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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
二章 社会福祉問題
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勇者の矜持1

 扉を叩くと、老人が顔を出す。深い皺が何層にも重なった特徴的な風貌は、お伽話の中の人物のようだった。彼には僕が視界に入っていないらしく、ロットバルト卿に対して警戒しつつも歓迎しているかのように振る舞った。僕たちは中へ案内される。


 ダンジョンの小部屋の様なロビーには、受付のほかには薄暗い部屋に馴染んだ黒い皮のソファと、暖炉が二つ、そして、絨毯といくつもの樽があるだけだった。老人はのそのそと動き、僕らをソファに座らせる。カンテラを片手に白湯を差し出した。


「どうぞ、ご用件は?」


 老人が尋ねると、卿は僕を一瞥し、申し訳なさそうに眉を寄せながら答えた。


「私も惜しいのだが、この子を売りに来た。……教育は折り紙付きだ、いいところに行けると思う。……それで、相談に来たのだがね」


 老人は途端に声を高くする。如何にも現金な、というべきだろうか。


「そうでしたか!それでは早速身体検査を……」


「待ってくれ。大事な子なんだ、ここの主人に挨拶しておきたい」


 老人の顔が強張る。卿はここの主人が誰なのかを、既につかんでいるらしかった。もっとも、ここに来た以上、僕も察しはつくのだが。老人は咳払いをして、失礼、と言うと、カンテラを持ち上げ立ち上がった。


「……どうぞ。こちらに御座います」


 警戒心をむき出しにしつつも、あくまで顧客として接する。商人というものはどうしてこうも現金なのだろう。僕達は彼の後ろに従う。家が石積みならば床も石造り、冷たく反響する靴音も、鋼の中にいるような緊張感を引き立てる。僕は卿の後ろにつきながら、なるべく下を向いていた。右目は老人の視線を映す。老人は真っすぐに進んでいた。歩くたびに深みに落ちていくような違和感を覚え、卿の服の裾を引く。彼は剣を整えてそれに答え、老人に何げなく問いかけた。


「廊下が傾いていないか?」


「……気のせいでしょう」


 含みのある物言い。間違いない、声の届かない地下へと、ゆっくりと進んでいるのだ。これだけ厳粛で整然とした建物が、あの規模であれほど質素なロビーを使っているとは思えない。地下牢か何かがあり、そこにあらゆる子供たちを収容しているのかもしれない。自然と冷や汗をかく。老人はいくつもの扉をずっと飛ばして、最奥の扉の前で振り返った。


「ここでお待ちください」


 僕たちは黙ってうなずいた。老人は瞼を重そうに持ち上げ、扉の鍵を開けて入室する。そしてその直後、卿は僕の手を引き思いきり走り抜ける。老人が声を荒げる。卿は一切聞く耳を持たないまま更なる奥地へと進んでいく。老人は息を切らしながら追いかけるが、直ぐに疲れてしまって足を止めてしまう。駆け抜けてしばらく螺旋状に進むと、檻に囲まれた場所に出る。その檻の中には多様な人種の女子供をすし詰めに突っ込んであった。うめき声を上げる者ならまだいいもので、参ったという風に目に隈を作って震える彼らの様は見ているだけで嫌な汗をかく。やがて牢獄ゾーンを抜けると、いくつもの個室らしきものがずらりと並ぶ場所に行きついた。三部屋目から聞き覚えのある声が聞こえる。僕達は声のする部屋の中に駆け込んだ。


 息を切らせながら部屋の中を見回す。広く薄暗い部屋に、鉄の臭いが漂い、石で囲われた部屋には無数の目玉が浮かんでいる。ぎょろぎょろと周囲を見回し、焦点が合わない。目玉は一斉に僕たちを睨んだ。


「おや、お客さんかな?」


 爽やかな青年の声。そのくせ、ドスの効いた独特の語り口。中心に立つモイラと人の形をした目玉の塊がこちらを見ていた。その姿を見た僕は、思わず恐怖に足が竦む。


「……君には僕がどんな風に見えているのか、非常に関心があるよ」


 両腕を縛られ、口をふさがれたモイラが何かを叫ぶ。部屋中に溢れる目玉の数々は再びぎょろぎょろと焦点を合わせずに黒目を動かす。目玉の男がモイラの縄をきつく締めると、モイラは苦しそうな声を漏らした。


 卿が剣を抜き、目玉の男に剣先を向ける。


「シゲル殿。話がある。モイラを返してはいただけないだろうか」


 目玉は一斉にロットバルトに向き、目玉の男も嬉しそうに目を細める。


「やぁやぁロットバルト卿、いきなりそれは酷いんじゃないでしょうかぁ?僕は、独り身になった彼女を保護しに来たんですよ?」


 人を馬鹿にするような語り口に、両手を大仰に動かす姿。怒りがふつふつとこみ上げ、思わず前のめりになる。卿は僕を手で静止し、いつもの声の調子で答える。


「それなら私が引き受けている。君がわざわざする必要はないだろう」


「あるね!大いにある!孤児は一度孤児院に預けられるべきだ!まずはその子の身の回り品を整えてから、然るべき人に預けられるべきだ!貴方は調査を受けているわけでもない!そんな人にこの子を渡すわけにはいかないね!」


 シゲルはギラギラとした目をぐりぐりと回しながら答える。腹の底から出される、勝ち誇った声。自信のこもった声に、僕の中の何かが引っ掛かった。


「どこが保護だ。モイラは望んでいないように見えるがね。孤児院というのも眉唾物だ。ここの主人はここが奴隷商であることを認めたよ」


「ははっ!物は言いようだね!そこのガキを売りに来たんだろう!貴族が金に窮して、ってか?よく人のことを言えるよ!僕は正義の為にこの子を保護しているというのに!」


 すでに自分が疑われていると察しているのだろう、先程からいちいち頭にくる。恐らく、こちらが動き出すのを待っているのだ。僕は後ろ手でナイフを構えながら、静かに右目を擦る。シゲルの、正しい位置にある右目がとらえているのはロットバルトだけだった。散々大仰に振る舞っていたシゲルが、途端に姿勢を正す。つまらなさそうに目を細める。


「全く。……しつこい人たちだ。モイラちゃん、離れないでね」


 シゲルは身に着けていた大剣を抜く。身の丈ほどの巨体を軽々と持ち上げ、振るう。一陣の風が起こったかと思うと、瞬きする間もなく眼前にシゲルが現れた。卿は右、僕は左に避ける。何が起こったのか分からないまま、シゲルの姿を追いかけるが、とてもではないが見えない。右目も全く役に立たない。


「そっちのガキの方が鈍間そうだなぁ!?」


 シゲルはそのまま僕の目の前で剣をふるう。何とか避けるが、大剣とは思えないほどの素早さから繰り出される衝撃が頬を掠る。体が軽々と浮かぶほどの風圧で、壁際まで押し込まれた。目にも止まらない速度で近づくシゲルは、ぎょろりと目玉を回して剣をふるう。


(駄目だ、速すぎる……!)


 目を瞑る。それくらいしか反応できない。暫くして目を開くと、既にそこにシゲルの姿はなかった。はるか向こう側で、モイラを片手で担いだままのシゲルと、ロットバルト卿が激しい剣戟を繰り広げていた。


「鬱陶しいなぁ!君の剣、魔法剣だね?いいよ、へし折ってやるよ!」


 シゲルは嬉しそうに剣をふるう。青い鎧が鈍く輝く。大剣の素早く重い一撃に立ち向かうのは剣の名手、ロットバルト卿の軽やかな剣捌き。剣は紛れもなく、ルシウス製の古い魔法剣だ。剣先から鍔に至るまで、法陣を巡らせたその剣は、軽く法陣をなぞればあらゆる魔法が発動する。ある時は炎を纏わせた剣をふるい、ある時は風を纏わせ剣をかわし、またある時は激流で距離を取る。今もあらゆる魔術を駆使しているが、シゲルは本気さえ出していない。不気味に微笑しながら卿を弄ぶ。


「ほらほらほら、どうしたんだい?そんな魔法じゃあかわすのも手一杯だろう?」


 次元が違う。僕のそれではまさしく足手まといだ。剣の軌道は素早すぎて見えないし、それをかわす魔法の巧みさもとても再現できない。


 しかし、シゲルの言うとおりだ。魔法剣には魔力を増幅させる素材の物と、法陣を巡らせたものがある。魔力を増幅させるものは専門知識を持つ魔術師が利用するが、それ以外の者にとっては単なる脆い剣でしかない。一方法陣を巡らせたものは、ある程度強力な素材を利用でき、魔法自体を発動させることが容易い反面、発動する魔法の威力は一定だ。いわば器用貧乏なのだ。シゲルは片手でモイラを軽々と持ち上げながら、それを盾にする訳でもなく、ありえない速度で大剣を振るう。圧倒的な技量の差によって、卿が押されている。ここまで顔色一つ変えなかった卿が、ほとばしる汗と共に僕に言い放つ。


「君の目的を忘れるな!」


 目的。そうだ、モイラ!


 僕は姿勢を正し、シゲルだけを見る。シゲルはこの状況で汗一つかかない。まして、僕の方など見ない。モイラはぐるぐると振り回されて具合が悪そうだ。剣を振る間は本当に一瞬しかない。僕は右目と左目双方を集中させる。卿の剣捌きには「わざとらしい」隙がある。シゲルの剣捌きには一部の狂いもない。しかし、その矛先は卿に向けられていた。僕は左の目を閉じる。僕など眼中にない、まさしくそのものだった。


―いける。僕の目的は果たせる。行くしかない!


 僕は姿勢を低くしてタイミングを計りながら、じりじりと近づく。激しい剣戟のその一瞬の「空白」を縫う。気づくには相当気を配らなければならない、卿の仕掛けた僅かな隙。僕がその中に飛び込むことで、モイラを救出する。その一瞬を見逃してはいけない。


―今だ!


 声を上げ、一気に距離を詰める。シゲルは初めてこちらを向く。その剣先は卿の剣をかわすのに使われる。たとえ目玉だらけに見えるとはいえ、使えるのは二本の脚と腕。となれば、自然と僕を狙うのは―


「邪魔だガキぃ!」


 左脚!いける!僕は姿勢はそのままで軽くジャンプする。そのままの勢いで「モイラに」体当たりする。


「……!」


 反動で手を離すシゲル。僕は体当たりした勢いで戦線を離脱する。勢いで二、三回回転し、そのまま壁にぶつかる。さかさまの視界がとらえたのは、卿の隙がなくなったことだ。僕はモイラの手と口を解く。苦しそうに咳をするモイラを肩で支えた。


「大丈夫!?」


「……ユウキィ。ユウキ!」


 モイラは涙をぼろぼろと零しながら僕に抱き着いた。


「大丈夫、大丈夫だから」


 僕は背中をさすってやり、肩を貸して立ち上がろうとした。腹に鈍い痛みを感じ、うずくまる。自分の腹に触れた手を見ると、血まみれになっていた。


「どけ!」


 シゲルは卿を軽く蹴飛ばす。壁までたたきつけられた卿だが、姿勢をすぐに直してシゲルに剣をふるう。物凄い剣幕で僕に近づくシゲル。傷一つ、汗一つない。僕はうずくまったまま動けない。血を吐いた。


「駄目だ……モイラ、だけでも……」


 刃が当たったわけではない。単なる衝撃。それだけで、僕の肉が断ち切れたのだ。意識が朦朧とする。何度も卿を蹴飛ばしながら、ずんずんと近づくシゲル。終わった。モイラじゃあ、逃げられない。


「ユウキ、手を退けて」


 モイラは僕の腹に手を当てる。静かな祝詞の後、淡い光が手から放たれる。滴った血が固まり、やがて止まった。


「……!回復魔法……?」


「たは、ルシウス先生に教えてもらったんだ。ユウキに何かあっても、大丈夫なように」


 熟練のそれではない、しかし止血だけをしているわけではない、手際のよい優しい魔法だった。ルシウスの雑な応急処置とは違う、繊細な蘇生が、驚くほど精巧に僕の体を修復していく。


「くぅぅぅっそ鬱陶しいんだよぉぉぉ!」


 遂にシゲルは爆発魔法まで使いながら卿を吹き飛ばす。


 少し貧血気味だが、歩ける。


「……モイラ、有難う」


「ユウキこそ、有難う」


 モイラが困ったように笑う。それが、見たかった。それならば、あとは単純明快。それを見続けられるように……!


「逃げよう!」


「はい!」


 僕たちは勢いよく駆けだす。僕の体は完全ではないが、比較的綺麗に治っていて、先程の傷は切り傷程度のものになっていた。シゲルの叫び声が聞こえる。僕たちは振り返らない。振り返ったら飲み込まれてしまいそうだから。


 そんな中、見慣れた中年男性と仏頂面の白髪の悪魔とすれ違ったのだった。

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