アジ・ダハーカ攻略戦1
目で見ることもできないほどの高速、それすら視認できる悪魔の力に思わず息を呑む。そしてそれを以てしても傷一つ付けられない目の前の毒竜にさらに背筋が凍る。それでも毅然としていられるのは、背中に背負ったものが余りにも大きくて実感が湧かないからなのかもしれなかった。毒竜は触れれば体中が爛れるような猛毒をさも当然のように纏い、吐き出してくる。それが背後に向かったときの恐怖と言えば、名状しがたいものがある。
「なぜ人は抗う?この世界は酷く君たちを傷つけるのではないのか?」
鋭い眼光が私を睨み付ける。戦車をゆっくりと降下させ、自分の視線をそれに合わせる。口の中を燻っている毒の息は、雨と混ざって空へと霧散する。怒りに満ちたその瞳は、諭すような言葉とは対照的だ。
「お前には願いがあるか?毒竜よ」
右の顔が口いっぱいに毒をため込む。左の顔が肥大した顔面を私の側面へ動かす。雨がゆっくりと上がり始める。曇天を引き裂く陽光がいかにも神秘的に見える。
「願い、か。私はこの世界の秩序を作り直す。新たなる神代の幕開けというわけだ。そうすれば、対立など起こらないだろうよ」
意外な反応だった。この毒竜が高尚な願いを語るようには思えず、姿勢を整える。もし、語らう事で解決するならば、それに越したことはない。
「つまり、お前は世界に何一つ作らないことを求めているというわけだな?」
毒竜の目が一瞬泳ぐ。尻尾を振るい、私の背後を包囲する。私はあくまで毅然とした態度で続ける。
「争いは資源が有限である限り、生命が有限である限り生じる。即ち、お前の願いは資源を、生命を有限から解放すること……お前にできるのは、滅ぼすことだけ、ではないか?」
毒竜は私に一斉攻撃を仕掛ける。私は毒竜の頭上に退避し、右の顔がすかさず吐いた毒をかわす。肥大した左の顔をハンマーの如く振るう毒竜は、風圧を利用して毒を私の下へと霧散させる。下方へと退避しようとすると、尻尾が車輪をせき止めた。強引に車輪を回し、尻尾から血が滴るとしても、毒竜はそれを離そうとはしなかった。左の顔面が近づいてくる。車輪の速度を速める。肉の引き千切れる音と、飛び散る血飛沫が足元に迫る。その血でさえ、当たれば命の保証はない。そう直観で理解できるほど、どす黒い体液が流れる。
「私は確かにこの世界を滅ぼそうとしているよ。人の世の理など破滅しか示さない。何も生み出さない、それこそが賢明な判断だとは思わないかね?」
「思わないな!私たち人間は破滅など求めていない!」
車輪を強引に断ち切り、バランスを崩しながらも何とかアジタ・ハーカから逃れる。吐き出された毒の息も魔法剣を器用に使って振り払った。何とか着地して方向転換をすると、悲鳴を上げた車体が地面を抉り取った。アジタ・ハーカは息を切らせた彼女を見下ろし、小さくため息を吐いた。
「あくまで心は屈せぬか。もういい、弱き者よ、精々私の暇潰しになってくれたまえ」
巨体が足を持ち上げる。わざとらしくゆっくりと照準を合わせ、車輪のねじ切れた戦車を踏み潰す。着地と同時に巨大な砂煙が起こり、戦車から外した馬に跨って何とか退避した私を吹き飛ばした。
「ぐっ……ここまでかっ!」
地面に叩きつけられた私に、無慈悲に二歩目が踏み出される。毒竜の右の首は既に私への関心を失い、新たな獲物のいる南東の方角を眺めていた。私は手綱で強引に馬の腹を打ち、引きずられながら退避を試みる。毒竜の足が目前に迫った時、視界の果てに両腕を失ったゴーレムが猛スピードで毒竜に近づくのを見た。次の瞬間、毒竜の野太い悲鳴が響き、足が一瞬浮かぶ。その隙に何とか馬が脱出に成功したが、背中に籠った猛烈な摩擦熱で、鎧越しに激痛が走る。
体を何とか起こし状況を確認すると、飛び散る雑多な骨や杯、何の変哲もない木片などがアジタ・ハーカの背中の上で踊っていた。毒竜がじたばたと足踏みをするたびに、風圧で吹き飛ばされる。馬が風除けにならなかったのは、風除けになったところで圧死するだけだと確信が出来ていたからだ。空の上から巨大な鋼鉄の球が降り注ぎ、毒竜の左の顔を引き千切る。吹き飛んだ顔はすぐに修復したが、次々とどこからともなく飛来する砲撃で別の首が吹き飛ぶ。刃の様に突き出た鱗に引っ掛かったままの雑多なものが肌に触れるたびに、毒竜はぎぃぎぃと歯ぎしりをしてのたうち回る。喜びの余り思わず女性らしい声が漏れてしまう。
「やってくれたか!」
『ちょっと伏せてね!』
指示通りに伏せる。毒竜は尻尾を振るい聖遺物を取り去ろうと足掻く。その頭上に巨大な熱線が降り注ぎ、それらは弾けて大爆発を起こす。眼前を覆う閃光に、1000度は下らない高熱を伴った暴風が吹く。人智を超えた巨大な魔力が渦巻き、畳みかけるように毒竜を焼き焦がす。続けざまに降り注ぐ砲弾はどろどろに蕩けながら降り注ぎ、毒竜の頭に纏わりつく。尻尾を振り回す毒竜は、爆音と熱線によって真っ白に焼け爛れた。
「ぉぉぉぉぉぉぉ!ベリアル貴様、これは反則だろう!」
『そっちが違反しただけだろう?転生にはルールがある。守らないから制裁を食らわせるのは当然だ』
立て続けに頭上を襲った爆音が収まると、尚も立つ毒竜に背筋が凍る。息を荒立てながら真っ白になった体を振るい、体中から黄雲をまき散らす。私はすぐさま距離を取り、何とか難を逃れた。
「ぁぁぁぁぁ……いいぞ、そこまで言うのなら!貴様のその肉体ごと踏みつぶしてやろう!戯れにいたぶるのはやめだやめ!こちらも禁じ手を使わせて頂こう!」
毒竜が身を振るうと、空に分厚い雲がかかる。どす黒いそれは雷を伴い、大雨を降らす。毒竜はせせら笑い、天を仰ぎながら自らの体を濡らす。毒竜が踏み出したので、私は距離を取った。その時、視界を歪めるほどの閃光が空を覆った。
「ぐぁぁ……!」
落雷。熱と光線が体中を這いまわり、地面へと抜けていく。よろめく私を鋭い鉤爪が貫き、蹴飛ばす。血の生臭い臭いと肉の焼ける臭いを嗅ぎながら、私の意識は遠のいていった。
 




