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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
最終章 戦後処理
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調印式

 プロアニアの地に降り立ったラビンスキーは、先進的な同国の環境に思わず声を上げた。


 灰色にくすんだ首都ゲンテンブルク。プロアニアの北東に位置し、ムスコールブルクからは南西に進んで初めの首都となる。機械化著しいプロアニアであっても、外部との取引を無制限に容認している末端の村落とは異なり、ゲンテンブルクに来る者は国民のみであり、人の往来はムスコールブルクより少ない。至る所に灰色の煙を放つ煙突があり、無駄な装飾のない煉瓦の家々がひしめき合うように建っている。地面は簡単にならされており、大きな石は隅に寄せられている。馬車に紛れて時折通る人力車では、黒い紳士服の男が新聞らしき木片を手にし、難しい顔をしている。


 この町の娯楽は中心街にある奢侈品である紅茶やコーヒー、チョコレートを販売するコーヒーハウスくらいであり、本屋でさえ専門書ばかりが並ぶ。何よりもラビンスキーの気を引いたのは、洗練された小僧たちである。決して快活な者はいないが真面目そのものであり、街中でさぼる姿が殆ど見られない。終始曇り空の様なこの都市では、険しい顔をした技術者が粛々と作業をこなす姿ばかりがあり、ムスコールブルクの賑わいとは全く異なった、独特の雰囲気がある。工業都市を思わせる外観、商売人さえ笑顔よりも実利とコストパフォーマンスを重視するある種面白みのないゲンテンブルクに、ラビンスキーは目を瞬かせながら憂鬱な気分さえ覚えた。


「ゲンテンブルク……あらゆる技術のるつぼと呼ばれる街だが……。言論統制でもされているのではないかと思えてくるな」


 ロットバルトは静かに外観を眺めながら、エストーラとは違う硫黄の悪臭に顔を顰める。ラビンスキーは移り変わる「代り映えのしない」景色を眺めながら、「はい」と短く答えた。町の中心街にあるコーヒーハウスの窓には、木簡を手にコーヒーを啜る紳士たちの姿が見える。二人を乗せた馬車は王の城すら見えない霧の中を、まっすぐ突き進んでいく。教会の高い尖塔が霧を被って町を見下ろす。鐘の音はエコーがかかったように何度も煙を震わせた。



 王城も又、飾り気のないものであった。エストーラの城が堅牢な要塞であるならば、平屋建てで背の低いこの建物は工場の様相を呈する。収容所の様な冷たいゲートをくぐった先にあるのは、庭というよりは駐車場という方がしっくりとくる広場に出る。馬車はそこに停められ、ラビンスキーは初めてゲンテンブルクの土を踏む。その際に彼は初めて硫黄の匂いが漂う霧をじかに纏い、むせ返った。


 城門ではダイアロスの立像が出迎え、既にロイ王と皇帝の馬車も停まっている。ラビンスキーはロットバルトの後ろにつき従う。


(いよいよ、戦争が終わる)


 もはや大勢は定まっている、あとは書面にサインをするだけだった。主が不在の王城の前では、宰相をはじめとした、各大臣が出迎える。ラビンスキーは深呼吸をする。


「……お待ちしておりました。ロットバルト卿。私は代表……フリック王の弟であるウィルヘルムと申します。現在は兄王の下で陸軍総司令官をしております」


 ロットバルトは差し出された手をしっかりと握る。ロットバルトをプロアニア唯一の味方と断じるウィルヘルムは、彼女の手をしっかりと握る。憔悴しきってクマもあるが、体格のいいウィルヘルムのごつごつとした手による握手は、ロットバルトが驚くほど力強かった。


「こちらこそ、今後の為に最善の選択をしましょう」


 ウィルヘルムが微妙な表情を見せる。彼は兄王の残した優秀な家臣たちを従えて、飾り気のない城に指先を向けながら「どうぞ、ご案内いたします」と言う。ラビンスキーは黙って案内されるロットバルトに沿い従う。自分が何かをする訳でもないのに、いよいよ緊張感が高まってきた。



「おや、ロットバルト様、遅かったではありませんか」


 会場へ到着して開口一番にロイ王がにやついて言う。ロットバルトは顔だけで笑って返した。


 会議室は綺麗なもので、白いテーブルクロスと巨大な燭台が四席ごとに一つ置かれている。従者が最も少ないのはロットバルトであり、皇帝は背後からの襲撃に備えるように警備兵を常に背後に付けていた。ロイ王は高級官僚や家臣は連れていなかったが、身辺を整える使用人を複数人引き連れている。会議室に到着しても彼らは着席せず、綺麗に掃除された部屋の隅に立っている。ウィルヘルムが下座に座すると、列強四国の首長が一斉に椅子をずらす。皇帝は外側に、ロイ王は内側に。ウィルヘルムが一つ咳払いをした後、敗戦国らしからぬ自信に満ちた声であいさつを始めた。


「まずは、ようこそプロアニアへ。私が先王の弟、臨時の王として列席させていただくウィルヘルムと申します。今回の調印式では、簡単な内容確認の後賛否を伺いまして、最後に代表者様から署名・捺印を頂きました後に、閉式とさせていただきます。では、宜しくお願い申し上げます」


 四首長が会釈する。席に着く王族一同に紛れて、ラビンスキーは静かに成り行きを見届ける。一拍おいた後に、ウィルヘルムは続ける。


「では、今回の条約について内容を確認いたしましょう。……えぇ、『第一に、正統主義の原則にのっとり、エストーラ・ハングリア大公国、カペル王国、ムスコール大公国、プロアニア王国(以下締約国)は相互協力と発展の精神に基づき、相互にその主権を尊重する。第二に、締約国は相互平和と内政不干渉を善しとし、その理想を達成するべく勢力の均衡化を図る。具体的にはエストーラ・ハングリア大公国、ムスコール大公国、プロアニア王国は緩衝国の領土を分割、カペル王国はエストーラ王子マックスのブリュージュ王妃との婚姻を容認、他三国はカペル王国の対立教皇を正当なる教皇として容認する。第三に、此度の戦争責任について、プロアニア王国は賠償金を負わない代わりに、エストーラ・ハングリア大公国への無償での高射砲・機関銃の提供、カペル王国への聖遺物25個の提供、ムスコール大公国への技術交流を容認する。第四に、付則として、この条約の効力は調印から十年間有効とし、契約違反の場合には他締約国の処分に従い強硬措置を取ることとする』以上、反対意見があれば挙手をしてください」


 手を挙げる者はいない。ウィルヘルムが安堵の溜息を吐くと、ロイ王が口を隠して笑った。皇帝の咳払いを受けて、ロイ王は「失礼」と短く言う。プロアニアの家臣たちが思わずざわつくと、ろうそくの炎がゆっくりと揺らいだ。ラビンスキーが何気なく下を向くと、赤い絨毯が敷かれた机の下で、ロットバルトが音を立てないように地面を蹴っていた。彼はその絨毯だけ軽く埃が舞ったのを見て見ぬふりをする。前だけを向くロットバルトの心中を察して前を向くと、たまたま皇帝と目が合う。皇帝は例の如く軽く微笑む。ラビンスキーも軽く微笑んで返した。


「反対無しという事ですので、調印に映りたいと思います。調印のためご起立願います。こちらにご署名をお願いいたします」


 首長が立ち上がる。ロットバルトが真っ先に立ち上がり、続けて皇帝、最後に召使の力を借りながらロイ王が腰を上げる。ウィルヘルムが署名の後立ち上がり、ロットバルト、ロイ王、そして皇帝が署名をする。流暢なサインをする三人と比べて、ロイ王のものは若干右上がりだった。


「はい。これにて、終了となります。本日はお集まりいただきありがとうございました。それでは、これよりささやかな……」


 皇帝が言葉も聞かずに会場を後にする。ウィルヘルムが言い直そうとすると、ロイ王はロットバルトに耳打ちをして聞く耳を持たない。ロットバルトがそれを軽くあしらうと、ロイ王はニヤリと笑って会場を後にした。後に残った二人の首長は、突然寂しくなった会場で自虐的に笑う。皇帝は技術を確認するためにここを会場に設け、ロイ王は調印のためだけにこの場所を訪れたのだと思い知らされた。


「どうかお気を落とさないでくれ、ウィルヘルム陛下。あの二人はああいう人種なのだ」


「えぇ、分かっていますよ。ロットバルト卿、どうか今回の祝杯を酌まれてはいただけませんか?」


「……えぇ、勿論。この上ない福音です」


 ラビンスキーは黙って深く礼をする。ウィルヘルムはそれにさえ丁寧に対応してくれた。調印式の後には濁流に飲み込まれそうな、小さな橋が架かった。

 次回、最終話です。長らくの御愛読、誠にありがとうございました。

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