持たざる者
がやがやと役所の裏に列をなす乞食達は、桶一杯に汚物を持っていた。ラビンスキーとアレクセイは欠伸をしながら、桶のゴミを集めては乞食たちの手を濯がせ、配給券を手渡す。ぼろぼろの服で異臭を放つ老人は、二枚の配給券に舞い上がりながら、走り去っていった。次々とやってくる乞食たちは、ムスコールブルクの人口の多さを物語っている。これだけの乞食の生活を支えるのなら、石畳の整備が行き届かないのも無理はないのかもしれない。
大学生たちは群がる彼らをゴミを見るような眼で見ながら、鼻を塞いで足早に去っていく。ラビンスキーは小さく鼻を鳴らした。
「……これなら外周も週一でいいですね」
「そうですね。乞食の物量を利用したのはいいことですが、これの為に町の外観が損なわれるのはいただけませんね」
アレクセイは無表情で答える。乞食の提げた桶の中身を計量するために、石を敷いた桶を重石として天秤に乗せた。ゴミは小さく浮き、石より少し軽いのが分かる。
ラビンスキーはアレクセイの言葉に少し不機嫌になりながら、周囲を見回した。
着ようが着まいがたいして違いのないぼろ布に身を包み、くるくると縮れた髭を伸ばしている。削ぎ落したような顔の真ん中に、丸い目だけが強調されている。……確かに非常にみすぼらしいが、アレクセイの発言は些か失礼にすぎるように思えた。ラビンスキーが周囲をざっと見まわしていると、見覚えのあるぼろ布の子供が列に並んでいた。
「……?」
ラビンスキーはその顔が非常に気にかかり、記憶をたどる。いくらか遡ると、その手が銅貨を拾うか細い手と同じであることに気付く。アレクセイは片手間に仕事をこなしながら、訝しむようにラビンスキーを見た。
「一枚」
「あ、ごめんなさい」
ラビンスキーが急いで乞食に配給券を差し出す。乞食は先ほど小躍りして走り去った老人の背中を恨めしそうに追いかけた。アレクセイは冷たい目をしながら咳払いをする。男はそれに気づき、アレクセイを睨み付けたが、暫くするとのそのそと歩き去っていった。
「そんなゴミを見るような眼で見なくても……」
「……あれらはそうでもしないといつまでもつっかかってきますよ」
アレクセイは次の乞食から排泄物を受け取り、それを量る。悶々とした空気に顔をゆがませた男は、小さく咳き込んだ。アレクセイは小さく舌打ちをして、ラビンスキーに向けて指を二本立てる。ラビンスキーは再び配給券を手渡した。
それを何度か繰り返すと、回収用の荷台は盛り土のような汚物で膨れ上がっていた。
「……今度からマスクが必要ですね」
「さすがにきついですね……」
荷車にはあらゆる不快臭が積み上げられたようになっており、ラビンスキーは急いで桶に蓋をして、馬車を出すように指示する。馬車は静かに路地の裏から出発していった。
「今回は初だから相当集まったけど、今後はどれくらい集まるんだろうね」
二人は手を丁寧に水で洗い流し、役所へと戻る。路地裏を出た途端、アレクセイは深呼吸をして答えた。
「……いくらでも増えますよ。ここはそういう町です」
ラビンスキーは何気なくふり返ってアレクセイの話を聞こうとする。ふと、その向こう側に倒れる誰かが目に入った。
「ちょっと!大丈夫ですか!?」
アレクセイも声にぎょっとして振り返った。ラビンスキーは倒れる者のもとに駆け寄った。
あまりにも細い腕には血管の筋がしっかりと浮かび上がり、身に纏うぼろの麻布はおよそ服とは呼べない代物で、ほつれた端から脛が見えている。脛は石畳の上に不気味に横たわる枝のようで、足を引っかけただけで骨でも折れてしまいそうだった。頬は削ぎ落されたように深い彫を作っている。唇はひび割れ、長くじっとりとした髪の毛で表情がほとんどうかがえない。
ラビンスキーは絶句した。仄暗い路地裏の石畳は凍てつき、少年の震える唇が青くなるのを助けている。石の間から生えた雑草が彼の小さな掌に握られ、手のひらの黒いものを拭っているようにも思えた。
「だから乞食は嫌いなんだ……。略奪ですよ、その子供の手、排泄物が付いてるでしょう?」
アレクセイはラビンスキーの隣に屈み込むと、子供を強引にゆすった。
「ほら、起きて。配給券あるから」
反射的に飛び起きた子供は、アレクセイに縋りつこうとする。アレクセイはその手を払い、配給権を差し出した。
「縋りつくなら手を洗ってからにしてくれ」
少年は自分の手のひらを見ると、目を見開いて驚いた。焦って石畳の上を探し回り、ぁ、ぁ、と小さな声を上げている。汗腺も閉じ、涙も乾ききったのか、深刻な表情なのにも関わらず、目も頬も乾ききっていた。
ラビンスキーは息をのみ、床の上を這いまわる少年を見た。思わず目を逸らしても、声にならない微かな悲鳴が却って胸を抉った。町は相も変わらず人々が往来する。その隙間を縫うような小さな道に、ゴキブリのような影が動き回っている。
「そんな汚いものさがすな。ほら、一枚やるから」
ゴキブリのような影は顔を上げ、かさかさと近づいたかと思うと、それを奪い取って闇の向こうに消えていった。それを見届けたアレクセイが立ち上がったのを見て、ラビンスキーは反射的に叫んだ。
「こんなことって……!」
アレクセイは見向きもせずに役所の方に向かって行く。
「……乞食は犯罪を犯さないと生きていけない悲しい生き物ですね」
「罪もない子供を……」
「罪?罪ならありますよ。彼らは、こうして外観を汚しますからね」
アレクセイはスタスタと歩き、役所へ引っ込んでしまう。ラビンスキーは暫く躊躇った後、意を決して暗い路地裏に消えていった。




