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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
一章 都市衛生問題
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継接ぎの剣1

 大公領の前にはさらに厳つい兵士が黒い鉄製の柵に囲まれた扉を守っていた。彼らが訝しげにラビンスキーを睨む。ラビンスキーが彼らに許可証を差し出すと、兵士達は確認作業を始める。確認作業の間、ラビンスキーは門の前に立ち、城の外観を確認した。


(ここだけ近世みたいだ……)


 鉄の要塞、煉瓦造りの住宅街、巨大な城壁に、寂れた藁の小屋……周囲の情報を整理すればするほど、その建物は異質なものだった。巨大な真四角の赤い宮殿は、他の建物には滅多にない窓をふんだんに使って組み立てられていた。宮殿の前に整然と広がる広大な庭園はシンメトリーの緑を讃え、花が落ちた冬の季節でも、雪が微かに積もった葉脈には太陽の光がよく映る。庭園の中心には凍り付いてしまった噴水があり、氷と霜がイルミネーションのように輝いている。白い薄手のカーテンは微かに風を受けてなびき、言葉もなく往来を繰り返す。ラビンスキーは思わずため息を吐いた。


(実用性一点張りの外の建物とは、少し雰囲気が違って見えるな……)


 兵士たちに呼びかけられてラビンスキーは我に返る。兵士たちは門を開き、恭しく頭を下げた。ラビンスキーも礼を述べて城の中に入る。


 庭園を貫く直線の通路では、噴水の鷲が門番のようにラビンスキーを見定めている。三人の美神が鷲を見上げ、巨大な水がめを斜めに持っている。短い夏の間には、きっと水がめから水を出すのであろう。ラビンスキーはふと、もったいないような気持ちになった。美しい緑の楽園を通る間は、白い息が天空に上るさままでも、別世界のような輝きを讃えていた。



 入城してすぐ、召使らしき初老の男性がラビンスキーを呼び止めた。


「ラビンスキー様ですね?」


「はい」


 ラビンスキーが答えると、初老の男性は丁寧に右の手を胸に当てて挨拶する。


「お待ちしておりました……。私、ロットバルト卿の下で仕えております、スミダと申します。どうぞ、お見知りおきを……」


 ラビンスキーはあまりの厚遇ぶりに少々困惑しながら、手を振って苦笑する。天上の楽園を超えたような気分から我に返って周囲を見回すと、そこは広々とした玄関だった。


 厳つい鎧が槍を持って出迎え、中央の階段には黄金の鷲が睨みを利かせている。床はフローリングが敷かれ、さらに赤い絨毯が堂々と道の中央を貫いていた。


「スミダさん、その……」


「あぁ、お気になさらず、私が御案内いたします」


 そういうとスミダは赤い絨毯を避けるようにしながら華麗な足取りで中央階段を上り始めた。ラビンスキーは深呼吸をして、その後姿を追う。初老の白髪と黒髪のコントラストが、スミダの丁寧な歩調と相まって、歴戦の傑物のような錯覚を覚える。彼について歩く度に、宮殿の内装が解き明かされていく。


  外壁は赤一色の建物だが、内壁は白い。そこにはラビンスキーの目線の高さに合わせて銀細工が施されており、厚かましく見せつけてくる。鷲、アイリス、アーミン、獅子……由緒ある紋章が堂々と誇示され、ここが世俗支配者の住居であることを見せつけている。


  階段を登り切り、長い廊下を進む。通り過ぎる窓が楽園を映しては去り、巨大な木製の扉が圧迫感を醸し出している。天界と人界に板挟みされたような不可思議な感覚がラビンスキーを極度の緊張状態に誘い込む。天井からぶら下がるシャンデリアの蠟燭に火を灯す下人たちでさえ、ラビンスキーには途轍もない権力者のように思えた。


 階段からちょうど11番目の扉の前で、スミダは静かに立ち止まる。ラビンスキーは思わず身震いをし、肩に力が入った。スミダは小ぶりで血管の浮き出た手でノックする。


「失礼いたします。ラビンスキー様をお連れしました」


シンとした内部から、入れ、という声が微かに聞こえた。ラビンスキーは唾を飲み込み、乾いた唇を軽く舐める。唇の間から抜けた吐息が、空気が抜けるような音を立てた。


 茶色に塗られた木製の扉が、ついに開かれる。スミダは静かに中に入る。ラビンスキーもそれに倣った。


「失礼いたします」


 ラビンスキーは窓際の作業机に人が座っているのを確認した。その男は羽ペンを置き、静かに振り返る。


「君がラビンスキーか。弟から話は聞いているよ」


 中性的な声が部屋に響く。男は長い髪を結い、藍のマントと白の服を着ている。キュロットを穿いた下には白いタイツを穿き、靴は革製の黒い紐靴を履いている。肌理の細かい肌と鋭利で繊細な眉、高くしっかりとした鼻筋、ふっくらとした唇……。どれを取っても美しく、予備知識がなければ女性と見間違いそうなほどである。


「少し二人で話がしたい。スミダ、外してくれないか」


 スミダは静かに頷き、丁寧に礼をすると、その場を立ち去った。ラビンスキーは親友の家に初対面の人と取り残された時のような不安を感じた。彼が赤い絨毯を凝視していると、ロットバルトは愉快そうに笑う。


「緊張してくれるな。私も君とは話がしたかったのさ。……弟は我儘だからな、苦労をかけているだろう」


「いえ、とてもお世話になっています」


 ラビンスキーが答えると、ロットバルトは体をラビンスキーに向けて「そうか」と短く言った。


 ルシウスの研究室には書籍が雑多に積み上げられていたが、ロットバルトはそれらを全て書棚に背の順で並べているらしく、ラビンスキーはそれに却って圧迫感を感じた。ロットバルトの方を恐る恐る見ると、その線の細さに驚く。少なくとも、悪魔卿というイメージとはかみ合いそうになかった。


「ロットバルト様の噂は兼ねがね聞いておりましたが、何と言いますか……とても、美しく、意外でした」


 ロットバルトは一瞬きょとんとしたが、すぐに少し照れ臭そうに笑った。


「そうか。有難う。私こそ、君がもっとズカズカと踏み込んでくると思っていたが……成る程、このタイプであったか」


「と、言いますと……?」


 ロットバルトは懐かしそうに目を細める。


「いや、私はね、異世界の人間からするととても低劣に見えるらしいのでね。いつもため口で話しかけられていたのだよ。それで、少々驚いたのさ」


「た、ため口ですか?」


「そうだ。もっとも、私としてはまんざらでもないのだがね」


 ロットバルトは筆ペンを持つように指を小さく動かしながら、ラビンスキーの口を注視している。ラビンスキーは背筋を伸ばし、石化したように微動だにしなかった。ロットバルトは息を吸う。


「時に、ラビンスキー君。例の村に行ったそうじゃないか」


「はい。行きました」


 ラビンスキーは言葉を反芻するように間を取ってから答えた。すると、ロットバルトは眉を寄せて冷たい口調で言った。


「君の見解を聞きたい」


「見解、ですか?」


「そうだ、君はあの村についてどう思う?」


 書棚が迫ってくるような錯覚と、窓からの逆光で陰になるロットバルトの冷たい表情に、ラビンスキーは身震いをする。あらゆる豪奢な調度品が答えを求めて静かに待っており、天蓋付きのベッドなどは今にも何かを飲み込みそうなほどに大きな両耳を開いていた。


(ここで言うべきか?)


 村の惨状がラビンスキーの脳裏をよぎる。しかし、万一ロットバルトの気分を害しでもすれば、今回の話がお流れになるかもしれない。じっとりとした汗が首筋を通り抜ける。コツ、コツとシャンデリアに火をつけて回る下人の足音が近づいてくる。ラビンスキーは唇を湿らせて、静かに口を開く。


「あの村は……とても歪です。従うでもなく、かと言って自立するでもなく……。権威に歯向かい、権威に跪き、村の誇りを汚されぬように必死に守っている。大変、申し上げにくいのですが……変革の必要があるのではないか、と」


 ラビンスキーが言葉を切る。ロットバルトの顔色を窺うと、無表情のままで目を閉じていた。


(駄目だったか……)


 ラビンスキーは酷く後悔した。穴があったら入りたいと思う程に、恥ずかしいと思った。ハンスやルカ、アレクセイが積み上げてきた計画が崩れるような音が、彼の耳元でしたのだ。


「私も、同意見だ」


「……え?」


 ロットバルトは目を開けた。調度品がしんと静まり返った。


「いや、驚いた。君のようなタイプは権力に屈すると思っていたが、ただの太鼓持ちではないらしい。どうか非礼を許してほしい」


「ひ、非礼などと……!滅相もございません!」


 ラビンスキーの声が裏返る。ロットバルトは徐にペンを取り、作業机に向かいながら、語り始めた。

「……私はあの村の望み通りに「自由」を与えた。彼らは領主のしがらみからは解放され、自由に仕事をし、自由に往来し、自由にものを売り買いする権利を受け取った。しかし、ね。彼らは自由というものをはき違えているらしいのだ。自由とは自己処分だ。即ち、必ず責任が付きまとうもの。彼らは、それを理解していない。それに気づかなければ……手遅れだろう」


「こんなことを言っていいのかわかりませんが、何故、教えてあげないのですか?」


「気づかなければならないからだよ」


 ロットバルトはペンを置き、紙をくるんだ。羊皮紙を麻紐で結んだあと、ラビンスキーに向き直る。


「権力に与えられ続ければ、彼らは思考をやめる。それは、真に自由ではないし、かつてよりも束縛的だ」


 ラビンスキーは頷く。ロットバルトは微笑んで、羊皮紙をラビンスキーに手渡した。


「ハンスによろしく伝えておくれ。例の件は、一月で案を通すと約束しよう。君はハンスに奢ってもらうと良い」


 ラビンスキーは唇を持ち上げる。最早そこには、恐怖の類は全く見られなかった。


「勝利の美酒は、ロットバルト様あってのものです」


 羊皮紙を誇らしげに受け取るラビンスキーに、ロットバルトは笑顔を返す。どこか愛らしいような、そんな笑顔だった。

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