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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
二章 社会福祉問題
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勇者の矜持2

「商品になるかと思っていたけどね。頭にきたよ。損失は大きい。何といっても、このシゲルの名に泥を塗ったことがね!」


 青い鎧の男はゆっくりと横たわる人に近づく。長い髪を結わえた紐は千切れてどこかへ行き、鎧はボロボロに解け、ところどころから肌が露出している。ひゅうひゅうと呼吸の音が微かに聞こえるだけで、最早意識すらないようだ。シゲルはその髪を引っ張り、ロットバルトの顔を持ち上げる。不気味な含み笑いからは、爽やかさは微塵も感じられない。


「まぁ、小娘一人でよくやったよね。男装して、政治を回すわ、戦争に繰り出すわ、村一つ自由市民にとっ変えるわ!全く稼がせてもらったよ!最後は体で払ってもらいましょうか!」


 シゲルはロットバルトの顔に唾がかかる程の大声で叫ぶ。広い壁を震わせる声が幾度もこだまする。壁際の蝋燭の火まで揺れる。彼は汗一つかいていないが、怒りの眼に余裕はなかった。彼は目と荒い呼吸だけで反応するロットバルトの髪から手を離す。ごとり、人が岩石に衝突するような鈍い音がする。シゲルは大剣を構える。無残な姿を晒すロットバルトが刃先に映る。刃先を翻すと、シゲルの血走った眼が映る。


「嘆かわしい事です。肉を得てもなお、自らの欲望を満たすほかないというのは」


 カツ、カツ、カツ……広い地下室には乾いた皮の靴音がよく響く。シゲルが二つの足音にふり返ると、年端も行かない少年と、息を切らした四十肩の中年男性がそこにいた。彼は狂気を隠そうともせず、二人に犬歯を見せびらかす。


「……誰かと思ったら公証人館の主人と役人さんじゃないか。ふふふ、おかしな組み合わせだ」


 シゲルは立ち上がって大仰に手を広げる。ビフロンスは無表情のままで答えた。


「随分とお愉しみのご様子ですが」


「お愉しみ、ね。あぁ、いい腕だったよ。ただ、相手が悪かったね。僕は最強の勇者シゲルだからね」

 シゲルが二人に近づいてくる。ラビンスキーは身構え、後ずさりする。ビフロンスが「最強」と繰り返す。シゲルは満足そうに笑う。ラビンスキーは寒気を感じ、目を逸らした。


「……笑止。自らの在り方も知らぬ哀れな器よ」


 ビフロンスが肩を揺らして笑う。シゲルは大剣をふるい、地面にたたきつけた。衝撃で地面が波打つように盛り上がる。


「あまり馬鹿にすると、痛い目に遭うけど?」


 ビフロンスは眉を上げ、微笑を崩さない。シゲルは瞳を震わせ、地面にさらに強い一撃をくらわす。途轍もない音と共に、御神渡りの如く地面が盛り上がる。ラビンスキーは耳を塞ぎ、目を瞑る。暫くして細目を開けて確認すると、ビフロンスは軽く足元を整えただけで、殆ど微動だにしなかった。


「そろそろ終わりにしましょうか。勇者シゲル、或いは、世に並ぶもの無き怪物リヴァイアサンよ」

 シゲルは驚き、ビフロンスを見てニヤリと笑う。ビフロンスは襟を整え、美しい姿勢でシゲルに近づいた。


「何故、気づいた?」


「何故?貴方がとても不安定な存在だからですよ」


「……不安定?」


 ラビンスキーが繰り返す。


「えぇ。彼はこの世界において最強の概念です。世に並ぶ者無き怪物……即ち、あらゆる生命的特徴において、どの数値よりも多い数値を持つ、極端に言えば無限の象徴です。然し、無限とは、人の認識によってのみ存在する、概念に他ならない。丁度、我々悪魔と同じように……。その上で、です」


 ビフロンスはシゲルの大剣の射程に入らないギリギリの距離で立ち止まる。靴音が収まった石の牢獄は静寂に包まれる。シゲルは微笑を浮かべたまま目を細めた。


「あれはあらゆる者の頂点に立つ概念であるが為に、あらゆる者によって在り方が異なるのです。貴方にとってはある種受け入れやすい正義のような者に映ったのでしょう。子供のように無邪気な姿に見える者にとって、世に並ぶものなき怪物は、先の見えない希望かあるいは好奇心でしょうか。教会の牧師様に見えたのは、権威の象徴、とりわけ聖職者の権威……信仰の具現とでもいうべきでしょうか」


 ビフロンスが静かに語る。こだまが帰るまでにそう時間はかからず、エコーがかかったように音が重なる。それでも、種々雑多な音がない分、聞き取りやすかった。ラビンスキーはビフロンスともシゲルとも十分な距離を置きつつ、かなり極端な大回りでロットバルトに近づく。人が声を発するたびに思わず体を強張らせているが、良くも悪くも誰も気に留めていないため、比較的すんなりとロットバルトの元にたどり着いた。


「ふふっ、ただの役人気質だと思っていたけど、どうやら舐めすぎていたみたいだね……。いいよ、冥土の土産に質問に答えてあげようか」


 シゲルの威圧的な微笑に対して、ビフロンスは鼻で笑い返す。眉を寄せたシゲルに対して、ビフロンスはわざとらしく指を突き立てて見せた。


「ならば問いましょう、世に並ぶものなき怪物よ。貴方はなぜわざわざ受肉をしたのですか?そして何故わざわざ我々の関心を集めるような所業をなさったのでしょうか」


 シゲルは腹を抱えて笑った。ひんやりとした空気に重くのしかかるシゲルの甲高い笑い声。動かないロットバルトに肩を貸し、なんとか担ぎ上げたラビンスキーも思わずその足を止める。ビフロンスは目を細めるばかりだった。


「金だよ金!人間ってぇ奴はなぁ!金のためなら幾らでも貢いでくれるんだよ!気分がいいよなぁ!クッソブッサイクな性奴隷共を両手にさぁ、ちやほやされるっていうのはよぉ!」


「……肉に問題があるのでしょうか。概念の風上にも置けぬ惨めさよ」


 シゲルはキンキンと腹に響く笑い声をあげながら、大剣をビフロンスに突きつける。微動だにしないビフロンスに対して勝ち誇ったように剣を喉元で弄ぶ。小馬鹿にするようにつま先で地面をつつく。


 ラビンスキーは再び大回りをしながら移動を始めた。やがて彼がビフロンスを通り過ぎたところで、地面がひとりでにゴリゴリと音を立て始める。ラビンスキーがビフロンスに目を向けると、ビフロンスは胸元で静かに十字を切っていた。


「……主よ、安らかなる眠りを受けるべき者たちをここに呼び覚ます事を、どうかお許しください……」


 深淵の中に溶けた石畳が音を立てて動き出し、シゲルとビフロンスの間に大きな溝を作る。あっけにとられたラビンスキーが立ち止まっていると、地面がひとりでに傾斜を持ち始めている事に気づき、早足で部屋を飛び出していった。


「貴方は肉を受けましたね。この世の概念は人が続く限り半永久的に存在し得るものです。然し、然し。貴方は肉を受けてしまった。それ故に、死を司る者として、告げねばなるまい」


 ビフロンスは空間を歪ませ、分厚い書籍を取り出す。シゲルは早速大剣を振るうが、何者かが盾になってそれを阻んでいる。舌打ちをしたのもつかの間、割れた足元からうめき声とともにドロドロに腐敗した死骸たちが絡みつく。シゲルは思わず声を上げる。ビフロンスは書籍を開き、ゆっくりとした仕草でシゲルに指を指す。


「世に無限は存在せず、概念として帰るべきである。或いは、肉を受けた以上、最早貴方はこの世に並ぶ者なき怪物に過ぎぬという事を」


 ビフロンスの鋭い視線と、反響する不気味な死骸たちの呻き声が交錯する。至る所に穴ぼこが作られ、死骸が溢れ出た。


「誠に不本意とは存じますが、我が権威、我が権能を以って、しかるべき措置を取らせていただきます」


 シゲルを取り囲むように無数の泥のような死体が這い出す。シゲルでさえ、思わず息をのんだ。

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