傾いた十字架 2
ラビンスキーは外食にもいくらか慣れたと思っていたが、それは文字どおり桁違いだった。
ユウキとの会食の時と同じ店であったが、国賓級の人々が招かれるような店である。悪魔たちは、平民を一切ひきつけない、厳つい警備員に守られた最高級の会場に堂々と入る。当然ラビンスキーは口が閉じられない。
席の前には劇場があり、皮のソファはおよそ普段の暮らしでは考えられないほどのものだ。シャンデリアに火が灯されていたものの、やや薄暗い印象を受ける。
ラビンスキーが驚くならば当然、同伴するアツシはもはや言葉も出ない。二人は場違いなほど矮小に思えるが、見てくれは悪くない。アツシについては先程ビフロンスから一着普段着を借りているためだ。普段着と言っても、ビフロンスの趣味からか白いシャツにスーツ、ベスト、黒い革のベルト、ネクタイ、黒のソックスと、どこから見てもビジネスマンの正装であり、どこに出しても恥ずかしくない服装だった。
当然のように柔らかいソファに腰掛ける悪魔たちに対して、呆然と立ち尽くすラビンスキー一向。ビフロンスがどうぞと言っても、中々動けない。
「何をしている。さっさと席に着かんか?」
パイモンが咎めてはじめて、二人は下座に腰掛ける。パイモンが手を叩くと、ウェイターが近づいて耳を貸す。ウェイターが席を離れると、パイモンは始めてラビンスキーの方を向いた。
「明らかに不自然なタイトルの書籍があったからの。手製の本を追加し、書籍をずらして法陣を作ったのであろう」
ラビンスキーは驚きの声を上げる。パイモンが眉を寄せて煩そうにした。ぼんやりと明かりに照らされた壁画が、不気味に見下ろしている。ビフロンスは丁寧に銀食器の手入れをしながらパイモンに続けた。
「恐らく、私が調査している事に気づいたのでしょうね。別段隠していたわけではないので、当然と言えば当然ですが」
「何を調べておったのじゃ?」
パイモンは扇をパチパチと開閉しながら、無表情で尋ねる。ビフロンスは綺麗に磨かれた銀食器をパイモンの席に次々と並べ、シゲルに関する経緯を話した。一通り話が終わると、パイモンは扇を閉じ、目を瞑ったままビフロンスに尋ねる。
「その男の魔法の適性は?」
「分かりません。特例法で転生したわけではないようでして、我々の記録にありませんので」
パイモンは再び扇を開閉する。ラビンスキーはポケットの中の紙を取り出そうとした。
「!?」
突然、毛むくじゃらの手がラビンスキーの手首を掴む。パイモンは膝の上で扇を鳴らしたまま、長い睫毛の隙間から威圧的な目を向けた。
「何を取り出す?私は殺せぬぞ?」
「殺す……?いやいやこの中身は」
ラビンスキーは急いで否定する。毛むくじゃらの腕が力を込めると、その細さからは想像もできない程の激痛が走った。ラビンスキーは声も上げられずに顔を歪ませる。これまでにない程の脂汗があらゆる汗腺から溢れる。骨を砕くような音がして、彼の腕周りに巨大な青痣が浮かび上がる。
「パイモン様、違いますよ。ご覧下さい、そんな度胸のある顔に見えますか?」
「ふむ?そうなのか?」
ビフロンスは頷く。同時に毛むくじゃらの手の力が少し弱まったのか、手首の痛みはジンジンとした痛みに変わった。
「ラビンスキー様、僕の前では構いませんが、王族の方……例えばパイモン様の前で断りもなくポケットに手を突っ込むのは失礼ですよ。暗殺を疑われてしまいます」
そういうことじゃ、とパイモンが加える。毛むくじゃらの手がラビンスキーの手首から離されると、手がとろけるように千切れ、ポケットの中に落ちた。動脈から血が溢れ出して上衣に滴る。
「ぁぁぁぁぁ!?いったぁぁぁい!」
「む?人間は脆いな。まぁ良い。ビフロンス、ポケットの中身を」
パイモンは悪びれるでもなく言う。ビフロンスはラビンスキーに近づき、ポケットの中を弄る。例の手紙を取り出すと、千切れた手をくっつけて軽くつつく。滴った血も一滴残らずラビンスキーの手の中に戻り、何事もなかったように元どおりに戻った。ラビンスキーは暫く惨めに涙をボロボロと流しながら、手首を掴んでいた。
ビフロンスは手紙を丁寧に確認する。一通り眺めた後、小さく溜息をついた。
「……成る程、これは実に……」
パイモンがビフロンスに手を伸ばす。ビフロンスは耳打ちをしながら手紙の裏を見せている。手首の痛みが引いてきたラビンスキーは手首を摩りながら二人の様子をうかがう。
パイモンは一通り見聞きした後で、ドッと笑いだした。
「成る程、それはまた大層な奴じゃ!読めた、読めたぞ!かかか、読めた!」
「何かわかったんですか!」
ラビンスキーが身を乗り出すと、先程の獣の腕が突き出した頭を鷲掴みにする。
「図が高い。座れ」
ラビンスキーはほとんど自然に座り込んだ。より正確に言えば、トラウマから腰が抜けたのだ。
「とはいえ、先ずは正確な情報を知りたいの……。ビフロンスよ、直ぐに調査の手配をしろ」
「はい」
ビフロンスは食事も届いていないまま席を立った。ラビンスキーも背中を目で追いかける。扉の前で突然立ち止まり、思い出したようにアツシを見た。
「そうだ。アツシ様の件ですが、良いお仕事を見つけられましたよ。……ラビンスキー様とは離れてしまいますが」
「え、僕の、ですか?」
ずっと黙っていたアツシが聞き返す。ビフロンスは頷き、同情の笑みで返した。
「周りの人は貴方に騙されてばかり。我々より余程悪魔らしい。それに相応しい場所をご用意できましたので、是非、こちらの資料に目を通しておいてください」
ビフロンスは空間を歪めて小冊子を取り出す。それをアツシに手渡し、アツシの耳元で囁いた。
「くれぐれも、ラビンスキー様に見つかる事のないように……。良いお返事を待っています、背徳の王子よ……」
彼はあくまで姿勢良く、丁寧かつ優雅に立ち去っていく。アツシは興奮を隠しきれず、顔を引き攣ったまま小さく痙攣させていた。
エイプリルフールネタを考えて寝落ち、出せないまま続きを投稿する始末です。




