金貨は持たざる者の為に非ず
「あぁん!?いいからはよー手続きせんか、たわけぇ!」
「ですから!ここの書類に不備があってですね!」
役場内は一時騒然となった。ラビンスキーが何度も説明をするが、厳つい男はその度に声を荒げる。その声に戦々恐々とする人々は第一受付をあえてスルーしようとする。
「また、あの人か……」
細い馬面の中年役員が書類を整えながら遠い目で二人を見る。土木建築業を営む職人の中でも、ひときわ柄の悪いことで有名ながさつな親方は、ラビンスキーの初仕事の相手でもあった。
「新人さん助けなくていいんですか?」
若いふっくらとした顔の男が馬面の職員にたずねる。馬面の職員は首を横に振ってため息をついた。
「あいつが話聞くと思うか?」
「うっ……確かに……」
男たちはちらちらと二人の言い争いを見ながら、書類でその視線を隠す。第二受付にもいよいよ人の行列が出来始めていた。
「おいこら、これはなぁ、俺が汗水流して働いた金なんだよ?ちょっと分けてやるっつってんのになーにが「書類をに不備がある」だぁ?税金泥棒も大概にしろよ!」
男はラビンスキーに睨みを効かせる。ドスの効いただみ声と真っ黒に日焼けした顔が相まって、ラビンスキーも恐怖を感じ始めていた。
「ルールはルールですので……。申し訳ございません」
取り敢えず頭をさげるラビンスキーをに対して、男は耳を突き出して大声を張り上げる。
「あぁん!?あんだってぇ?」
仕事とはいえ、理不尽なこの仕打ちにラビンスキーの胃痛がいよいよ限界に達しようとしていた。
「話にならねぇ、責任者呼んでこい!」
男が一層大きな声で怒鳴ると、後ろから男の肩に手をかける者が現れた。怒りに任せて鬼の形相で振り返った男は、その顔を見て顔を真っ青にした。
「まぁまぁ、ちょっとした不備なら、今ここで直せばいいでしょう?」
腰には飾りの美しい鞘を着け、剣には真っ赤なルビーをはめ込んである。青い鎧を見に纏い、眩いばかりの自信を目に湛えた、爽やかな笑顔の青年だった。困り果てる齢四十の中年と、五十は下らない強面の男が面食らったのは無理もないことだった。
勇者、その一言以外では言い表せない男だ。
厳つい男は途端に声を小さくしてぶつぶつと呟きながら、書類の修正を始めた。ラビンスキーも彼の質問に真摯に答えつつ、その場の空気はいつもの「味気ない」役所に戻った。
「ズブェルコフ様ですね。ご住所、ご家族構成、年間の総所得……所得税、組合税も支払い済と……。では都市税の方はこちらになりますね。はい。えっと、大丈夫ですね。ありがとうございました」
男はあからさまな舌打ちをしてさっさと役所を去っていった。
ラビンスキーは勇者らしき男に話しかける。
「先ほどはありがとうございました。助かりました」
「いえ、僕のもお願いします」
勇者らしき男は丁寧に記載された書類を差し出した。文字通り完璧な、非の打ち所のない書類だった。ラビンスキーは先ほどと同様に処理を淡々とこなす。総所得はかなりの値段だったが、それ以上に気になったのは家族構成の欄が空欄のことだった。ラビンスキーは何かを言おうとしたが、押し止まった。
(いや、異世界転生の人だったらありえるのか……)
ラビンスキーの様子に気がついた馬面の男が、後ろから耳打ちをする。
「君と同じだから問題ないよ」
呑気に首をかしげる勇者に、ラビンスキーは焦って内容確認を再開した。
「失礼しました。シゲル様、ご住所、ご家族構成、年間の総所得……所得税、組合税も支払い済と……。はい。都市税の方は……」
「これでいいですよね」
シゲルは小切手を差し出した。その小切手には12000金リーブルと記されていた。ラビンスキーは算盤を弾いて確認する。確かに都市税の課税額と合致した。
「はい。ありがとうございます。大丈夫ですね」
「いつもお疲れ様です」
勇者然とした男は爽やかに笑い、颯爽と役所を立ち去っていった。
役所の人々は、いいものを見たとご機嫌な様子で都市税の支払いを次々と済ませていった。その後、ラビンスキーの胃痛もずいぶん収まり、徴税の作業は次々と進んでいく。ちょうど12時を告げる鐘が響き渡る頃、男がどかどかと足音を立てて役所に入ってくる。吞気に欠伸をしながら午前の都市税の支払い総額を確認していたラビンスキーは、思わず地震かと身構える。周囲の職員は平気な顔で書類と睨めっこをしていた。
その様に気付いたラビンスキーが恥ずかしさを誤魔化すために咳払いをする。男は書類を第一受付に放り込み、汗を拭いながら叫んだ。
「金を持ってきたぞ、さっさと手続きをせんか!」
ラビンスキーはひきつった笑顔で立ち上がり、第一受付に放り込まれた書類に目を通す。家族構成以外の欄はしっかりと記入されていた。名前を確認し、所得税納付金名簿と照合する。不備はなかった。
「えっと、ご家族構成の方は……?」
「家族構成ぃ?なんでかかなならんのじゃ?儂に家族なんぞおらん」
ラビンスキーは、また胃痛が再発し始めた。彼は後ろの職員たちに視線を向ける。馬面の職員が手で小さくゴーサインを作っていた。
「……失礼しました。では、確認の方させていただきます。カルロヴィッツ様、ご住所、ご家族構成、年間の総所得……所得税、組合税も支払い済と……。はい、都市税の方は」
算盤を取り出して計算をすると、その額は金貨10300枚となった。
「10300金リーブルですね」
男は鼻を鳴らし、小切手を取り出して必要事項を書き込む。それをラビンスキーに向けて捨てるように投げ入れた。ラビンスキーは一瞬面食らったが、すぐに持ち直し小切手の確認をする。
「……はい。有難うございました」
ラビンスキーが席に戻ろうとすると、カルロヴィッツは鼻を豚のように鳴らして叫ぶ。
「まったく、役人ってやつは本当に乞食みたいなもんだな!」
捨て台詞を吐いたかと思うと、先ほどと同様ずんずんと地面を鳴らしながら役所を出ていった。
「あ、あれがカルロヴィッツか……」
ラビンスキーが呟くと若い職員が書類と小切手を回収するついでに答えた。
「あと半年後にまた同じことを言われますよ」
さっさと席に戻る若い職員の後姿を眺めながら、ラビンスキーはまた胃痛がするのを感じて、ニヒルな笑いを隠すことができなかった。
「それはまた……大変でしたね……」
大衆食堂『ローテン・アルバイテ』の隅でラビンスキーとビフロンスは夕食を取っていた。ラビンスキーに限らず、初任給が入るまでの転生者は無一文なので、総じて転生先の悪魔のご厄介になるらしい。
宿屋を兼業する大衆食堂『ローテン・アルバイテ』は、傭兵や労働者、建築業者から行商人まで、様々な人々が集う場所で、ラビンスキーはあまりの騒々しさに驚き、そこから避けるように一番入り口から遠くすいている席を選んでいた。くたびれた体にはやや刺激が強く、思わず真っ先に度の強い酒を頼んだのだった。
「まさか初日にあんなに灰汁の強い人に出くわすとは……」
ラビンスキーに同情したのか、ビフロンスは自分が頼んだ焼き鮭のほぐしたものを皿ごとそっとラビンスキーに近づけた。気を遣って一番安いパンと酒で腹を満たしていたラビンスキーは、ビフロンスの顔色を少し伺うと、申し訳なさそうにそれをパンに乗せた。
「初めは苦労します、と言いたいところですが……実は官僚になった方自体が特殊な例なので、その、前例があまりないんですよね」
「そうなの?」
ラビンスキーはパンが飲み込んで聞き返すと、ビフロンスは自宅から持ち込んだナイフとフォークを一旦おいて、騒々しい店内でも聞けるように少し声を張りながら、話をつづけた。
「そうですね。大体冒険者になって魔物の餌になりますね。形が残らないので、地獄に落ちることも天国に行くこともないから、僕たち悪魔としてはそれでも別に構わないんですけどね……こっちの方が、ちょっと」
「うわぁ……」
ラビンスキーはパンをちぎりながら反応する。確かに折角過疎化の問題が解消されると思い受け入れたら、勝手に行方不明になるのは大層迷惑なことだ。ラビンスキーは周囲の様子を伺う。行商人は酒をちびちびと飲みながら細々と食事をとっているが、冒険者はとにかく酒をがぶがぶと飲んで騒いでいる。仕事柄からなのかと思っていたラビンスキーだったが、ビフロンスの話を聞いた後だと何故か無性に腹が立ったのだった。
店がいよいよ人でいっぱいになってくると、二人もさすがに声を張りながら話すのに疲れ始めた。ラビンスキーは自分の目の前の食事を黙々と食べることに専念しだすと、不思議と男たちの騒々しさは気にならなくなり、壁に反響する振動や、店員の注文の声などに呼応して、食べたいものを思い浮かべたりするようになった。ビフロンスの方をちらりと覗くと、器用にナイフとフォークを使って食事を取っており、銀色にまばゆく輝くナイフが光を反射するごとに、天井の蝋燭の輝きがラビンスキーの肩を照らした。
人々の喧騒が徐々に落ち着きだすと、ラビンスキーが独り言のように呟いた。
「……正直さ、都市税って結局なんなんだろうねって」
カチャカチャと食器を片付ける音が目立ち始め、蠟燭の明かりが徐々に近づいてくる。ビフロンスはナイフとフォークについた汚れを取り除き、水で軽くゆすいで、ナプキンで包んだ。
「この国で言われる都市税というのは、高額所得者に課される、いわば所得税の様なものですね」
「所得税は別にあったと思うけど」
「それは、『ギルドや組合に所属する者に課される』税ですね。人数の把握が困難なため、ギルドの所属者の名簿を提出させ、その所属者がギルドや組合に排出した金額の一割を、一律で税として徴収しています。一方で都市税は、『その都市にあるギルドの親方や組合の組合長、商館の館長の収入に課される』税です。都市の代表者、つまり、都市の主流な高所得者に、税を支払わせるものです。こちらは収入ごとに支払額が変化します。他に、通行税、市民税、などがあります。変わったところでは、結婚税なんてものを徴収する場所もありますね」
ラビンスキーはいまいちピンとこないままぼうっと話を聞いていたが、ふと、勇者の支払った都市税が頭をよぎった。ビフロンスはナイフとフォークをナプキンごと黒い木箱に大切に仕舞い始める。店の人々もオーダーストップの掛け声をかけ始め、酒の注文で再び騒がしくなる。蝋燭の火がその振動で揺らぐ様を眺めながら、ラビンスキーは思い出すように話し始めた。
「じゃあ、あの勇者は経営者ってことなのか」
その言葉にビフロンスは顔を上げる。ラビンスキーはビフロンスの動きを一瞥した後、再びろうそくに視線を戻す。仄かな赤みが壁の上を泳ぐように浮かんでいる。
「いや、今日ね、勇者みたいな人がさ、さっき話した迷惑な人から助けてくれたんだけどね。都市税払ってたから」
ビフロンスは顎をさすりながら天井を見る。暫くそうして黙った後、ラビンスキーに視線を戻した。
「冒険者ギルドですかね」
「冒険者ギルドって10000金リーブルも納税するんだ」
ビフロンスは眉を顰める。明らかに違和感を感じた表情だったので、ラビンスキーは自分が何か間違えたのかと思わず姿勢を正す。最後の乾杯の音頭でいよいよ人々のテンションが最高潮に達してくると、店員たちは皿洗いや金勘定を始める。二人の丸テーブルの上には、空の水差しが一つ、寂し気に乗っているだけだった。
「10000金リーブルで何が買えると思います?」
「何が買えるの?」
ラビンスキーは思わず息をのむ。ビフロンスは足を組んで、深刻そうに口を開いた。
「大体五人家族の一般家庭が一年食べていくのに、2300金リーブル必要と言われています。つまり、その約5倍です。都市税は所得が多いほど小さくなります。市場の競争力を高めるという名目ですが、恐らく有力者の既得権益を守る目的でしょう。一割換算ということですから、単純計算でこの都市だけで100000金リーブルの稼ぎを出していることになりますね。経営者ですから、その他に運営費用、設備諸費の出費があるでしょうから、相当巨大な冒険者ギルドになりますが……。そのおかたのお名前はわかりますか?」
ラビンスキーはいつになく深刻そうな目で睨むビフロンスに多少の恐怖心を覚えつつも、なるべく平気な顔で答えた。
「シゲルとか言ったかな。異世界転生した人だと思う」
「シゲル……?僕の記憶にはそんな経営者はいないかな、と思いますね」
ブリキの水差しが静寂の姿をかすれ気味に映している。ラビンスキーは息をのむ。騒々しい店内の雰囲気に似合わない、凝り固まった重苦しい空気が二人にのしかかってくる。
「つまり、どういうこと?」
「……ギルドを作り、複数の都市から金を一つの都市に集中させている。巨大な事業を行おうとしているか、それとも……」
ビフロンスは躊躇いがちに徐々に声を小さくする。高い少年のトーンとは思えない、非常に低い声で机を揺らした。
「決算の時期にそれをしているということは、脱税か」
ラビンスキーが立ち上がる。ビフロンスはあくまで冷静にその様を見つめている。ラビンスキーは
どっと噴出した汗を拭うでもなく、冷静さを取り戻そうとするでもなく、ただ突っ立っていた。
「解明すれば大手柄ですよ。大きな金の動きを見ることになる。協力しましょう。所属は税務課で、決まりですかね?」
ビフロンスは冗談めかして笑うが、明らかに目が笑っていない。ラビンスキーは、これには素早く反応した。
「いや、都市衛生課にする」
「……はい?」
ラビンスキーは毅然とした態度をとる。間抜けな声を上げたビフロンスは、暫く口を閉じることもできなかった。