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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
四章 国際紛争
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約束

 自分の背中に背負ったものの重みに、圧し潰されそうになる。誰かが僕を傷つけるのに、僕の責任は問われなかった。たった数センチの誤差で、僕の右目は禍になる。どうやったて避けられないことだった。僕は禍から逃れようと足掻いたが、結局は成す術がなかった。自分一人守れない人間が、他の誰かを守れるのか?疑いはある。自分一人守れない人間に、世界のすべてを託せるのか?問う必要さえない。事実は複数あっても、答えは一つ。自由な人間は、選択できるわけじゃない。まして、選択しなくていい自由さえない。それは、他の可能性を捨てて、一つを選ばなければいけないという、残酷な数択でしかない。


 それでも、圧し潰されそうでも。僕はこの道を選ぶ。何もしてこなかった僕が、折角掴んだ数択だ。何度も遠回りして、ずっとずっと苦しんで、零れ落ちて、出会って、導かれて、追いかけて、助けて、慰めて、助けられて、ここまで来た。その選択が間違いであったとしても、それが無意味だったなんて、誰にも言わせない。全部、僕が選んだ道だ。だから、事実は複数あっても、答えは一つ。


「ここから先には、行かせない」


 アジ・ダハーカの両翼が羽ばたき、これまでに放出した毒ガスを僕に向けて蠢く。風圧と熱風で立っていられない程なのに、無慈悲に迫る毒ガス。難を逃れるには非力すぎる武具しか持たない僕に、あちらの注意を逸らせるはずもない。僕はアジ・ダハーカの目を狙って短刀を投げた。当然のように避けられてしまう。但し、頭上から飛び上がる小さな黒点を除いては。


「なっ……!」


 アジ・タハーカがふり返る。尻尾も動き、風圧で毒ガスは東へと逸れていった。黒点は流星の如く落ち、巨大な火薬を纏う剣をアジ・ダハーカの頭上に刺しこむ。それは巨大な呻き声を上げながら尻尾で地面をうつ。地響きに崩れそうになりながら、僕は短刀に括り付けた糸を引く。パイモンの魔法は蜘蛛に纏わるものが多いらしい。短刀は回転しながら僕の方向へ向かってくる。アジ・ダハーカの頭上の剣は何度も爆発を起こし、それに次々に苦痛をもたらす。内部で火種が連鎖し、爆発に爆発を重ねる。それに追い打ちをかけるように、戻ってきた短刀が暴れまわる尻尾に刺さった。僕はそれを思いきり引き、一気に外傷を与える。それは直ぐに塞がり、まるで意味をなさなかった。


「駄目か……」


 僕はアジ・ダハーカから距離を取る。体勢を立て直している間も、アジ・ダハーカの脳内は爆発でぐちゃぐちゃになっている。脳が壊れた先から復活するとしても、身動きを取れる状態ではないだろう。僕は何度も右目を切り替えて、それを確かめる。損傷によって真っ暗になった視界が何度も復活する。その度に、僕が映っている。僕はいつでも退避できるように周囲を警戒しながら、ゆっくりと後ずさりする。アジ・ダハーカが頭上を払う。彼は最後に爆発の衝撃を使って一気に戦車まで退避する。荒い息を立てるアジ・ダハーカの頭上から、雷を伴った曇天が繰り出される。


「小僧、小僧!やって、く、くれたな!戯れは終わりだ」


 プラズマが巨大な曇天から不規則にあふれ、僕めがけて閃光が迸る。彼が閃光が通過する寸前で僕を庇う。遅れて轟いた雷鳴とどうじに、ぷすぷすと嫌な音がする。自らの体を焦がしながらも、不敵に笑みを浮かべる。


「二度目はないよ」


「どうかな?」


 刹那、僕がふわりと空中に浮かぶ。訳が分からず暴れると、服に巨大な尻尾がまとわりついていることに気付いた。雷鳴と閃光によって視覚と聴覚を奪われた隙に、アジ・ダハーカは尻尾を背後にしのばせ、僕を柔らかく絡めとったのだ。一気に締め付ける力が強くなり、内臓が溢れるほどの圧力で口いっぱいに鉄と胃液の混ざった味が広がった。絞められた部分は即座に帯状疱疹の様な爛れを起こし、皮膚に服が触れるだけでも激痛が走る。曇天を引き連れたアジ・ダハーカはベリアルを腕で払い、僕をゆっくりと顔の前まで持ち上げる。爛れた腹が悲鳴を上げる。その度に圧は強くなり、脊椎がギリギリと歪な音を上げる。アジ・ダハーカの牙が目の前まで迫る。臭い唾液と毒の息で目は途轍もない痛みに開けられなくなり、鼻孔をくすぐる黄雲によって体中の感覚が麻痺を起こし、吐き気と頭痛は常態化した。


「ふん、よくやったと言いたいが。我が肉体の糧にするには些か小さい。残念だが、ここで死んでもらおうか」


「ぁ……ぁ……」


 息ができない。目は開けられない。腹ははちきれんばかりに締め付けられる。勝ち目がないことはわかり切っていたが、ここまで成す術がないとは思わなかった。必死に這い上がろうと足掻く間に、はやくも走馬灯が巡る。


 ルシウスの手、初対面から失礼な奴だった。乞食の僕を問答で言いくるめ、小遣いをやろうとして財布がないと気づいて、結局僕が路銀を稼ぐ羽目になった。本を見つけるたびに飛びつくからまるで貯金ができず、夜には読み書き計算と無駄な生物の知識をごく自然に叩きこまれた。ムスコールブルクの光景、ロットバルト邸は随分と立派なものだった。屋敷のスミダさん、生前は施工管理だったらしい。卿は温かく迎えてくれた。すぐに女だと疑っていたが、黙っておいた。あの人がくれたこっちに来て初めての紅茶に泣きそうになった。コーヒーは……この世のものとは思えない濃さだった。ギルドの人。初めは煙たがられたけど、いつの間にかパンを分けてくれるようになった。ラビンスキーさん、優しくて真面目、そのくせ変なところにこだわりがあって、意外と我が強い。ちょっと頼りないが、「大人」って感じだった。アツシ。狂人。あれはちょっと看過できない。ルシウスのそれとは次元の違う、本物の狂気だ。そして、モイラ……。


「ん?よくここまで上がってきたな。腹が出ているじゃないか。まぁよい。ほれ」


「あぁぁぁぁ!ぁぁ……」


 アジ・ダハーカはボタンでも押すように手軽に、自然に圧を強める。肉が立たれる音と、骨が切れる音がする。足が千切れ、膝から上が落ちていく。脚から零れたはずの鮮血が顔の上に落ちてくる。目を開けることもできないまま、地面へと真っ逆さまに落ちていく。


―ごめん、モイラ。やっぱり、約束は守れそうにないや。


「よくやったな、小僧。私に踏まれる栄誉をやろう」


 かさかさと音が鳴る。治癒魔法らしきむず痒さが膝辺り、千切れた部分に感じられる。モイラほどではないが、それなりに上手い治癒魔法だ。何とか目を開けると、ビフロンスが目と脚に治癒魔法を打ってくれていた。少し視線を移すと、腕を組み、蜘蛛の頭上に座するパイモンがの背中がある。背中には勝利を確信した者の威厳が感じられた。


「あまり無理なさらず、ゆっくり休んでください」


 ビフロンスが優しい声で囁く。彼になされるがままに任せる。


「ほぉ、雑魚が増えたか。ちょこまかと鬱陶しい」


 野太く、恐ろしい声が遠くから聞こえる。意識がゆっくりと遠のく中、パイモンの勝ち誇った声が聞こえた。


「ふん、精々言っておれ。攻略法も暴かれた貴様に、時間はそう残っておらぬ」


 視界が霞む。体中が優しく包まれるような感覚。ゆっくりと目を閉じると、激痛が分からなくなるほどに深い眠りに落ちた。

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