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適性診断

 ハーゲンティの案内に従って部屋を移動したラビンスキーは、窓の外の光景を呆然と眺めていた。

 辺獄―またの名を「リンボ」というのだが、地獄の入り口にあたる部分で、詩歌の大家ダンテ曰く、主の誕生以前の人々が皆ここに送られてくるらしい。


 言葉で知れども初めて見るその光景は、噂通りの陰惨さが滲み出ていた。荒廃した何もない荒れ地で、羽虫があちこちに飛び回り、鬱陶しそうにする亡者たちにまとわりついている。岩肌がまるまるでたおおきな断崖の上には、悪魔の屋敷らしい巨大で荘厳な建物がある。灰褐色の煉瓦造りで、尖塔は天を貫く槍の如くに立ち上っている。ラビンスキーは異世界転生をするよりもまず、あの巨大な建物の中に入ってみたいと思っていた。


 彼が暫く個室で窓越しに羽虫の群れを追っていると、ガチャリ、という音とともに、丁寧に扉が開かれた。彼が扉の先を見ると、その向こうには窓の向こうの辺獄とは一線を画する、肌寒そうな市場が広がっていた。ふかふかの毛皮を身にまとい、コートを羽織った鼻の赤い男が手を振って通り過ぎていく。扉を開けた張本人は、場違いなほどに小柄な少年だった。少年は鼻の赤い男に丁寧に手を振った後、ラビンスキーの方を振り向いて、はにかんで見せた。


「ようこそ、この先が異世界になっています」


 ラビンスキーは意味をつかみかねて首をかしげた。少年は優雅な足さばきで建物の中に入り、ラビンスキーに背中を見せないように横向きに扉を閉めると、面接のように深く頭を下げた。


「失礼いたしました。僕はソロモン72柱は伯爵、46番のビフロンスと申します。以後、お見知りおきを」


 ビフロンスはゆっくり体を起こし、ラビンスキーに向けてはにかんで見せた。ラビンスキーも手軽にあいさつをする。ビフロンスはその後も優雅な足さばきで歩き、椅子に腰かける。彼は殺風景な部屋の中央にある、取調室のような金属の机を挟んで、ラビンスキーと向かい合った。


 近づくと、その全貌がはっきりと分かった。歯は何も食べていないのかと思うほど白く、入念に磨かれているのが分かる。目はややたれ気味で、深紅の瞳はくりくりと大きい。伸び放題の白い髪は栄養がまともに行き届いておらず、手入れがなされていないパサパサとした枝毛が遠目にも確認できる。前髪は髪にかかっていないようだが、後髪はぎりぎり男であることが分かる程度に伸びている。華奢な体には燕尾服を纏い、白い手袋と長いズボンが上流階級然とした余裕を持たせている。半面、あまり少年らしい服装とは言えず、あえて挙げるとすれば髭を湛えた老紳士のようだった。革靴はピカピカに磨かれ、顔が映りそうなほどだった。


 ラビンスキーは改まって背筋を伸ばす。窓越しの羽虫の群れも俄かに緊張しているように見えた。


 「ラビンスキー様、異世界転生のほう、謹んでお慶び申し上げます。僕はこちらの世界、トール・クメット・オリヴィエスの管理と地獄の公立図書館の管理をしています。今回は、適性診断……有体に言えば、転生先の職業決定のための検査の担当をさせていただきます」


 ラビンスキーは黙ってうなずいた。異世界転生というのだから、職業も様々に違っているのだろう、そんな期待に胸が躍った彼は、自然と顔がほころんでいた。羽虫がガタガタと窓を揺らす。


「……それでは、引継ぎ用の資料のご提出を宜しくお願い致します」


 彼は手持ちの資料をビフロンスに提出した。ビフロンスはその資料をくまなく確認し、最後に確認用の印を押した。すると、彼の後ろから血色の悪い手が伸びて、それらがたくさんの紙切れを机に置く。ラビンスキーは驚きの余り変な声をあげた。それを見たビフロンスが困ったように笑う。血色の悪い手はラビンスキーの手元にもいくつかの紙を置いて、去り際に親指を立ててビフロンスの背中の先へと消えていった。


「えっと、この資料は?」


 ラビンスキーがてきとうに資料をめくろうとすると、ビフロンスは小さく咳払いをした。ラビンスキーは伸ばす手を止める。ビフロンスはそっと右端の資料を手に取る。


「えぇ、貴方から見て右端の資料をご確認ください」


 ラビンスキーは右端の資料を取り、机に肘を立ててその資料を眺めた。そこには、簡単な計算問題や彼の母国語、さらにペトロパヴロフスク要塞などの写真や地図の下に、小さな記入欄があった。


「……制限時間は20分、できる問題から順番にこなしてください。その紙が終了した場合は、手を挙げてください。私の指示で、順に左の資料へと目を向けて、同様に回答していってください」


「テスト?なんか、ステータスをパッと割り出す方法とかはないんだね」


 ラビンスキーはいきなり期待を裏切られ、少々落胆した。ビフロンスは困ったように笑う。


「ご期待に沿えず申し訳ございません。しかし、えぇ、紙は記録媒体としてはやはり優秀ですからね……向こう1000年はこちらで確認できますので」


 そういってビフロンスはポケットから砂時計を取り出す。ラビンスキーがペンを執ったのと同時に、それをひっくり返した。


「どうぞ、始めてください」


 一枚目は5分とかからなかったが、左に行くにつれて徐々に難易度が上がり、最後の用紙に至っては博士課程の試験のような難解な問題がジャンルを問わずずらりと並んでいた。ビフロンスはラビンスキーが体を起こして見せるげんなりとした表情を確認すると、新たな砂時計を次々と机の上に置く。彼が手を挙げるのを見るたびに、「はい、次」という言葉と共に砂時計をひっくり返す。ラビンスキーは結局最後の二つ手前辺りで、ほとんど回答が空欄になってしまっていた。ラビンスキーは最後に用紙を提出する際には、定期試験終わりの学生のようなすがすがしい表情を見せていた。


 ビフロンスは用紙を再びくまなく確認し、すべてに印鑑を押すると、軽く手をたたいた。すると、再びビフロンスの背後から血色の悪い手が複数伸びてきて、机の上に用紙を置く。ラビンスキーはいよいよ気持ち悪くなって、羽虫が窓をたたく音に小さく舌打ちをした。ビフロンスが一瞥すると、羽虫たちは突然窓をたたくのをやめて霧散していった。ビフロンスは再びラビンスキーの方を向く。ラビンスキーは唾を飲み込んで、徐に用紙を確認し始めた。


「……はい、確かに。では、次はこちらの適性診断をお願いします。できるだけ近いものに丸を付けてください。自分をよく見せないで、素直に応えてください」


「はぁ」


 適性診断はありふれたものだったが、ラビンスキーにとっては新鮮なものだった。事務室で雑務をこなしていると、自分というものの認識が薄らぐと感じていたため、改めて自分のことを考えるいい機会のように感じられた。


 ラビンスキーが適性試験をこなす最中、ビフロンスは血色の悪い手が次々と彼に渡す資料の山に目を通し、無表情でそれをさばいていく。その手さばきは歴戦の事務職員のそれであり、長い間こうして作業をこなしてきたことがうかがえる。ラビンスキーも時間をかけながら、解答欄に丸を打つ。


 羽虫が遠ざかってしばらくたつと、二人はほぼ同時に顔を上げた。ラビンスキーは小さく息をつき、ペンを静かに机に置く。その音は静まり返った取調室によく響いた。


「終わったよ。……ちょっと疲れたかな」


 ラビンスキーが微笑んで見せると、ビフロンスも丁寧に頭を下げて笑顔を作る。ラビンスキーの手から用紙を手渡されたビフロンスは、真っ先に紙面を確認し、今まで通り印鑑を押した。


「はぁー、お疲れさまでした」


 ビフロンスは体を伸ばした。それと同時に、殺風景な執務室が一瞬のうちに生活感のある書斎に変わる。ラビンスキーは思わず変な声を上げて、周囲を見回した。


 壁一面の書棚には、分厚い書籍が所狭しと並べられ、二人のいる中央の机を取り囲むように並んでいる。どこの土産かわからない木彫りの熊や、寂しそうに突っ立っている蝋燭立てが置かれた長机が、ビフロンスの入ってきた玄関の目の前に置かれている。床にも紺色のカーペットが敷かれており、静かではあるが息遣いが感じられる家になっていた。


 ラビンスキーの動揺をよそに、ビフロンスはサクサクと資料をまとめ、ラビンスキーの前に差し出した。


「こちら、結果が出ましたので、お知らせさせていただきます。……僕と同業者ですかね?一般教養は網羅されているようですが、専門知識にはやや疎いようです。文章も公文書を思わせる、実に見事で丁寧なものでした。魔法の適性はあまりないようですね。識字率は高いので、学者か、官僚、特に役所勤めがおすすめですね」


 ラビンスキーは未だ馴れない環境に半ば戸惑いつつも、書類に目を通す。見たこともない言語だが、繊細な文字遣いで、不思議と意味が解読できる。能力を表すグラフには、一般教養の欄が極端に高く記載されているほか、専門知識の法学欄と経済学欄が平均正答率よりも高いと出ていた。魔法の適性は雀の涙で、ほとんどが平均以下を示している。ラビンスキーは何となく理不尽を感じつつも、その結果の正確さには心底感心した。


「うぅん、学者はちょっとなぁ」


「では、官僚ですか?まじめな性格のようですから、おすすめですよ」


 ラビンスキーはもう一度書類に目を通す。彼はもともと事務職であったため、折角の転生先、できることならばもっとアクティブな仕事に就きたいと考えていた。


「この、能力って、魔法なんかで変えられたりしない?」


 ラビンスキーが半ばあきらめ気味に訊ねると、ビフロンスは困ったように笑った。


「誠に申し訳ないのですが、魔法で能力を変えるところまでは特例法の範囲外です」


「そうですか……そうですよね」


 ラビンスキーが肩を落とす。諦めたようなため息が静かな書斎に響いた。かつ、かつ、と置時計の音が響き、しばらく沈黙が続いた。


「えっと、実は、いま、すでにオリヴィエスの方に転生しているんですが、お気づきですよね。それでですね、官僚ということで登録手続きの方が動かしますので、よろしいでしょうかね」

ビフロンスはきまりが悪そうに途切れ途切れ言葉を発した。ラビンスキーは気を遣わせたことにひどく罪悪感を感じ、口の中が苦くなるのを覚えながら、鼻を鳴らした。


「まぁ、死亡率も低そうだし、いいか」


 彼は投げやりに言葉を放ったが、ビフロンスは謝罪会見のように深く頭を下げて、「では、そのように」と呟いた。


「えっと、外に出ればオリヴィエスの大通りに出ます。この建物は今後地獄ではなくこちらでの私の職場である公証人館となりますので、ご了承ください。今後もご縁がございましたら、今度はオリヴィエスの住人として、仲良くしていただきたいです」


 ビフロンスは顔を少し赤らめて笑う。少年らしいどこか舌足らずなしゃべり方は、今までのそれとはずいぶん印象が違って見えた。


 ラビンスキーは立ち上がり、手を差し出して、「有難う」とだけ言った。ビフロンスは猫背になって立ち上がり、ラビンスキーの手を握り返す。


「それでは、貴方の素晴らしい異世界生活をお祈りしています!」


 ラビンスキーは玄関の扉に手をかけた。高鳴る鼓動とともに、血が勢いよく流れ出すのを感じる。ヒンヤリとしたドアノブが温度を取り戻した。


 ラビンスキーは深呼吸をして、その扉を勢い良く開けた。


―物語の始まりに、胸を躍らせつつ―

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