子は宝、大人は無垢
ラビンスキーは町の賑わいを縫うように歩く。敦は眠たそうに目を擦り、静かに咳き込んだ。ラビンスキーがごめんね、と気遣うと、敦は首を横に振った。役場の前に差し掛かった時、教会に集まる人々の中に、見覚えのある民族衣装を纏った少女の姿が見えた。教会の象徴である雷のブローチで外套を止め、白い息を吐きながら開かれた大きな扉の向こうに手を合わせる。彼女が静かに目を閉じると、瑞々しい唇と亜麻色の髪が艶やかに輝き、ラビンスキーは思わずため息を吐いた。
「ラビンスキーさん?」
教会の雑踏の中から少年が現れる。落ち着いた身なりと過剰に長い右の前髪が、きりりとした目つきと合わせてクールな印象がする。ラビンスキーは突然叩き起こされたような衝撃に驚き、少年に視線をずらした。
「あぁ、ユウキ。モイラちゃんはお祈りかい?」
ユウキが小走りで近づいてくると、石畳が小気味のいい音を立てる。ラビンスキーには騒々しすぎる町の雰囲気を中和するようで、心が洗われる気がした。
「あぁ、うん。ああいうのは僕には分からないけどね……」
ユウキはモイラに視線を向けて、顔を赤らめて言う。ラビンスキーがニヤニヤしながらユウキを見ていると、その視線に気が付いたユウキは「何?」と厳しい語調で訊ねる。「いやぁ」、そう言って頭を掻くラビンスキーだったが、表情はなかなか戻りそうになかった。
コランド教会には普段見られない貴婦人の姿もあり、敬虔な人々が集い、静かに祈りを捧げる。毎日行われるミサと、週末のミサでは施しの規模が違うと舞い上がっている乞食達も、自然と欠けた石畳の上を群らがりながらうろついている。その中にあるモイラの姿は、必ずしも絶世ではないにせよ、確かに清楚で美しく見えた。丈の長いスカートや締まった服の袖は田舎臭くもあったが、張り切りすぎた女性たちと比べると、安心感がある。不快感のない亜麻色の髪を下ろし、黒い男物の外套を身に纏って祈りを捧げる姿は清貧そのもので、神聖な場所でこそ映えるようだ。
「ところで、その子は?」
ユウキは敦を一瞥する。敦はラビンスキーの裾に縋り、咳き込んだ。
「アツシ君っていう乞食の子だよ。何とか仕事を探してあげようと」
ユウキは敦にやや冷ややかな視線を送りながら、白い息を空に上げた。
「仕事、ね……」
敦は頷き、ユウキに微笑んで見せる。こけた頬の陰が少し薄らいだ。
「ユウキ君、敦です。宜しくね」
嬉しそうな高い声を上げた敦を、ユウキは冷ややかな目で見つめる。気まずい雰囲気をはぐらかすような軽快な鐘の音が時を告げる。祈りを終えた人々がおのおのの家へと歩いていく。図書館へ急ぐ学生が持っている分厚い本は、聖書のようだった。ぞろぞろと教会を後にする人々が説教について語り合っている。ユウキは目を細め、敦の向こうにある城壁に焦点を映した。
「うん、よろしく」
駆け足でモイラが近づいてくる。その顔は場違いなほど晴れやかな表情だった。ラビンスキーは敦の手を強めに握り、頭を掻いた。
「二人とも、仲良くね……」
「はい!」
敦は不健康な黄色い歯を見せて笑う。細部に現れる侘しさは、ラビンスキーの表情をどうしても曇らせてしまう。
(せめて、子供だけでも救えれば……)
ラビンスキーの脳裏にシゲルの顔がよぎると同時に、孤児院という言葉が浮かび上がる。ラビンスキーははっとして教会の方を見る。コランド教会の牧師は太った狸顔の男で、薄ら笑いに思わず寒気がした。すぐに視線を城に移す。同じ城壁内にあるにもかかわらず、異世界のような雰囲気がある城では、今もロットバルトが仕事をしているに違いなかった。
(2つ、進展するか……?)
思索に立ち止まったラビンスキーの手を敦が引っ張る。ラビンスキーは我に返る。自分が仕事の顔をしていたことに気付き、敦を安心させようと誤魔化した。
「友達ができてよかったね」
「はい!」
ラビンスキーも元気の良い敦の声に心から笑顔になる。モイラがユウキに何かを話している。暫くして、赤面したユウキが二人に言った。
「じゃあ、友達ついでに、二人で話さない?……ラビンスキーさんと、モイラは先に帰っててもらっていいかな?」
唐突な要望に呆気に取られているラビンスキーをよそに、モイラはうんうんとうなずいている。
「はい、お話ししましょう!」
敦の声は晴れやかだ。ユウキがラビンスキーを見る。ラビンスキーは反射的に頷いた。
「じゃあ、行こうか」
ユウキが敦に言う。舞い上がりスキップをする敦が、ラビンスキーに手を振った。ラビンスキーもつられて手を振る。呆然と後姿を眺めていると、取り残されたモイラが何かを思いつき、手を叩いた。
「そうだ、私達もお話ししましょう。ユウキのお友達の事も知りたいです」
「そうだね、ちょっとここで話そうか」
二人はすこしぎこちなく笑う。教会の前はすっかり寂しくなっていた。




