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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
最終章 戦後処理
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蜘蛛の行く末2

 新たな教会を作る、荒唐無稽ともいえるロイ王の計画は、今回の戦争を経ていよいよ現実味を帯びてきた。花の都ペアリス、羊毛とワイン、膨大な魔導書、肥沃な土壌と巨大な領土、万物を有する最強の国家と言われる、西の最大勢力……。教会という精神的領域への拡大を含めれば、文字通り最強の国になる。ブリュージュを譲るとまで言ったのは、直ぐに取り返せるという安心があったから、ともとることが出来る。ラビンスキーに限らず、この要求を飲んだ皇帝を除いて、一定の危機感を感じていることは容易に想像できた。皇帝の書斎で件の豆料理を食べる一同は、料理の味が薄いことが気にならない程に、今後の国際秩序への対応を考えていた。


「黙認する……という事は、全面的に推し進めるわけではない、という事ですね?」


 ロットバルが言う。彼女は綺麗に豆料理を食べながら、薄めたワインには手を付けていない。貴族としてのプライドなのか、それとも純粋に口に合わないのか、ラビンスキーには判別がつかない。皇帝は食事の手を止め、口を拭う。


「無論だよ、ロットバルト卿よ。君たちは協力しても構わないよ?俗語聖典の件もあるのだろう?」


 皇帝が何を知っていても、最早驚かない。ロットバルトは回答に窮し、視線を下す。ワイン越しにロットバルトを見定める皇帝は、軽く口を湿らせると、グラスの底を机上のナプキンで軽く拭う。この書斎は会食をするには狭い空間だが、中央のテーブル部分だけは埃は丁寧に払われており、少なくとも皇帝が直近で利用していることはよく理解できる。書棚の本も何度か出し入れされているであろうことが分かる。それでも、書棚の上には埃の塊が確認できた。


「……そう怪訝そうな顔をするな。余は特別その判断を否定しているわけではない。答えに窮しているに過ぎない。何せ我々は、教会の守護者だからね」


(そうか……皇帝は鞍替えをしてもかまわないが、領内の心配をしているのか)


 エストーラは正確に言えば帝国の一領土に過ぎない。多数の領主を有する神聖なる帝国、その皇帝であることと、エストーラの領主、即ち大公であることは厳密には別の事情である。付言すれば、プロアニアもエストーラ同様に帝国の皇帝選挙権を持つ(これを持つ領主を選帝侯という)という意味では、その勢力圏に入ることになる。それ故に、この皇帝はブリュージュの獲得にめどがついたところで、ひとまずカペラとの対立を鎮静化し、帝国内での地盤の盤石化に徹しようと考えたのかもしれない。


 ラビンスキーは気まずそうにワインを取る皇帝に視線を送る。その視線に気づいた皇帝は、気さくに眉を持ち上げて見せる。既に自身の小心を見られている手前、ラビンスキーには威厳ある態度をとる方が得策ではないと感じているのかもしれない。この書斎は沈黙すると益々暗く侘しい。よく言えば非常に機能的な部屋の隅には積み上げられた紙を丸めて捨てるゴミ箱がある。部屋で最も存在感のあるそれは、皇帝が外交を苦手としているらしいことを何となく感じさせる。ラビンスキーは思い切って訊ねてみることにした。


「皇帝陛下、僭越ながらお尋ねしてもよろしいでしょうか」


「許す」


 皇帝は水で薄めたワインを軽く混ぜる。あくまでロットバルト卿へのパフォーマンスだろう。ラビンスキーは胸に手を当て、跪く時と同様に頭を下げた。


「教会とカペラ、どちらが恐ろしいですか?」


 ロットバルトが思わず顔を顰めた。高慢な皇帝を侮辱するような質問であり、当然の反応だろう。しかし、皇帝は「意外にも」ロットバルトを制止して、小さくため息を吐く。乾燥した唇を再度ワインで湿らせると、ロットバルトと向かい合ったままで、吟味するように答えた。


「教会の求心力が低下しているのは事実。このままペアリスが権力を握るのは素直に恐ろしいよ。だがね、成功するとも限らない者よりは、現在の権力に一旦与するように見せることが肝要であろう」


「ならば、こんなのはどうでしょうか?」


 ラビンスキーに初めて視線が集まる。ゴミ箱に積み上げられたものは恐らく書簡であろう。皇帝は小心者であるが故に、帝国内部の地位の盤石化に徹底しようと画策する。プロアニアを選帝侯から外すか、あるいは自己の勢力圏に置くことも視野に入れている。しかし一方で、プロアニアをあえて残すことで、ペアリストの緩衝国を残し、いざ対戦となった際にはエストーラ側の出費を最小限にするという思惑を最善と考えている。あの老いた外務官とともに行った交渉では、その姿勢が現れていた。あの書簡には、それらを可能にするべく各選帝侯に送った何らかの要請である可能性が高い。例えば、息子、娘を通して自分の種を蒔いた各選帝侯への、次期皇帝選挙に関する要請であるとか。


(ならば)


 ラビンスキーは手を組み、三人の注目を集める。ゴミ箱に積まれた紙が崩れる。獣脂製の蝋燭の独特な臭いと埃っぽい空気が混ざり合う。南側にとられた窓からは、妖艶な月明かりが差し込む。差し込んだ月光を映すのは、皇帝の威光ではなく、ただ埃だった。


「正統主義と勢力均衡。私からの提案は、カペル、エストーラ、ムスコールブルク、プロアニア。敢えて争える戦力を分割することです」


 皇帝の希望はあくまで権力の維持である。そして、ムスコール大公の希望は教会権力からの破門の会費と西方文化の獲得、そしてプロアニアの希望は他国勢力からの防衛、ペアリスは教会権力の獲得と自国の富の最大化。つまり、ひとまずペアリスが侵攻しづらい状況を作り、ムスコールブルクはエストーラやプロアニアを通して西方の文化と交流をすることが出来ればよい。エストーラは国内での地位を盤石にできれば、ひとまずはブリュージュの先進文化と肥沃な土壌で被害を填補出来、マックスに帝位を譲ることも容易である。


「……ほう。やはり君は私と相性が良いらしい」


「もったいないお言葉を、有難うございます」


 「帝国の寝帽子」が重い腰を上げる。それを合図にして、一同は各々の部屋へ向かう。蝋燭を消すと、月光が妖しく埃に輝きを与えていた。

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