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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
二章 社会福祉問題
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シゲルという男6

(気になる……)


 ラビンスキーは上の空で仕事机に座り込んでいた。パイモンは結局答えを教えてくれなかった。加えて、ビフロンスが一体「何」を調べているのかも分からない。一つ分かったことは、アツシが時折奇妙な感嘆の声を上げる事だけだった。いつもと変わらない事務室は、ルカがいないせいか一層静かに思えた。


 ハンスもアレクセイも元々あまり口数は多くないうえ、ラビンスキーはシゲルの事が気になって仕方がない。


 時折ハンスがちらちらとラビンスキーの方を見ている。ラビンスキーは視線を感じて我に返ると、いくつもの資料を抱えながら苦笑するのだった。


「何かありましたか?」


 心配そうにハンスが尋ねる。ラビンスキーは資料の山を抱えたまま答えた。


「プライベートで気になることがありまして……。すいません」


 アレクセイが見せつけるように書類を整える。机上が酷く散らばっているのは、ラビンスキーも同じだった。


「仕事にプライベートを持ち込むことは感心しません」


「はい……」


 ラビンスキーは首を垂れる。正論なので言い返すこともできない。気を引き締め直そうと顔を上げた次の瞬間だった。


「シゲルさんの事ですね?」


ハンスが唐突に意中の名前を出す。ラビンスキーは驚きのあまりに硬直し、書類を落とす。床の上に無残に散らばる統計資料を、ラビンスキーは慌ててかき集めた。ハンスは眼鏡を外す。


「……ラビンスキーさん」


 ハンスは静かに問いかける。煉瓦と書類に囲われた尋問するような鋭い視線は、独特の迫力がある。

「はい……」


 ラビンスキーは俯く。質素な靴はしおらしくももどかしくしていた。部屋にパチン、という音が響き、薪の焦げる匂いが一瞬だけ強まった。


「今日は腰が痛いので、外回りを代わってくれませんかね?」


「……はい?」


 ラビンスキーは素っ頓狂な声を上げて顔を上げる。立派な白い馬車が窓の向こうを駆け抜けていった。ハンスは恥ずかしそうに微笑む。


「この年になると、兎に角体中ガタが来るんですよね」


「……はい!行ってきます!」


 ラビンスキーは言い切るか言い切らないかのところで、駆けだした。靴が嬉しそうに床を叩く。白い馬車が駆け抜けた後を追うように、威勢よく駆けていく。アレクセイは小さくため息を吐いた。


「いい結果が出るといいですね」


 ハンスは穏やかな口調で答える。


「都市衛生課から厚生課に名前を変えた方がいいかもしれませんねぇ」


 アレクセイの机上にある紙の擦れる音が止まり、ペンがインクに浸される。光沢のある黒々としたインクが静かにペン先に染み込んでいく。アレクセイは目を細めて笑う。


「……えぇ。その方がしっくりきますね」


 ラビンスキーの机上に光が差し込み、取り残された書類たちが周囲を舞う埃によって輝いていた。



 ムスコールブルクの空気は体に悪いと、そう言われていた。吐く息は白く濁るし、太陽はすぐに暗い雲に覆われる。常日頃から雪かきを怠ると家が潰れ、乞食の死因の三割が凍死だ。それ故に、ムスコールブルクの人々は口をそろえて「丈夫な家が欲しい」と言う。


 ラビンスキーは大公像に堂々と背を向けて道を急ぐ。ふと立ち止まると乞食達がかき集めた薪のカスで暖を取っていた。彼らは町の糞回収政策以降、どことなく顔色がよくなったように思える。燕麦のパンを食べるだけで涙を流した人々が、今度は道端で談笑するようになったのだ。ラビンスキーも談笑に何となく声援を送られているような気がした。ラビンスキーは石畳の区画一つ一つを踏みしめ、噛みしめるように進んでいく。


 広場から大公通りに差し掛かろうとしたとき、猛スピードで突っ切る小僧とぶつかる。かなりの勢いにラビンスキーは尻餅をつく。非難のまなざしを向けると、汗まみれのユウキが同じように尻餅をついていた。ラビンスキーはヒンヤリとした石畳から尻を離す。ズボンを叩けば空気が軽く砂の色になる。


 ユウキは無言で立ち上がり、自分がぶつかったのがラビンスキーであると認めて苦しそうに頭を下げる。その荒い息遣いと真っ青な顔はただ事でない事態が起こった事をうかがわせる。


「ラビンスキーさん、ごめん!モイラ、モイラ見なかった?」


「モイラちゃんがどうしたの?」


 ラビンスキーが言い切る前にユウキは言葉をつづける。


「昨日から帰ってこないんだ!どうしよう……」


「!」


 大公像は二人を見おろす。がやがやと行き交う商人達の雑踏が押し寄せる中、ただ二人だけが取り残されていた。ラビンスキーはユウキに手を貸す。顔を歪ませるユウキの肩に手をかける。


「ユウキ落ち着いて」


「落ち着いて?こんな時に落ち着いてられるか!」


「こんな時だから落ち着けって言ってるんだ!」


 通行人が何事かと振り返る。息が上がり切ったユウキは黙り、深呼吸をする。暫く沈黙した後、再びラビンスキーと目を合わせる。


「……そうだ、そうだね。混乱している。僕は混乱している。ラビンスキーさん、どうすればいい?」


 ラビンスキーは頷く。足を止めた通行人たちが動き出す。野次馬が再び雑踏に変わる。


「……取りあえず、ルシウス先生とか、頼りになる大人と一緒に探して。……私は別の筋をあたってみる」


 ユウキは再び呼吸を整える。


「……ルシウスじゃだめだ。今朝もいなくなったのに僕を引き留めた!」


 ユウキは頭を抱える。ラビンスキーが宥めようと再び口を開こうとした。何かに感づいたユウキがラビンスキーを手で制する。


「待って、別の筋……?ラビンスキーさん心当たりが……?」


 ユウキはそこまで言って黙った。何かを察し、再び青ざめる。髪をかき乱し、憔悴しきった顔でぼそぼそと呟く。ラビンスキーは頷いた。


「そう、だから頼りになる大人がいた方がいい」


 ユウキは髪を乱したままで目を瞑る。


「ルシウスは自信過剰すぎるくらいだ。モイラの行動パターンは大体わかっていそうなものだから、いつも通りの事態なら推論を立てながら一緒に探してくれる……。その事実を知っていて制止したとしたら……頭じゃどうにもならないってことか。……わかった、いくつか当たってみる。ラビンスキーさんの方もよろしく!」


 ユウキはルシウスの手を振り切って走り出した。ラビンスキーも踵を返し、公証人館へと急いだ。

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