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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
一章 都市衛生問題
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上から汚物

 真っ先にラビンスキーの目に飛び込んできたのは、道端に捨てられた汚物だった。

 道は不格好な煉瓦造りで、ところどころの隙間から雑草が生えているのが分かる。道は大通りというには狭く、一頭立ての馬車が二台すれ違うのがやっとといった具合だ。建物のせいで太陽はうまく入ってきておらず、息が白くなるほど寒い。幸い、ラビンスキーは寒さにはある程度耐性があったため、温度にやられることはなさそうだった。


「さて、何をすればいいのか」


 彼はぽつりとつぶやく。人通りはなかなか多く、ずっとここに立っているのは邪魔だろう。しかし、宿も金も仕事も行く当てもない。人々は流れるように通り過ぎるし、ドレスの貴婦人が二頭立ての馬車で通り過ぎれば、彼の足元の煉瓦が歪な悲鳴を上げる。彼が何をするでもなく突っ立っていると、真後ろの扉が開かれた。


 振り返れば、ビフロンスが申し訳なさそうな顔でラビンスキーを見上げていた。


「申し訳ございません。今、町の方をご案内させていただきます。お住いの方は、こちらで社宅をご用意しておりますし、お仕事も明日からになりますので、まずはこの町の地理をご確認ください」


「よかった……。どうしようかと思っていたところだよ」


 ラビンスキーは胸をなでおろす。見知らぬ町の光景が、途端に広く見渡せるような気がした。手始めに眼前の建物を眺める。ビフロンスの出てきた建物は縦長の煉瓦造りで、立派な煙突と「公証人役場」であることを示す看板が扉の上にかけられていた。ラビンスキーがその看板を黙って眺めていると、ビフロンスが鍵をかけながら呟く。


「えっと、こっちでは公証人館ということで、契約書面等の管理もさせていただいております。僕らの魔術で地獄とつながってもいますが、これ以降、ラビンスキー様が地獄の様相を見ることは死ぬまでありませんので、その、ご了承ください。あぁ、この世界での活動については今後毎月配布される報告書を僕のところにご提出ください。あと、半年ほどのちに特例法に関するご意見・ご要望を個別に調査させていただきますので、ご了承ください」


 鍵がかかったのを何度も確認したビフロンスは、よし、と小さく声を発し、鍵をしまった。そのあとすぐに日傘をさして、ラビンスキーの方を見る。


「お待たせいたしました。参りましょう」


「案内宜しく」


 ラビンスキーがいうと、ビフロンスは頷いて右手で広場の方へ続く通路を指さす。


「まず、あちらの方へご案内いたします」


 二人は北向きに歩き出した。道は真っすぐ都市の南北を貫いており、一定の距離をおきつつ建物が並んでいる。建物と建物の間は小さな街路となっており、向こう側には乞食たちが隔離されるように座り込んでいるのがうかがえる。


 ラビンスキーはなるべくそれらと目を合わせないようにビフロンスの後を追う。ビフロンスは案内看板を指さしながら、通り過ぎる建物を次々と紹介しだした。大通りだけあって、賑わいはなかなかのものであったので、彼の案内する様を見た人々も、少々迷惑そうにラビンスキーを睨む。ラビンスキーはその度に苦笑しながら会釈を繰り返した。


 ビフロンスの公証人館から順にパン屋、肉屋、魚屋、八百屋などの食料品店がずらりと並び、向かい側には生活用品店、工具店、書店という順番で並んでいた。


 やがて二人は大通りの先にある、広大な広場に辿り着く。


「おぉ、露店がずらりと……」


 ラビンスキーが感嘆すると、ビフロンスはつられて高い声を出した。


「ここは中央広場、ムスコール大公広場です。ムスコール家はこの国の皇帝一族でして、この都市もその名を借りてムスコールブルクと呼ばれています。年代記によれば、ここに行きついたムスコール一族が初めに立てた要塞が、ここにあったようです」


 中央の記念柱はそれらしいものの名残のようで、その上には馬に乗った厳つい銅像が誇らし気に立っていた。台座には建立の年や月日などのほか、小さくムスコール大公広場と書かれた案内板が取り付けられていた。


 円形に広がる広場は、記念柱を中心として大道芸人、露店商、行商人などが所狭しと居座っている。記念柱から真っすぐ北にある建物は教会で、遠くの城らしき建物を守るように聳えている。鐘塔は城壁から頭一つ飛び出していて、白い外壁の四方をミナレットが取り囲んでいる。中央の礼拝堂らしき部分は流麗なドーム状をしており、ビザンツ様式を思わせる天井が特徴的である。ラビンスキーは思わず口を開けたままその雄大さに見とれていた。


 ビフロンスが軽く咳払いをすると、ラビンスキーは我に返ってビフロンスを見おろす。危うく日傘に引っ掛かりそうになった。


「先ほど見てみえたのはコランド教会ですね。壮麗なドーム状の天井を貫くように聳える鐘塔が特徴です。お隣に見えますのがムスコールきっての大豪商、カルロヴィッツ商会です。アーミンをはじめとする毛皮の特権を独占し、最近は金融にも手を出しました。今後の為に、覚えておくとよろしいかと」

 ラビンスキーは教会の隣の立派な木造建築に目を向けた。巨大な石の塊を土台にし、漆喰を塗った光沢のある杉の木は、コランド教会とは趣の異なる美しさだった。窓はふんだんに使われているが二重になっており、防寒対策が施されているのが分かる。除雪用なのか傾斜のある屋根も特徴的だった。

「どうしてこんなにいろんな形の建物があるの?」


 ラビンスキーが見下ろすと、日傘を少しずらしたビフロンスと目が合う。寒さからか、少し頬が赤みがかっている。


「本来の文化はカルロヴィッツ商館のような、黒い木組みの建物だったんです。ここから東に行くと針葉樹林がたくさんありまして、木材の調達が比較的容易だったためです。この周辺の都市の主流は、ほぼこのタイプなんですが、三代前の皇帝が西の文明を導入するために、公的な建物が建て替えられてきたんです。それで中途半端に文明が混ざってしまいまして……」


「ちょっと迷惑な話だね」


 ラビンスキーは広場に並ぶ建物をざっと見まわした。確かに、役所や図書館などは立派な煉瓦造りだが、普通の商店は木造が多そうだった。ビフロンスはため息を吐いた。


「いえ、ちょっとどころではなく……。困ったことにこれを見た若者がドンドン西に移住してしまいまして……。ここはそれほどではないですが、周辺都市がひどい過疎地に……そして密集した西方都市で門前払いを食らった若者たちがそのまま魔物のえさに……」


「うわぁ……」


 ラビンスキーは自分の若いころでもそれほど愚かではない、と確信していたが、憧れた土地に旅行に行って後悔する自分が一瞬頭をよぎって絶句してしまった。ビフロンスは口は笑ったまま、顔を逸らした。


「中途半端に西の文明を取り入れたせいで、却って田舎臭さが目立ってしまったというのは、皮肉な話ではありますが……。官僚になった暁には、そのような過疎問題の解決にもご尽力いただければと切に願っております」


 二人は同時にため息を吐く。その直後に、ひひぃん、という馬の鳴き声が響き、二人は思わず飛び上がった。道行く馬車に牽かれそうになって民家の壁際に引っ付くと、突然窓が開き、ラビンスキーの頭上に何かが落下してきた。ラビンスキーはそれをもろに受け、目を瞑って下を向く。体中にまとわりつく嫌な臭いに気付いてそっと頭の上を手で探る。びちゃびちゃになった泥の様なものがかかっているのが分かった。ビフロンスの日傘にも、糞らしきものがかかっている。ラビンスキーは上を見上げた。もう窓は閉まっていた。


「……おうちに帰ろっか」


「はい……。僕が奢りますから、とりあえず、お風呂に行きましょうか」


 初任給で日傘を買おう、ラビンスキーは心底そう思ったのだった。

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