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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
一章 都市衛生問題
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悪魔の鏡2

 自然と脳裏に浮かぶのは、どこかで聞いたメロディだ。思えば学校の昼休みや放課後の僕の姿は、荷馬車に詰め込まれた子牛そのものだろう。悲壮感と残忍性が入り混じったような歌詞は、機関車に詰め込まれたあの人々を思わせる。


 僕は、三人の取り巻きに両脇を抱えられ、強引に南へと連れ去られていく。駅前の大通りを通り過ぎ、土管の積まれた工事現場を通り過ぎ、まっすぐ南の山へと向かう。山の手前にはコンクリートで固められた川がある。広い畑と高い柵で囲われた廃墟の建物が川を隠すように建つ。その向かいには鬱蒼とした森があり、人の往来はほとんどない。夏は日陰になり、冬には雪や風雨を凌ぐ屋根があるため、時折子供たちは秘密基地を作り、あちこちから運び込まれた段ボールが放置されている。


 放課後の子供たちがヘドロを掬って遊んだり、およそ親には言えないようなことをしたりする。段ボールハウスの中には大体十八禁のいかがわしい本が放置されている。


 楽園とは、欲望を実現させる理想郷でなければならない。この土手沿いはそれを地でいくような条件が揃っており、それは彼らにとっても例外ではない。僕も何度かここに来たことがある。無論、僕の意志に反してである。


 二人の取り巻きが僕を硬いコンクリートの上に放り込む。ドス、鈍い振動で眼鏡が歪む。「無邪気な」笑い声が耳に届く。


「おう、最近見ねぇから心配してたんですよ?悠木君」


 取り巻きの一人が獲物を弄ぶ猫のように笑う。僕は何とか体を起こす。口の中にほんのりと鉄の味が広がった。彼らは僕にゆっくり近づく。僕を囲い込むと、一人が髪を引っ張り上げる。


「ほら、久々に顔を見せてくださいよぉ」


 反射的に目を閉じると、顔を思いきりゆすられる。頭頂部ががんがんと痛む。キンキンと歓声が鼓膜を刺激する。僕はかたくなに目を開けることを拒み続けた。


「悲しいなぁ、見てくれないのは、実に悲しいなぁ」


 取り巻きの一人が言う。甲高い声の背の低い男で、その笑みはこの一派の中で最も意地汚い。歯がガタガタで金属で矯正しているらしく、かつてはそのことでいろいろと罵詈雑言を浴びせられていたらしい。

 僕は細く左目を開く。何者かの舌打ちが聞こえる。同時に、僕の腕を引き千切らんばかりの怪力でひっぱりあげられた。


「痛い目遭いたくなけりゃ、顔見せた方がいいぜ?」


 もう一人の声変わりしたての声が言う。小太りだが筋肉質の男で、顔は端正であるものの、坊主頭である。この男は喧嘩っ早く、どこに行っても偉そうな口調である。


「ちょいちょい、やりすぎですよぉ、ねぇ、悠木君?」


 背の低い取り巻きが言う。僕に同意を求めていながら、顔はあくまで笑顔のまま後ろに向けられている。


 取り巻きのうち一人は、ただおどおどしながら見ているだけらしい。あぁ、かわいそうに。巻き込まれて抵抗できない子なのだろう。その男は初めて見た顔で、耳と目が大きく鼻が高い、たれ目の華奢な体の子だった。


「どうどう、諸君、嫌がることは止めようではないか。我々は悠木君と遊びたいだけだとも、そうだろう?」


 後ろの背の高い男がわざとらしく言う。この男はこのグループの中心人物で、僕にいろいろとけしかけてくる。森田という名で、近づくときは物腰柔らかだが、一度油断すればすべてを持っていかれる。爽やかな笑顔がかえって恐怖を煽るのに手伝っているとさえいえる。


 森田が歩き出せば、取り巻きは道を開ける。森田は優しそうな笑顔を作りながら、屈み込んだ。


「やぁ、悠木君。会えてうれしいよ。でも、顔を見せてくれないのはやっぱり寂しいじゃないか。おい、内梨、あれを」


 小太りの男が嬉しそうに取り出したのは虫かごだった。虫かごの中身は毛虫であり、嫌な予感が僕の全身を駆け抜ける。安直な発想ではあるが、不愉快極まりない。


「悠木君にプレゼントだ!どうか貰ってくれたまえ!」


 小太りの男は虫かごの毛虫を摘み、僕の顔の上に乗せる。6つの瞳は期待に胸を躍らせている。もっさりとした毛の感触が肌に触れる。頬が多少ヒリヒリする。


 毛虫は呑気に歩き、鼻の下辺りで止まる。耳を劈くような歓声。僕は顔を強張らせて毛虫の行く先を眺める。時折彼が口に向かおうとするのを、気づかれないように小さく動いて軌道修正する。そうして暫く抵抗したものの、結局毛虫は僕の唇の上を通り過ぎていく。不意に、右目を開けてしまう。これまでの歓声以上の大きな笑い声が響く。空を割らんとする巨大な声帯の揺らぎが、廃墟の壁を震わせる。


「うわ、こっち見た?」


「いや、あっち見てるよ」


「いや、こっち見てるよ。こっち見んな!」


 僕の顔面を潰すように拳が鼻に激突する。同時に毛虫が吹っ飛んで何処かに消え、僕の鼻からは鼻血が滴った。


 骨がジンジンと痛み、苦痛に顔を歪ませる。取り巻きが僕の両腕を掴んで固定し、磔刑さながらの状態にさせられる。満足そうに頷く森田。少し後退し、助走をつけて僕の腹に飛び蹴りを食らわせる。鳩尾にうまく入ったのか、今までに感じたことのない衝撃が全身を走る。僕はぐったりと項垂れ、唾液が糸を引くように落ちる。腹に槍を突き刺されたような痛みと、激しい内臓の揺らぎ。続けざまに吐きつけられる罵詈雑言の数々。


 十字の支えがプルプルと揺れる。笑いをこらえているのかもしれない。森田はそのまま僕を殴打する。鳩尾の痛みはそのままに、腕へ、脚へ……末端へと痺れが伝播し、息もできないほどに喉が詰まる。繰り返す腹の蠢きが徐々に上っていき、喉元に気持ちの悪い感触が留まる。最後の回し蹴りがトリガーとなり、咽喉元のそれが一気に溢れ出す。酸っぱい味が口に広がり、鼻を突き抜ける刺激臭にのたうち回れば、吐瀉物はまっすぐに僕の足元に零れ落ちる。


「うわ、汚ねえ」


「汚れる!」


 小太りの男はそう言って僕の腕から手を離した。背の低い男では支えきれずにバランスを崩し、僕はまっすぐに吐瀉物の上に膝をついた。胃液の臭いが充満すると、一同の顔がみるみる不愉快なものに変わっていく。


「汚ねぇんだよ!」


 小太りが僕を蹴飛ばした。最早抵抗する気力もない僕は、その些細な衝撃で一気に川へと吹き飛んだ。二重の視界がぐるりと一回転する。


 刹那、頭部に鈍い衝撃が走る。コンクリートに痛みを感じないほどに激しく打ち付けたらしかった。つむじのあたりを生暖かい液体が流れる。半分潰れた右目を上に向ければ、森田たちが只ならぬ雰囲気で立ち尽くしていた。


「お、俺じゃないからな」


森田が叫ぶ。


「そうだ、俺たちは悪くないぞ!」


 背の低い男が同調して駆け出した。ずっと大人しかった華奢な男も悲鳴を上げて逃げていく。最後に小太りの男が逃げ出した。


 川に流れる生暖かいものが、僕の意識を遠のかせる。ヘドロの香りと定まらない視界が、緑の天蓋をしっかりと捉える。吐瀉物まみれの膝まで水が通り抜けていく。頭を上げて立ち上がることもできない。コンクリートにべっとりと着いた血の跡は鮮烈な紅色をしていた。


 遠のく意識が三匹の子牛を荷馬車に乗せて連れて行く。豚小屋の臭いが微かにして、こうしがほくそ笑む。


「ざまぁみろ」


 最期に聞こえたのは、偉大なソロモンの一週間だった。

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