣ですか。あれは今使っている印刷機よりも速くて便利なんですが、如何せん苦労がいるのです。一枚の紙に収まるものを複製するのには大変便利ですから、今でも時折使うのですが、魔術解の準備やら維持管理費用やらもそうですが、魔術師を雇うには些か金がかかりすぎる。それを使って量産するので、製本には結局向かなかったのですね。ならばこちらで新たな印字の手法を作ってしまえばいい。そうすれば、あの金にがめつい魔術師もすぐに国に返せると、そう考えたのです。……とはいえ、やはり私の手でできるのはあの機械が限界ですね」
イグナートはクッキーを頬張る。暮らしぶりは豪華そのものだが、どこか焦っているようにも思えた。違和感を覚えたラビンスキーは、紅茶でコーヒーを流し込むイグナートに対して訊ねた。
「一人を雇う方が安くつきそうですが」
イグナートは紅茶の入っていた陶磁のコップを部下に押し付け、大仰な身振りで答えた。
「そう思うでしょう?しかし、魔術師は高給取りなんですよ!困ったことに私はそれに引っ掛かってしまったんですよ!」
「そうなんですか」
ラビンスキーが訝んでいると、イグナートは一つ咳払いをして、言葉を続けた。
「印字の魔法陣の件については置いておきまして、改めて私達がなすべきことについて考えましょう」
イグナートは先ほどとは打って変わって真剣な面持ちになる。丸眼鏡が陽光を反射すると、凹凸のある細い顔と相まって、悪だくみをしているように見えた。
「私の見立てでは、貴方の意見には一定の合理性がありました。非常にいいプレゼンであったといえましょう。しかし、議場の心をつかむには至らなかった。それはなぜか?」
黄金の杯が輝く。ラビンスキーが目を細めると、後ろから紅茶を持った従業員が現れた。イグナートは従業員が机に器を置くなり、物凄い剣幕でその耳を掴んだ。状況の理解できない従業員は痛みに顔を歪ませ、バタバタと体をゆすっている。
「権力ですよ、権力。権威とでも呼ぶべきものが、我々を拒んでいるのです。それを解消する一工夫は……金貨の落ちる音で魂が救われるように、魂を揺さぶるには金貨が一番役に立つ」
イグナートは従業員の耳から手を離し、すまないね、と一言つぶやいて外に出した。ラビンスキーは何となく従業員に非難の目を向けられているような気がしてうつむいた。
「しかし、私ではとても……」
眼鏡が白く光を反射する。イグナートの脳内でジャラジャラと金貨の弾む音がする。これまで統一感のなかった名品の数々が、音を立てて団結し始める。
「見えない金というものをご存知でしょうか」
「見えない金?」
ラビンスキーが聞き返す。勘定にあらゆるものを集中させたイグナートは、両手の指を絡ませる。
「見えない金、すなわち信用。あくまで権力者と比較して資力のない貴方が、信用を得る方法をご教授しましょう」
ラビンスキーは思わず息をのむ。それは、ある種の罪の意識を掻き立てる姿勢だったからだ。真の実力者はそこにいるだけで異様な威圧感を持つというが、ラビンスキーの目の前の男は、先程までそれを微塵も感じさせなかった。細身に丸眼鏡、その様は一気に参謀総長の威厳に変わる。イグナートの真の実力は、砂上の楼閣、虚構の世界を表舞台に引きずり込む、ハッタリの技術だったのだ。
暫くリアルが忙しくなります。




