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特定死亡者に対する異世界転生の特例に関する法律

 ラビンスキーは見知らぬ建物の中で目を覚ました。両手をひじ掛けで拘束され、身動きが取れない。真っ先に腕を見た彼が次に目を向けたのは目の前の光景だった。

 部屋の中央にあるレバノン杉製の頑丈そうな机の上はよく整頓されていて、右手には本立てが乗っており、分厚い本がいくつか並べられていた。左に目を向けると彼のよく知る事務室同様に大量の書類が積まれているが、かどをぴっしりと揃えられて無駄がない。机越しには彼と椅子が向かい合う形で置かれ、扉の様なものがある。部屋を見回すと不気味な蜘蛛が天井に巣を作り、赤茶けた壁にはびっしりとガラス張りの棚が並べられている。拷問用の茨の冠や巨大な武器立てに斧槍や刃先の丸い斬首用の剣、ファラリスの雄牛などが見せしめのように並べられている。


 ラビンスキーは日本という場所が本当は恐ろしい場所だったのだと震えあがった。あれらの器具を使ってまで、外国の情報を聞きたいに違いなかった。何とか脱出を試みるが、真鍮製の手枷はびくともせず、ひじ掛けに吸い寄せられるような重力が彼を襲う。言葉にできない恐怖と絶望のどん底で、彼は扉の開くを音を聞いた。


「お待たせいたしました、今手枷の方解除させていただきますね」


 よく響く高めのテノール声で放たれる、丁寧な口調は、竜のような姿をした怪物のものだった。ごつごつとした岩肌を思わせる表皮で、不格好な背びれを避けるようにワイン樽を背負っている。顔にはちょっとした髭があり、指は五本だが親指に相当する指がなかった。怪物は丁寧に手枷の解除をすると、さっさと向かいの机に座った。

 あまりの驚きに声を出せないラビンスキーに対して、怪物はにこにことしながら周りに浮かんだ腕に赤ワインを注がせる。


「お疲れ様です、ラビンスキー様。わたくしソロモン72柱は大総裁、48番のハーゲンティと申します。以後、お見知りおきを」


 机の上の資料を軽くあさりながら、ラビンスキーに丁寧に呼びかける。一方、冷静さを取り戻し始めたラビンスキーは、身を窄めながらも軽い会釈をした。


「あぁ、いえ、そんなに緊張なさらずに。周囲の拷問器具は辺獄に来た亡者に対する軽い脅しですので、ラビンスキー様につきましては、ご心配なさるものではありませんよ」


 ハーゲンティはお望みの資料を見つけて机の上に出し、ラビンスキーと見比べながら頷いている。ラビンスキーの混乱をよそに、ハーゲンティは一人納得して次々と資料を取り出し始めた。


「えぇっと、その、ハーゲンティ、さん?私は死んだんですか?」


 ラビンスキーの問いかけに対してハーゲンティはゆっくりとうなずき、左の資料からカラーのマニュアルを差し出した。


「ご安心ください。貴方はこちらの『特定死亡者に対する異世界転生の特例に関する法律』第3条12号の規定を満たしていらっしゃるので、ご希望であればこちらで異世界転生の手続きの方をさせていただきます」


 ラビンスキーが困惑しながらマニュアルを受け取り目を通す。そこには「特定死亡者に対する異世界転生の特例に関する法律のご案内。」と書かれ、ページを一枚めくると目のいたくなる条文がずらりと並んでいた。ハーゲンティはにこにこしながらマニュアルの中にある言葉の解説を済ませ、ラビンスキーはやっと現在の状況を理解した。


「つまり、私は事故で飛んできた車の破片で死亡したので、異世界転生を特別に認容する法律要件を満たしているわけですね?」


 彼が恐る恐る訊ねると、ハーゲンティはとてもうれしそうに大きくうなずいて、インクと羽ペンとともに関係書類を差し出した。


「ご希望であればこちらに必要事項をお書きください」


「あの、何故、異世界転生が『特例として』認められているんですか?」


ラビンスキーは関係書類を受け取りつつ、上目遣いで訊ねた。ハーゲンティは髭をいじりながら、天井を仰いで息継ぎをすると、酷く低い声で語り始めた。


「あなたの住む世界でも、どの世界でも、問題というのは山積しています。この地獄でも堕ちる人間があまりにも多く、地獄の自動拡張機能が追い付かないほどに苦役を待つ人々が送り込まれるという問題を抱えております。煉獄の方に行かれる方は基本的に善人ですし、人間誰しも欲に負けて散々な不和を招くものでありますので、いよいよキャパシティが限界を迎えてしまいました……」


 ハーゲンティは首を横に振り、悲哀の表情を浮かべる。その後机に肘をついて頭を抱えつつ、大きな溜息を吐いた。


「片や現世では次々と死にゆく人々や、極端に子供を産みたがらない人間の増加など、人口減少が著しい世界や地域があるのです。これを放っておいたら、当然その先にあるのは破滅。片やキャパシティ越えによる財政破綻……。我々悪魔たちの管理機関、全柱連(全国ソロモン柱連合議会)会議はこのような懸念事項を解決するべく、人口減少著しい世界に対して、特定の監視の下で一定の水準を満たした夭折者たちを異世界に転生させる特例を設けたのです。……どうでしょう。貴方もぜひ異世界で再び生を受け、余すことなく余生を全うしていただけないでしょうか……。我々から出せる条件はマニュアルのとおり、これまでの記憶と年齢の継承、職業案内のサポート、および転生先の選択権の付与です」


 ラビンスキーはひどくいたたまれない気持ちになり、羽ペンにインクを付けた。ハーゲンティの顔が晴れ、天井の蜘蛛も祝福するようにかさかさと動き回った。必要事項の記載を行ったラビンスキーは、転生先欄でペンを止めた。ことり、羽ペンは音を立ててインク壺の中に収められた。


 一つ小さくため息を吐いた彼を見て、ハーゲンティは急いでいくつかの資料を引っ張り出した。そこには人口配分や資源、合計特殊出生率、気候などが記載されていた。ラビンスキーはそのすべてに目を通す。それに従ってハーゲンティは異世界に関する解説を始めた。


「……そこは冷害による飢饉、そこは青年が戦争に徴兵されるため、そこは極端に高い結婚税と所得税のため……そこは疫病、そこは……義援金をまともにもらえなかった勇者が暴動をおこしまして……」


 ラビンスキーは次々と資料に目を通していく。ラビンスキーの希望するような異世界は、その候補の中にはなかった。ラビンスキーは小さくため息を吐く。ハーゲンティも悲し気に膝に手を置いた。


「やはり、人口減少をするには、それなりの理由があるのですね」


 ラビンスキーがポツリとつぶやくと、ハーゲンティは何も言わずに祈るように手を合わせた。その様を見たラビンスキーはもう一度最初から転生先の資料を眺める。


 暫くするとその手が止まり、あ、と小さく声をこぼした。ハーゲンティは期待のまなざしを向ける。ラビンスキーはその異世界の名前を書き込んだ。


「……トール・クメット・オリヴィエス、通称オリヴィエス。曰く、過密化・過疎化問題を抱えた異世界」

 ハーゲンティは深く礼をした。頭が机にぶつかって、軽く頭をさする。その顔を上げたハーゲンティが見たのは、静かに微笑むラビンスキーの姿だった。

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