牡丹雪に添えて2
ラビンスキーはモイラのことを詳しく知らない。出会ってから数日であるし、何より話す機会がなかった。ラビンスキーにとってはどのみちルシウスに会う際には世話になるだろうから、この申し出は都合が良かった。然し、重大な問題があることも、彼は勘付いていた。そう、十代の少女と四十の中年、何を話題にするべきかわからないのだ。
(好きな子の話……とかは馴れ馴れしいだろうし、聞きにくいな……)
黒々とした雲が覆い始めた空はムスコールブルクの窮屈な外壁にさらなる重みを与えている。ラビンスキーは空を見上げる。モイラも手の平を出して雲の動きを不安そうに眺めていた。
「降りそうだね……」
「はい。ユウキたち、大丈夫ですかね……」
「ユウキならしっかりしてるし、大丈夫だと思うけどね」
ラビンスキーは明るい調子で答える。モイラはクスクスと笑う。
住民は皆家に戻ったのか、警備兵と宿を探す商人くらいしか、街を彷徨いていない。乞食などもホクホク顏で路地裏に戻っていったようだ。佇む大公像が寂しそうに見えた。
「こっちの暮らしは慣れた?」
「まだ、なんとも……。怖い人もいますし、ユウキかルシウス先生が居ない時はまだ緊張します」
モイラはなんとなくそわそわしながら腕を後ろで組む。初々しさが何とも微笑ましい。
「そうだよなぁ、突然こっち来るとやっぱり緊張するよなぁ」
ラビンスキーは来たばかりの自分が酷くそわそわしていたのを思い出していた。決して長い訳ではないが、いつの間にか随分と慣れたものだ。
「たは、私の村は田舎だから、キラキラした人たちが眩しいんです」
「わかるわかる。女の人はおめかししているし、みんな小走りで道を縫い歩くのとか見てると、やっぱりびっくりするよね」
「んだ、んだ」
モイラは無邪気で気の抜けた笑顔を見せる。ラビンスキーは少し間の伸びた言葉遣いが何となく嬉しくて、つられて口角を上げる。モイラはそれを見て、つい方言が出ていた事に気がついたのか、少し頬を赤らめた。
「ラビンスキーさんも、偉い人なんですか?」
「え?あ、ははは。違う違う、偉いのはルシウス教授やロットバルト卿だよ。私はただの八等官だよ」
ラビンスキーが頭を掻きながら答えると、安心してため息をついた。
「よがったぁ、偉い人ばっかりだとほんと、気を遣っちゃって……」
「あんまり気を張らなくてもいいよ、みんな優しいし」
「……たは、確かに。村の人はみんな、怖い街だって、言ってました。みんな嘘つきだったり、少し遅れるとカンカンに怒ったりするって。でも、ユウキと街を歩いていると、みんな親戚のおじさんみたいにニコニコして話しかけてくれて……。なんだか、意外でした」
モイラは俯き、はにかみがちに笑う。亜麻色の髪がさらりとなびき、土と薬品と石鹸の混ざった不思議な匂いがラビンスキーの鼻腔に届いた。
(そうだ、この子は……)
ラビンスキーは儚げな少女の姿に、初めて彼女がよすがのない事に気がついた。本当にユウキやルシウスと上手くやっていけるのか、この町の人が認めてくれるのか、見捨てられないのか……彼女は意識的、或いは無意識的にそんな気持ちを抱えているのかもしれない。そんな中、一人で見ず知らずの中年男性と話すことが、果たしてどれ程勇気のいる事だっただろうか。
「……私はただの八等官で、あまり君の役には立てないかもしれない。でも、役所の仕事は町の人々の為にある。君も、今はその一員だ。何か困った事があったら、気軽に相談してね」
ラビンスキーが真剣な面持ちで言う。モイラは突然の変貌に少し驚いたようだったが、直ぐに顔をくしゃりとさせて笑った。
「はい!有難うございます。ラビンスキーさんも、ユウキの友達は、みんな優しいです!」
ラビンスキーも顔を綻ばせた。曇天はゆっくりと地上に迫るようにしながら襞を作り、牡丹雪を零す。白くじっとりとしたままで地面に落ちた雪は、瞬く間に消えて行く。雪には、微かに春の匂いが感じられた。
(町の為、か)
ラビンスキーにとって、咀嚼した言葉は自分のものには思えなかった。最後に決めるのは、自分の良心だろう。お為ごかしがおこがましいような気がして、アレクセイの顔が思い浮かんだ。
「……ねぇ、乞食達は、どうすればいいんだと思う?」
ラビンスキーは空に答えを請う。黒々とした空に白の牡丹雪が斑模様を作り、黙っている。
「困った時は助け合う。それが、雷の民に伝わる掟です」
モイラは静かに手を合わせる。冷え切った風が髪を揺らす。
「……そっか。そうだね」
(街は暖かな幸せを育んでいる。それと同じくらい寒さに震える人がいるならば、それに手を差し伸べるのも、私たちの役割だ)
中央に佇む大公は、雪に濡れながら、町を見下ろしていた。




