アジ・ダハーカ攻略戦2
魔術師たちの言葉に、一同の士気は一気に下がる。目に見えてたじろぐ兵士達を落ち着かせることは、ラビンスキーにはできなかった。
「ロットバルト卿……そんな……」
マックス王子が呟く。急激な高温でロットバルトの制止も判別が出来ない中、皇帝は静かに胸元で十字を切る。戦場はすすり泣く声でいっぱいになった。
「たわけ……。もう少しじゃ、辛抱せい」
パイモンは振り返ることもなく、死体を弄りながら言った。兵士には泣き止むものなどいなかったが、元々唖然とするばかりだった三人がパイモンの方を見る。彼女は死体をくっつけ、ねじり、切り刻み、骨がゴリゴリと動く。のたうち回る肢体は蜘蛛の糸で縛り止められ、すすり泣く声を消すように喚いた。まるで生きているようにしか見えなかった。
「そも、まだ死んだとは決まっておらんじゃろ。あれはしぶといぞ、戦闘能力は悪魔の中でも抜きんでておる」
「パイモン様、お答えください。辛抱せい、とはどういう事でしょうか」
ラビンスキーが跪き訊ねる。パイモンは乾いた笑いを上げるだけで、答えなかった。ルシウスが何か言おうと土塊から手を離す。足元に振動が伝わり、泣き声が悲鳴に変わる。魔術師の一人が叫んだ。
「これは、蜘蛛!蜘蛛です!ものすごいスピードで迫ってきています!」
「アジ・ダハーカを三秒足止めせよ!適任者はおらんか!」
高射砲に乗る男が手を挙げる。パイモンは首を横に振った。マックスも手を挙げようとしたが、ビフロンスの呼び出した死体がその手を掴む。数秒間の沈黙。成す術もなく立ち竦む人々の中から、一人が手を挙げた。
「ユウキ!?」
ラビンスキーがユウキに迫る。ルシウスがそれを止めた。ラビンスキーはルシウスを睨む。ルシウスは彼らしくない悲し気な表情で、子供を諭すように首を振った。
「根拠は?」
パイモンは低い声で問い詰めた。ユウキは答えをすらすらと述べる。
「悪魔と契約している人間でなければそもそも歯が立たないから、まずは二択だ。そして、ラビンスキーさんも、ビフロンスも戦闘能力は低いはず。すると、おのずと解は僕になる」
パイモンは鋭い目でユウキを睨む。
「覚悟はできているのか?」
ユウキは皇帝の映る向こう側を少し見た後、拳を強く握る。唇を噛みながら、パイモンから目を逸らした。パイモンはあくまで答えを待つことに徹する。再び沈黙が場を支配する。背中に何かを感じるように、しきりに皇帝の方を向く。その姿を咎めるものなど、誰一人いなかった。やがて深呼吸をしたユウキは、声を震わせながら答えた。
「覚悟はできていない。怖いに決まってるだろ」
「カカカ……そうじゃな、よく答えた。教えてやろうか、小僧。勇者が勇ましいのは必然、然し、本当に尊いものはそんな勇気ではない。まして、蛮勇でもない。合理的かつ確実性の高い人柱じゃ。それを自ら導き出したお前に覚悟を決めろというのは酷であろう。然しな、事実は複数あれど、真実は一つじゃ。よいな?」
ユウキはアツシの方を向く。目を輝かせて蕩けた表情をするアツシは、迷うことなく高射砲の前のゲートを閉じ、ユウキの前に道を作った。壮絶な熱風が肌をかすめる。青ざめた顔のユウキは、アツシに努めて笑顔で返した。
「じゃあ、行ってくる」
ユウキが一歩を踏み出す。ほぼ同時に皇帝が小さく「待て」と叫ぶ。目を潤ませたユウキがふり返ると、皇帝を腕一本で押し退けるモイラがいた。目一杯に涙を溜めながら、歪に口角を上げる。ユウキを送り出す、いつもの笑顔を作ろうとしていた。
「料理の練習もしました!ユウキ、私、待ってますから!ずっと、ずっと、信じて待ってますから!」
ユウキの瞳からどっと涙があふれる。彼はその涙を拭い、できる限り大きな一歩を踏み出した。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
三歩目は、まるで近所のコンビニに向かうように、すんなりと踏み出された。ルシウスは土塊に集中する。いつもならば一体ができるくらいの時間だったが、既に二体も新たなゴーレムが出来ていた。
肌をかすめる熱風に顔を歪ませながら、陽炎と焦土だけになった道を歩く。恐らく鉄が溶けるような温度だが、僕の体には特に異変はなかった。黒く巨大な何かが遠目に見えてくると、右の目を髪の上から摩る。毒竜の視界は真っ赤になっており、どす黒いと聞いた姿は真っ白になっていた。僕は息を潜め、タイミングを計る。毒竜には三つの顔があるため、数瞬毎に視界を変えながら様子を窺う。右の顔の右目は一同のいる方を、左の顔は尻尾の先を、中央の顔は腹を抑えながら立ち上がるロットバルト卿を、それぞれ捉えているらしかった。
違和感を覚えたのは中央の顔の視点の中で立ち上がる卿であり、明らかにいつもの真剣な表情ではない。洗脳でもされたのかと思ったが、どうやらアジ・ダハーカと対立する別人が乗り移っているようだ。恐らく悪魔だろう。ロットバルトに完全に注意が向いているアジ・ダハーカは、こちらに気付くそぶりを見せない。
僕は音を立てずに近づく。陽炎に歪む視界の中に、黒焦げになった草木のしなる様が映る。地獄の様な光景をかき分けて進むと、巨大な白い竜の姿が鮮明に浮かび上がった。
途轍もない速度で動くロットバルト卿と、それをあしらうアジ・ダハーカ。どちらも僕には気づいていない。故に、彼らに付け入るスキは十分存在した。
爪と刃が接触する次の瞬間、僕は勢い良く地面を蹴った。自分でも困惑するほどの速度に驚く。左の顔が僕に気付いて声を上げた。僕は飛び上がり、難なくアジ・ダハーカの頭上を取る。中央の頭上めがけて短刀を投じる。左の顔が殆ど反射的にそれを庇った。
(……?)
僕は砂埃を上げて着地する。卿はいつになく気軽に手を挙げて微笑んで見せた。
「やぁ少年。パイモンのお遣いかな?」
声は男性のものだった。僕は彼の背中について迫る尻尾を払う。
「まじめにやってください」
彼は肩を竦めて見もせずに鉤爪を払う。誰かは知らないが、パイモンの折り紙付きなだけはある。僕は背中を任せながら手短に情報を伝えた。彼は涼しい顔で鉤爪を払いながら、空を仰ぐ。僕は右目の対象を何度も切り替える。中央のものには感情の様なものが感じられるが、それ以外には関心事項が一つしか感じられなかった。
「やっぱり中央の顔を対処すればいいのか……?」
彼は僕を見ながらニヤリと笑う。毒ガスを魔法剣で吹き飛ばし、器用に僕をつまみ上げた。
「……君は速さに自信はあるかな?」
「別にないけど話は聞くよ」
「いいよ、じゃあちょっとやってみようか!」
彼は指笛を吹く。壊れた戦車がガタガタと音を立てて近寄ってきた。車輪は一つしかないが、速度は相当なものだ。彼はそれに飛び乗ると、僕を離して空へ消えて行った。
「そっちは宜しくね!」
「よろしくって……」
尻尾を何とかかわす。爪から牙まで、次々と苛烈な攻撃が飛んでくる。鍛えておいて本当によかった。
「おいおい、もっとひきつけてくれよ!」
「無茶言うな!」
下手をしたらルシウスよりも勝手な男だった。




