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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
二章 社会福祉問題
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ルシウスから始める魔法分類学講座 第三限 実践編 1

「ユウキ、簿記教えてください!」


「ん、待ってね。」


「ユウキー、おやつ」


「勝手に作ってなさい。……?ここの記録がなんか変だね。貸方と借方の合計は一緒になるはず……」


「ねぇ、ユウキー、ほら、菓子入れが泣いてるよ。俺のレゾンデートルがぁぁ!」


「あぁもう!あとでなんか作るから!待ってて!」


「ユ、ユウキ……。私は後でいいから、おやつにしましょう?」


「それはダメだ!少年老いやすく学なり難し!間違いは迅速に直さないと!」


「どっちなんだよ……」


(は、入りにくい……)


 ラビンスキーはノックの拳を作ったまま、扉越しに響く賑やかな声に立ち尽くしていた。


「あー、あー。でも、ほら。甘いもの食べると頭にいいとかなんとか……」


(今の声はモイラちゃんだな……)


 ラビンスキーはタイミングを見計らおうと耳をすます。時折会話に混じってさらさらと何かを書くような音が聞こえた。


「……!!そう!脳は糖分を求めている!モイラちゃん、君は実に勉強熱心だね!くぅぅ、僕ももっと見習わなくては!」


「いいから机揺らさない。ホムンクルスが起きちゃう」


「た、たはは……」


 モイラの失笑が響くと、一瞬の静寂が起こる。ラビンスキーは意を決して拳で扉を叩こうとする。

「ところで、ラビンスキーさんが外で待ってるみたいだけど……」


 ラビンスキーは思わず背筋を伸ばす。ルシウスの言葉に気がついたのか、モイラが慌てて駆けてくる。

「ご、ごめんなさい!今開けます。開けます!」


 扉越しにがちゃがちゃとドアノブをいじる音と、あれ、あれと言う声が聞こえる。


「……モイラ、鍵」


「た、たはは!そうですね」


(がんばれ……!)


 ラビンスキーは壁越しに慌てるモイラをなんとなく応援したくなった。黙っていれば意志の強い修道女のようだが、やはり田舎暮らしの村娘である。そういった、古風なあどけなさが堪らなく男心をくすぐることを、彼女は知っているのだろうか。


 ガチャン、鍵が開く音がして、モイラが扉を開ける。


「こんにちは」


 ラビンスキーが言うと、モイラは恥ずかしさを誤魔化すように微笑んだ。相変わらず書籍の山は健在で、ものによってはラビンスキーの膝のあたりまで積み上げられていた。ユウキは椅子に座りながらモイラの物らしい帳簿を確認しており、広げられた書籍はどれも簿記に関するものらしかった。ルシウスは自分の作業台に突っ伏し、窓際のホムンクルスはとぼけた顔で眠っている。


「どうぞ」


 ルシウスは突っ伏したまま、くぐもった声で言った。ラビンスキーは躊躇いつつも、一番下座に座る。

「えぇっと、邪魔でしたか……?」


 モイラはラビンスキーの隣に座る。ちょうどユウキと向かい合う形だ。ルシウスがのっそりと起き上がると同時に、お腹が鳴る。ユウキは溜息をついて、立ち上がった。


「何か作ってくるから……」


「あ、私も……!」


「ほんとに!蜂蜜いっぱい、よろしく!」


 俄然元気になったルシウスはそれまでの動作が嘘のように俊敏に動く。あちこちから書籍が飛び上がり、ラビンスキーのもとに届けられた。


「前回は法陣術の定義なんかについて話したのかな?そろそろ、使ってみたいと思わないかい?」


「はい!是非!」


(来た来た来た……!)


 ラビンスキーは思わず立ち上がる。これまで魔法とは無縁の生活を続けてきたが、異世界に来たからには使いたいと考え、うずうずしていたのだ。ルシウスはその様を馬鹿にするように笑うと、分厚い書籍を放り出した。机上の資料を浮かせるほどの振動が起こる。ラビンスキーは目を丸くしてルシウスを見る。ルシウスは不気味に微笑んだ。


「魔術とは。物理的な要因によって刺激や変化を与えないで現象を発現させる、術または作用の総称である。で、あるがゆえに、知啓を以て、扱うべきものである」


 ラビンスキーはその書籍に触れる。分厚い表紙をめくると、インクの匂いがふわりと鼻を通り抜ける。そこには、ラビンスキーが知っている文字とは異なる、見たこともない文字が記されていた。ルシウスはそれを指でなぞる。


「神聖文字。教会で使われ、学問の基本となる文字がこれだ。しかし、しかし。読めないはずだ」

 ラビンスキーは頷いた。見たこともない文字で記された書籍の上に添えられた指に従い、目線を動かす。


「この魔導書は、法陣術の回路をまとめた指南書である。魔術の基本に忠実な、使いやすい回路だけをまとめたものであるが、初学者には是非一読いただきたい。初めに、法陣の基本を解説する。円陣、方陣、三角陣……様々な陣に関する基本を学び、法陣の作成方法を伝授する。次に、適切な座標と算式の解説をする。ここで、法陣の効果を確定する回路の作成に関する基本的な術式を伝授する。初学者は理論のことは置いておき、ここに記された図式を参考に法陣を作成するのがよいだろう。最後に、様々な用途に合わせた魔術解を紹介する。魔術解は特殊な言語の様なもので、ドルイド魔術の制御に関する重要な要素である。法陣術の組成の際にはまずはここから記載することが肝要であるため、実務利用においてはこの章を真っ先に理解していただき、実践していただきたい」


 ごくん。ラビンスキーは唾を飲み込んだ。ホムンクルスがガラスの中を跳ねる。ルシウスは水を飲んだ。


(魔術。魔術、か……)


 ラビンスキーは魔法を自在に操ることの難しさを痛感させられ、打ちひしがれた。ルシウスは指を弾く。さらに分厚い本がひとりでに動いて机の上に乗せられる。


「神聖文字はこれを使って解読したまえ。僕はこの本を君に貸すことにしようと思っている。普通なら、これは家が一軒建つほどの価値があるが……特別に二冊で月に銅貨二枚でいい。今後の授業の時には、これを持ってくるように」


「……はい」


 ラビンスキーは汗腺からみるみる湧き出す汗に困惑しながら、小さくうなずいた。ルシウスは満足そうに頷くと、いつものだらしない表情に戻った。


「さて、僕の監督、指示のもと、法陣を作成してみよう。……ここでは狭いからね、少し移動しようか」


 ルシウスは徐に立ち上がる。背むし男の様にひどく腰を丸めながら、ゆっくりと部屋を出る。ラビンスキーは暫くして立ち上がり、その後を追った。二人が廊下に出て、ルシウスが指を弾くと、ひとりでに扉が閉まって、鍵がかかった。


 驚いて扉を凝視するラビンスキーをよそに、ルシウスは何事もなかったかのようにスタスタと廊下を歩いて行った。



「……で?火を起こす法陣の練習をしに来たわけだ」


 ユウキが腕を組み、呆れたように言った。その手には火打石を持っており、今まさにくべられた薪はぼうぼうと燃え盛っている。ラビンスキーは今まさに実践の機会を逃したのだと察し、肩を落とした。愕然とするルシウスは、暫く口を開けたまま火を見ていた。ユウキは火打石を片付けると、モイラが運んできた薄いクッキー生地を確認し、暖炉の温度を調整し始める。くべられた火を見つめ、適度に薪を動かしながらならしていく。


「……ぉぁぁぁ。僕が折角お膳立てしたのに……」


 ユウキはしたり顔で振り返る。


「子供はいつまでも子供じゃないのさ」


 ルシウスは自分の髪をかき乱した。生地が音を立てる火の中に入れられ、やがていい匂いが漂い始める。ラビンスキーはその間も髪をかき乱しながらぶつぶつと呟いているルシウスを宥めようと試みるが、一切耳に入らないらしい。健闘虚しくクッキーは完成した。


 窯から取り出されたクッキーは、小麦の焼けたいい匂いを漂わせていた。モイラはウキウキしながらそれに蜂蜜をたっぷりと塗り込む。味気ない食事ばかりのラビンスキーは、たまらず涎を飲み込む。


「はい、ルシウス、できたよ。ほら、拗ねてないで」


 ルシウスは顔を上げ、ユウキを恨めしそうに睨み付けた。


「火起こしの魔法の練習はどうしたんだい?どうして今日に限って火打石を……?」


 ユウキが鼻で笑う。


「昨日、部屋での独り言が駄々漏れだったからね」


 ルシウスは汗を拭い、苦しそうに微笑む。


「つまり、さぼったわけだ」


「っ!……違うね。ラビンスキーさんにも食べさせてあげたかったのさ」


「ほう、ラビンスキーさんを盾に魔法の鍛錬を疎かにするとは……。全く、なんてことだ!君は学生失格だね!」


「学生失格?ろくに受講生もいない学者がよく言うよ」


「学者の本業は研究ですからね!僕の研究は行商人と世の中の為になってるしね!」


 その後も口論を続ける二人に戸惑うラビンスキーは、モイラが運んできた温めた牛乳とクッキーをされるまま受け取る。食べるのを躊躇っていると、モイラはくすくすと笑った。


「いっつもこうなんですよ。ほんとに、子供みたいでしょう?」


 モイラは悪びれる風でもなくクッキーを齧る。気持ちのいい音がして、蜂蜜のいい香りが漂ってきた。ラビンスキーもそれに倣って口に含む。暴力的なほどの甘みと鼻を通り抜ける優しい香りが思わず心を穏やかにする。風邪を引いたときに家族に優しくされたような、何となく恥ずかしい気持にさえなった。


「喧嘩するほど仲がいいってことかなぁ」


「たは、んだんだ」


 ラビンスキーが牛乳を少し啜る。暖かい飲み物にありつけた喜びも又、心を穏やかにする。


「「ラビンスキーさん!どっちが悪いと思う!?」」


「どっちもどっち、です!」


 モイラが答えると、二人は急に静かになる。頬を赤らめたユウキが「どっちでもいいけど……」と呟くと、ルシウスは深呼吸して「全く遺憾だがね……」と顔を逸らす。結局しばらく顔を合わせないまま、クッキーに手を伸ばした。二人の手がぶつかると、ユウキが手を引っ込める。ルシウスはきまりが悪そうに一枚手に取って、口に放り込んだ。


「……今日もおいしいです」


 ユウキは目を合わせないで答える。


「……そりゃよかった」


 ラビンスキーは貧乏ゆすりしながら二枚目を口に放り込む。教会も静まり返る穏やかな昼下がり、聞こえるのは暖炉の音とクッキーを齧る音が四つだけだった。

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