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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
一章 都市衛生問題
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酔いと問答のペシミズム2

 フラスコの中にいる生物は動いているらしい。ラビンスキーは時折それに目を向けつつ、案内された接客用の机に座る。ユウキはその様子に疑問を持つでもなく、フラスコの中を見ながら何かを記録している。


「まず、技術的なものをひとつ」


 ルシウスはガサガサと紙の山を漁り、何かの設計図を引っ張り出した。そこには、二つの穴と木の板が記されていた。


「じゃーん、トイレ」


「トイレ、ですか」


 ラビンスキーが聞き返すと、ルシウスが嬉しそうに頷く。ラビンスキーは再びそれに目を向ける。二つの穴と、真ん中に仕切りのように置かれた板。どこにでもある子供の作った罠の様なものだ。


「この板を下ろすと、左の図のようになります」


 左の図を見ると、板が下ろされて片方の穴が閉ざされていた。さらに左の図には、もう片方の穴が閉ざされている図が書かれていた。


「この板が蓋になっていて、片方の穴をふさげるようになっている。そして、片方の穴が一杯になった後、こちらの穴をふさぐともう一つの穴が顔を出す仕組みになっている。便には水分が少なからぬ量含まれていることは、動魔法の実験で証明済みだったから、放置すれば自然と水分が抜けて、かさが減る」


 ラビンスキーは何処かで見たようなそれを再度確認すると、眉を顰めた。


「いくつか質問はいいですか?」


 ルシウスは首をかしげてみせる。


「どうぞ」


「排泄物というものは放置するとガスが発生するんですが、火気等による爆発などの対策はありますか?」


 ルシウスは目を丸くした。紙がくしゃりと鳴る音がして、机の上に置かれたフラスコの生き物が動く。ルシウスの顔は驚きから興奮に変わっていく。ラビンスキーは見る見るうちに前のめりになるルシウスに気おされて、背もたれにもたれかかるように後ずさりする。


「ガス……?瘴気……?爆発するの?実験したいなぁ」


「面倒ごとはやめてよ」


 ユウキが厳しい口調で言う。ルシウスは心底がっかりしたように項垂れた。


「……はぁい。でもそうか、爆発は一大事だねぇ。定期的に回収できる機構を作った方がいいねぇ」


 ルシウスは腕を組み、設計図の紙をしばらく眺めた。設計図には二つの穴と板が書いてあるだけで、特別な機構はない。暫くそうして黙っていると、遠くで書籍を弄んでいたユウキがポツリと呟いた。


「そもそも普及するのかな」


「しないでしょ。臭いし」


 ルシウスはそう答えつつも設計図を見ながら何やら考え事をしているらしかった。ラビンスキーは何となく手持ち無沙汰に部屋を眺める。狭い部屋を照らす蝋燭の火は、獣脂特有の嫌なにおいを放ち、古書の匂いと混ざりあっている。床に放置された大量の書籍は、頁ごとにルシウスが追記したと思われる小さな紙きれが挟み込まれている。ユウキのいるあたりは書籍が退けられており、床を丸ごと窺うことができた。白い壁にはそぐわない剥げて赤茶けた床には幾つかの傷が見られる。


 ラビンスキーがぼうっとその様を眺めている間に、ルシウスがペンを取る。設計図にサラサラと何かを書き込んでいく。その間を稼ぐようにルシウスは話し始める。


「……昔は、西の方も綺麗だったんだ」


「何かあったんですか?」


「人が増えすぎちゃってね。豚の数は減ったのに、人がどんどん都市にやってくるんだ。そうなると、当然だけど排泄物が除去できないだろう?最後には、この町みたいになっちゃうんだ。もっとも、ここはもとから豚が住んでなかったからさ、状況の悪化の速度はさらにひどいよね」


 ラビンスキーははっとして、何かを言おうとした。ルシウスがそれを遮るように続ける。


「豚を都市に放り込めば、解決するのかなぁ。もっといい方法があればいいけどね」


 そういったルシウスは丸めた設計図をラビンスキーの手に押し付ける。ラビンスキーは困惑気味に、されるがまま受け取る。ルシウスは再び別の紙を引っ張り出した。


「あとはねぇ、こんな処分方法も考えたんだけど」


 ラビンスキーが紙を確認する。小さな正方形の紙切れに、簡単な地図と何かの計算が記されている。地図はムスコールブルクから周囲にある土地の名前と距離が書かれているらしかった。地図を一通り確認した後で、ルシウスは計算を軽く目で追う。それが時間の計算であることを確認した。


「この町から周囲の農村までの集落、人糞を堆肥にすれば、いい栄養になるからね。ただし、この辺の人たちはお堅いから、人糞であることは隠さないといけないけどね」


「要は、この農村に肥料として輸送するということですか?」


 ラビンスキーは紙から目を上げて尋ねる。ルシウスは嬉しそうに頷いた。


「そう。少ないだろうけど金や物に換えて、その報酬で町の乞食たちに糞を集めさせて、さらに金に換える」


 ラビンスキーは裏返した紙に視線を下ろす。非常に詳細に特産品などが記され、その値段も書かれている。その下には、物ごとに、細かい文字で収支予測の様なものが書かれていた。


「金にはなるんですね」


 ついラビンスキーが呟くと、ルシウスは首をかしげて見せる。すると、ルシウスの首に隠れていた太陽の光がラビンスキーの目にも届くようになる。その光は机上のフラスコに光を反射させていた。


二人の影の重なる小さな隙間を、海面に反射するような光の軌跡が映る。かすかな光が机の上の書類ごと照らすと、書類に海面が浮かび上がり、くっきりとした汚れが露わになっていた。ラビンスキーが机上の書類に視線を移す。


「まぁ、多少はだけどね。季節によってはできないし。処分の方法としてもう一つの案がこれ」


 ムスコールブルクの郊外に大きな建物が書かれている。糞を集め、飼料と混ぜて餌にして、養豚場を作るという旨のものだった。ラビンスキーは頭の中で算盤を弾く。


「これはここまでの最終段階ですね……まずは農村に肥料や飼料として売ることを前向きに検討しましょう」


 ラビンスキーが書類に目を下ろしながら答えると、ルシウスはつまらなさそうにため息を吐いた。ラビンスキーが目を上げる。ルシウスは馬鹿にしたように微笑みながら、眉をひそめている。


「うん。役人らしい答えだね」


「あ、失礼……」


 ラビンスキーは失態を犯したのかと思い、とりあえず頭を下げた。しかし、ルシウスはなんでもなかったように書類を丸め、ラビンスキーに差し出した。くすんだ薄茶色の羊皮紙を三つ手に持ち、ラビンスキーは申し訳なさそうにルシウスの顔色をうかがう。


「あの……」


 ルシウスは何かを懐かしむように目を細め、フラスコの方をちらりと覗き込んだ。プカプカと浮かんだ胎児の様なものが、フラスコを弱々しく蹴る。光に照らされたその様を、後光を集める如く、薄い皮膚の向こう側がほんのりと見えて、ラビンスキーには直視ができない。窓の向こうの中庭には、女性のものと思われる像が建てられていた。


「ふふん、昔のことを思い出しただけさ。ささ、挨拶はいいから。ユウキのお友達をもてなしただけだからねー」


 ルシウスは機嫌よさそうに笑う。ユウキが小さくため息を吐いたのを、ラビンスキーは見逃さなかった。


「はい……」


 ラビンスキーは困惑しながらなんとか微笑む。ルシウスが椅子から立ち上がると同時に、ラビンスキーは立ち上がり、握手をする。ルシウスの手はひどく冷え切っていて、青白い血管が益々浮かび上がって見えた。


「それでは、失礼します」


「あ、待って」


 ラビンスキーが頭を下げて扉へ向かう最中、ユウキが部屋の隅から手を伸ばしてラビンスキーを止めた。書籍の山から足場を探しながらラビンスキーに近づく。ラビンスキーは何事かと目を丸くしている。ユウキはラビンスキーのもとに来ると、上目遣いにラビンスキーを見た。


「お見送りします」


「あぁ、有難うね」


 ラビンスキーはドアノブを捻って扉を開ける。ルシウスは扉越しの蝋燭のあたりに焦点を当てつつ、小さく手を振った。ラビンスキーは去り際にもう一度頭を下げて、その場を後にした。



 長い廊下は相変わらず閑散としており、時折扉の向こうから聞こえる笑い声は、乾ききった男の声ばかりだった。ユウキとラビンスキーは隣り合って歩いているが、重厚な壁に押しつぶされそうな雰囲気が漂う。気まずさを紛らわすように二人は他愛のない話をするのだが、年も生まれも異なる二人の話がはかどるはずもなく、時折会話が途切れる。ほんの数分の移動時間が、酷く長く感じられた。


 玄関の扉を開くと、いよいよ見送りも最終段階、数段分高い大学の建物から、広場の景色が陽光に照らされて輝いて映った。


「じゃあ、ルシウス教授によろしく」


「うん」


 ラビンスキーは異国情緒あふれる白塗りの柱の狭間から階段を下り始める。ユウキが焦って大きな声を出した。


「あ、あの」


「う、ん?」


 ラビンスキーがふり返ると、ユウキは少々緊張したように背を伸ばし、広場の喧騒に負けないように声を張り上げた。


「今晩、お食事でもどうですか!」


 ラビンスキーは思わず変な声を上げる。ラビンスキーが放心したように黙っていると、ユウキは項垂れて踵を返した。ラビンスキーは慌てて手を伸ばす。


「まって、待って。いいんだけど、いいんだけど。私、まだ初任給ももらってなくて」


 ユウキは振り返り、遮るように答えた。心なしかいつもより声色が高い。


「奢ります。大丈夫です」


「うん、じゃあ、仕事が終わったら、ここで、また」


 ラビンスキーは微笑んで見せた。ユウキははい、と答え、深く頭を下げてから、再び踵を返した。

 二人は各々の場所に帰り始めた。雑踏の中に消えていくラビンスキーも、白塗りの禿げた壁の向こうに消えるユウキも、等しく速足であった。

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