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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
最終章 戦後処理
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夜鷹の夢

 陰鬱な鳥の鳴き声が響く城内に、国賓が休むための個室がある。今そこに眠っているのは貴族ではなく、年端も行かない少年だった。私はその前で背中を丸める男の姿を認め、近づく。どの部屋もそうだが、この城はとても暗い。皇帝は徹底的な経費削減を行なっているらしく、吝嗇を美徳とする点は他の貴族とは一線を画している。屋根付きのベッドも長らく使い古されており、シーツは日に焼けて黄ばんでいる。上衣掛けには到着から変わらず白衣が掛けられている。窓も小さく、これでは南側に作っても日が当たることはないだろう。


 もっとも、これらの事情は決してこの国が我が国よりも劣っているという証左ではない。この国は元来要塞都市であり、異教徒との戦いの最終防衛ラインでもあるのだ。城のいたるところに散見される古くから連綿と繋がれる古典的な法陣術は丁寧に管理されており、堅牢な城壁と秘匿された殺人孔、尖塔の火砲など、この城を攻め落とすことを困難たらしめる工夫は枚挙にいとまがない。


 それでも背中を丸めた男があまりにも関心を示さなかったのは、それらの魅力的なものよりも重要なことが目の前で起こったからなのだろう。皇帝の侍医よりも長く、的確に治療を行うその男は、ここのところ全く眠れていない。それらの事情が重なったためか、私がその男の後ろに立っても、一向に気づく気配もない。


「いい加減休め。もう峠は越えたのだろう?」


私が諭すと、その男は振り返った。眼鏡越しに大きなクマを作り、くたびれた表情で微笑む。


「兄さん」


「お前の気持ちは痛いほどよくわかる。私がもっとしっかりしていれば、もしかしたらユウキは足を失わずに済んだかもしれない。あの時気絶していなければ……」


「歴史にイフはないよ……これは単なる僕のけじめだ」


 ルシウスは疲れた笑みを返した。私は手頃な椅子に腰掛け、背中越しに隠れていたベッドの中を覗く。もともと白い顔が真っ青になっており、唇も乾燥している。その傍らには少女が祈るように手を合わせて眠っている。


「後悔しているのか?お前らしくもない」


「後悔なんてしていないさ。的確な判断だったよ。ただ、その代償はとても大きいというだけだ。僕は送り出した手前、彼に報いる義務がある、そう思う」


 ルシウスの嗄れた声は、一頻り泣いた後のものだろう。延々と看病しながら涙を流す姿を考えると、心にくるものがある。私は布団の乱れを整えながら、「そうか」とだけ呟いた。


「兄さん、確かに面白い技術はたくさん見れたけれど、戦争ってなんだろうね」


「私にとっては、戦争は交渉の効かない相手への最終手段だと思っている。だから、このような結末があるからこそ、本当は忌避されるべきなのだろう」


 人間を機械のように扱うプロアニアにとって、私の思想は受け入れ難いものがあるだろう。ルシウスにとってはもっと論理的な回答の方が相応しいかもしれない。ゆっくりと流れる時間を邪魔する喧しい鳥の群れ。両翼をいっぱいに広げて飛び立つ姿は、人からすればひどく羨ましく映る。


「とても合理的だ。自国の目的を果たし利益を最大化させるために武力を持って対象国に圧力を加えること、と言うべきなのかな」


「ルシウスは結婚しないのか?」


 ルシウスが鼻を鳴らす。


「それ、今聞く?」


「今だからこそ、聞くのだ」


 ルシウスはユウキに視線を送る。父親が眠る子を見つめる時のような、優しい眼差しだ。


 私は見誤っていたのかもしれない。ルシウスは決して孤独を望んでいるわけではないのだ。ただ、自分が多くの人に受け入れられないと思っているだけなのだろう。大切なものを傷つけてしまった今の彼ならば、もう一歩、踏み込んだ話ができるかもしれない。そう思った。


「妻はいらないけど、子供は、ちょっと欲しい、かも」


「なぜだ?」


「子供は知らないうちにどんどん変わっていってしまう。僕の予測できないような速度で学び、いつの間にか大人になっていくんだ。それが……うん。とても、興味深い」


 言葉を詰まらせたのは、別の言い方を思いついていたからかもしれないが、本当に相応しい言葉がわからなかったからかもしれない。そうした模索は、専門外の質問をされた時のルシウスにはよくあることだった。


「それについては、ユウキに先を越されたりしてな」


「姉さんも、そろそろ素直になっちゃえばいいのに」


 ルシウスが意地悪な笑みを浮かべる。私は突然顔が火照ったのを感じ、顔を振る。ルシウスがくたびれた笑い声をあげた。


「とにかく、ユウキについてはあまり気負わなくていい。戦争には、どうしても犠牲が付きまとう」


「あ、話を逸らした」


「は、話を戻しただけだ!」


 ルシウスはくつくつと笑う。普段からよく笑う子供だったが、こうして長く語らうのは久しぶりかもしれない。私もなんとなく顔が綻んだ。


「……ユウキ、ちゃんと泣いてくれるかな」


「む?」


 私が聞き返すと、ルシウスは布団をかけ直しながら続けた。


「彼は多分死んだ時に笑っていたんだ。だから、ちょっと不安なんだよね。これからちゃんと生きていけることを喜んでくれるかが。脚も無くなって、右目も治らなくて、僕の世話とか、しなきゃいけないって思うかもしれないし。ほら、凡人って生きるのが辛いんだろう?」


ルシウスは真剣な眼差しだった。光のない瞳でユウキの顔を見つめ、苦しそうに眉を顰めている。普通ならば激励するのが正しいのだろうが、ルシウスに関してはそうではないことが、なんとなくわかっている。


「本人に聞いてみるしかないな?」


「確かに、ごもっとも」


 ルシウスは大きな欠伸をした。連日の疲労の為もあるだろう、私が瞬きをする間にそのままいびきをかいて眠り出した。私は上衣をかけてやり、自室に戻ることにした。

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