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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
一章 都市衛生問題
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アーロン卿の歓待

 翌日、村の領主の下に訪れた僕たちは、地位に不釣り合いな接待を受けていた。ルシウスは「名の知れた」教授であり、僕は何の権威もない単なる八等官である。領主の懐の広さからか、それともほかに何らかの力が働いているのか。僕は半ば困惑気味になされるままにもてなしを受けていた。


 まずは、城の全容から話していこう。

 朝一番に安宿を出発する僕を驚愕させたのは、朱塗りの屋根付き二頭立て馬車である。これが、何と二つ。呆気にとられて見ていると、今度は上質のキュロットにタイツを履いた、背の高いブーツの男が丁寧にあいさつをしてくる。口を開けたまま間抜けな会釈をする僕に対して、気軽に手を振るルシウス。つかいの男は足場まで設置して僕たちを馬車に乗りこませた。ルシウスは堂々とした様子で乗り込み、如何にも威厳に満ちた貴族のように赤い座席に座る。


「ほらほら、遅いよ」


 ルシウスは僕を手招きする。混乱したまま馬車に乗り込むと、燻蒸されたての馬車の中はほんのりとハーブの香りがした。もっとも、これはもてなしではなく、単に西で話題の大病を気にしているだけなのかもしれなかった。


 僕らに不釣り合いといえば柔らかく、肌触りの良いこの座席である。先刻の荷馬車は当然だが人が乗る構造ではなく、あくまで運転する者も「小遣い稼ぎ」程度の認識しかないため、(毛皮が荷物にあるといくらかうれしいところではあるが)乗り心地は最悪と言ってよい。しかし、乗るために遣わされたこの杉製の豪奢な馬車は、中に座席があるのである。しかも、羽毛入りの座布団が敷かれているのだ。無論、段差に座る荷馬車とはわけが違う。特筆すべきは、出来の良い鉄の車輪と、よく育てられた毛並みの良い栗色の馬の安定した走りである。丁寧に石が排除されたこの村の道は、まるで雲の上にでも乗っているような乗り心地だ。揺れの少ない小さな箱庭から目に映る景色の、何と美しいことだろうか。燕麦畑が眼前に広がるのを妄想することさえできそうである。


 畑の土の匂いがかき消されるハーブの香り、道中で手元に置かれている赤いワイン、小粋で精巧な銀細工、どれもこれもこの上ない高級品である。


 城主のいる城は傾斜のある丘の上にあり、重厚な鉄の門でできている。側塔が見えてくると、いよいよ体がガチガチに硬くなった。馬車を見た途端、門が自然と開かれ、恭しく頭を下げる兵士たち。僕はこんな歓待を受けたことはない。ムスコールブルクの商人だって、顔パスなどなかなかできないはずだ。ルシウスは目を回しながらあちこちを見回す僕を馬鹿にするように笑っている。しかし、憎らしい笑い声など、頭に入ってこない。


 重厚な煉瓦の城壁で守られた丘周辺を通り抜ける。険しい丘を何度も周回する蛇行した道、巨大な鎖や城門が至る所を塞いでいる。絶望的な高さの白い壁には鋸壁があり、ちろちろと顔を出す兵士たちが焦って顔を隠したりしている。平穏な今は邪魔臭いが、戦争になれば、あの鋸壁は彼らの生命線になるのだろう。門をいくつか超えて、数十分もの蛇行を終えると、先日外観から視認できた豪華で荘厳な城が姿を現す。居城を守る建物の、途方もない巨大で傾斜のある壁は、思わず圧倒されてしまう。


「至極一般的な山城だね。実に合理的かつ強靭だ。もっとも、虚飾が一切ない、突っ込みどころのないつまらないものだけどね」


 ルシウスが鼻を鳴らしながら呟く。意図をつかみかねた僕は、思わず眉をひそめた。


「それはいいことでは?」


 そう訊ねると、ルシウスは退屈そうに答えた。


「ん?いいことだけどつまらない、というだけさ。貴族っていうのは、ちょっと着飾ってるくらいが可愛いのさ。何せ実用的な技術というのは、つまらないものだからね」


 それをあなたが言うのはどうなのか、と言いそうになったが、ここは抑えておいた。最後の関門がゆっくりと音を立てて開く。僕は拳を握り、つばを飲み込んだ。男にとって、戦いに特化した城塞というものは、高揚の抑えられないところがある。そんな姿を眺めるルシウスは、楽しそうにくつくつと笑っていた。



 城の内部は静かで昼でも暗い。巨大な石積みの怪物は、今にも精神を溶かしそうな闇にシャンデリアを浮かび上がらせる。小さな硝子の窓が、申し訳程度の光を差し込ませている。僕らは長い通路を通り抜け、巨大な接待室に案内された。


「うっうー、寒いねぇ」


 ルシウスが呑気に言う。周りの使用人は急いで暖を取っていた。急な来客なのだから、仕方のないことだろう。僕らは美しい焦げ茶の椅子に座らされる。僕は感動しっぱなしだったが、ルシウスはまるで当然のもののように椅子をガタガタと動かして遊んでいる。暫くすると、きらびやかな服を着た、小太りの中年が顔を出した。


「ようこそいらっしゃいました、ルシウス卿!いやぁ、お会いできて光栄に存じま……」


「はい、そこまででいいよ。本題に入ろう、アーロン殿」


 小太りの中年は呆気に取られてしばし固まっていたが、我に返るとすぐに椅子に腰かけた。


「失礼しました、そ、それで、ご用件は……」


 ドン、ルシウスは威圧するように机に紙を叩きつける。気の毒なほど驚いたアーロンだったが、すぐに体勢を立て直した。ルシウスは微笑み、その紙をゆっくりと彼に近づけた。


「これ、今度の都市計画。ロットバルト卿、エリザベータ様には御快諾いただいた。君のところで肥料にでも使ってくれたまえ」


 アーロンは恐る恐る目を通す。一筋の汗が彼の頬を伝い、何度も紙を前後して焦点を合わせている。そこに書かれている内容は大したことではない。別に高額でもなければ、低額でもない肥料としての人糞の取引の案内だ。僕は彼の様子にひどく同情して、ルシウスを肘で軽くつく。ルシウスはふふん、と鼻を鳴らしただけだった。ようやく暖まりだした暖炉の心地よい温度がほんの微かに背中に感じられる。小さな教会の鐘が景気よく響いた。やがてアーロンは、書類のあちこちを確認した後、ルシウスを上目遣いに見る。ルシウスは微笑んだ。


「ロットバルト卿はアーロン殿を実に高く評価しておられる。道端のゴミも同然なわたくしなどと違ってね。ここでわたくしの我儘を聞くことは、卿に報いることになると思うがね」


 アーロンの顔が明るくなる。決して騎士として、エリザベーダ様やロットバルト卿に仕えることを誇りに思っているわけではない。遠くにある金貨の瞬きに目がくらんだのかもしれない。


「えぇ、えぇ!もちろんですとも!私もちょうど領土の農地改革に取り組もうと思っていたところなのです!きっと民も喜びますぞ!」


 アーロンは先ほどとは打って変わって早口になる。額の光沢も、好意的なものに変わっていた。パチン、暖炉の火がはじける音がする。同時に、ルシウスは満足げに頷いた。


「いやぁ、わたくしは柔軟なアーロン殿の発想が羨ましいです。本棚に埋もれた場所にいると、頭が固くなっていけない」


「いえいえ、私もルシウス様の御高名はかねがね伺っております。なんでも今度の研究会ですごいものを出すとか……」


「アーロン殿の狩った兎の大きさほどではありませんとも。ロットバルト卿にはもっとしっかりしろと何度も怒鳴られております故」


 面白くもない世辞を、アーロンは大層ありがたそうに笑う。ルシウスも含み笑いをしている。続いてルシウスは契約書を二枚取り出し、アーロンに差し出した。一枚は控えである。アーロンは嬉しそうに目を通し、契約書の内容に齟齬がないことをていねいに確認した後で、使用人の持ってきたペンとインク、それに蝋燭と印鑑でサインをした。ルシウスは立ち上がり、丁寧に礼をする。アーロンもまた同様に頭を下げた。


「そうだ、本日はお疲れでしょう?ささやかな祝宴を……」


 アーロンが言うと、ルシウスは契約書をしまいながら苦笑する。


「いやぁ、申し訳ない。大事な会議が立て込んでて……」


「そうですか……。いやぁ、残念です。では今度は、魔術についてご教授いただきたいです」


「はいはい。ありがとうね」


 二人は挨拶をかわすと、アーロンの目配せで使用人が動き出す。使用人は僕らを城の外まで見送ってくれた。城を出て、送迎の馬車に揺られながら、ルシウスは目を細めて城の外観を眺めて呟く。

「本当、つまらないよね」


 僕は何も言わず、靴の先を眺めていた。

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