参事会の魔物 6
遂にクリメントが動き出した。場の空気が一気に凍りつく。誇らしい錫杖がゆっくりと振るわれ、金にがめつい商人でさえ、朱色のガラス玉の威光に息を呑んだ。
「諸君らには我々教会が自信を持って保証しよう。主曰く、「まやかしの権威は金貨から見捨てられ地獄へ、真なる権威の下には金貨がなくとも天国へ」、と」。なるほど諸君は金貨を持っているようだが、主は金貨は嘘をつかないと言っておきながら、金貨に溺れることをよしとはしない。我々が寄進を求めているのは単に我々の権威に嘘をつかぬ金貨を集めているのではなく、在るべきところに還元したり、また持たざる者への施しの為に求めるのだ。……少し難しかったかもしれませんが、私には施しによる善意の配給の方がずっと金貨に溺れることよりも良いと思うのです」
「矛盾している!」
誰かが叫んだ。クリメントは錫杖を振るう。
「矛盾などしていません。いいえ、合致しているとさえ言える。金貨は嘘をつかないとは、最後には持つべき者のところに戻っていくという事です。つまり皆様のそれも、最後には持つべき者のところに戻っていくのですよ……」
窓から差し込む光が錫杖の先端に反射し、鈍い赤色が蝋燭まで伸びている。クリメントは私見を語るよりも気楽そうに、澄まし顔で錫杖を振るう。赤い光は下方に動き、やがて机上から消えた。
特権階級からの熱い拍手。イグナートは諌めるように言う。
「それでは、全てあなたたちのものになるのですか?」
「いいえ、最終的には主の御元に戻ることでしょう。それこそが、本文の趣旨です」
クリメントが言い切ると、カルロヴィッツが静かに手を挙げた。ポストゥムスの作り笑いが曇る。一同の目線は、もう一人の覇者に向けられた。
「クリメント様、説教ならば教会でやっていただきたい。我々は時間を割いて市の運営に携わっているのです。有難いお言葉は別料金でいいでしょう」
クリメントは鼻を鳴らし、目を閉じて答えた。
「いいえ、市の運営に携わる我々にとって、善意と秩序の根本となるのはオリヴィエスの教え、即ち主の御言葉です。貴方は関係ないとおっしゃるのでしょうが、始まりも終わりも、全ては主の元に戻るのです。それ故、主の教えなくして、市の運営なぞ出来ますまい」
クリメントの言葉に同意する野次が零される。ラビンスキーは終始乾いている唇を水で濡らした。政治の議場というものは、どうやら時代を超えて同じようなものらしい。
「……そうですか。では、こんな言葉をご存知でしょうか?「恵まれざるは劣るにあらず、真に恵まるるは果てなき善意である。恵まれざるを救えども、恵まるるを礼賛するも、いずれの金貨もあてもなし。故に、金貨は嘘をつかない」と」
「……えぇ。無論。先程ルシウス教授が引用された主の御言葉です」
狸牧師は勝利に満たされた余裕の表情だった。カルロヴィッツは目を閉じる。しばらくの間、沈黙が支配する。澄まし顔クリメントが何かを察したのか、眉を顰めた。再び目を開いたカルロヴィッツは、静かに口を開いた。
「確かに、貴方の言った言葉は正しい。金貨は嘘をつかない、つまり、金貨は最後には持つべきものの元に戻る、と。然しね、私は思うのですよ。どうせ持つべきものの元に戻るのならば、どこを経由しても同じではありませんかな?」
「……それは違う。違いますな。貴方も経営者であれば、時間の重要性はご存じでしょう?我々は主との契り……儀式の為にも、直ぐにでも必要なのです。で、あるからして……」
「ならば金を借りれば良いかと」
カルロヴィッツの言葉を遮る様に、狸司祭が机を叩く。テーブルクロスに皺が寄った。
「お前は法螺吹き野郎の手で教会を汚せというのか!」
これまでの怒り方とは異なる、より純粋な怒りだった。ポストゥムスが必死に区切りをつけようと何かを叫んでいるが、狸牧師はそんなものよりもずっと大きな怒号で捲したてる。
「金貨は穢れだ……!鉄の匂いがこびりつく!我々は潔白でなければならない!血の匂いにまみれた手の異形に触れられるなぞ反吐がでる!」
「落ち着けよ!牧師さん!」
ルカが立ち上がる。狸牧師は初めてルカと目を合わせる。
「穢れた手で触るな!ペアリスの回し者めが!」
「よしなさい」
クリメントが静かに諌める。声は小さかったが、途端に場が静まり返る。
「……ポストゥムス様。そろそろ宜しいでしょう。予定の時間も過ぎています。直ぐに決を採りましょう」
「逃げるのか!」
イグナートが叫んだ。
「決を!採決をしましょう!職業安定所の設置に反対の方、反対の方はおりませんか!」
ポストゥムスは挙手を請うようにして叫んだ。特権階級はこぞって手を挙げる。それに少しの豪商たちが続けて手を挙げた。ルシウスは挙手をしないどころか、寝息を立てている。死んだ目をした男たちの挙手の波は、カルロヴィッツより下座でピタリと止まった。
「24人中18人の反対で、否決です!か、解散!お疲れ様でございました!」
巻き起こる批判の嵐に、発言権のないラビンスキーは呆然と立ち尽くす。ブルジョワジーたちは立ち去ろうとする特権階級達を遮る様に席を立つ。構わず逃げる様に立ち去る彼らに向けて、カルロヴィッツは足を組んで座り、冷ややかな目を向けるだけだった。




