ハーバー博士の憂鬱
ラビンスキーはその建物の現代じみた外観に少々驚いた。無論、彼の見てきた領主の城とは比べるべくもない簡素なものであったが、現代のにおいを感じずにはいられない鼠色の外壁に、彼は懐かしさすら覚えた。強面の兵士達に連れられて建物へ入ると、外観に似合わず明るい。手動発電機を交代で回す男は兵士ではなく、痩せた農夫のようである。相当な技術開発が行われた跡は窺えるものの、所々で旧時代の産物を見たラビンスキーは、まるでフィルムの中に迷い込んだような不気味な感覚を覚えた。殺風景だが技術の贅を尽くされた質素な鼠色の建築物の中を進むと、これまた重厚で芸術性がない鉄の扉が現れる。幾つかの扉を超えたところで、案内役の兵士はノックをして入室していった。
暫くすると扉が開かれる。眼前には、頭皮のない丸眼鏡の男が座っていた。彼はラビンスキーに丁寧に頭を下げ、ラビンスキーも又頭を下げた。
「ラビンスキーと申します。本日は宜しくお願い申し上げます」
「ラビンスキー殿、お待ちしておりました。私は、ハーバーと申します。さ、どうぞお掛けください」
ラビンスキーが下座へかけると、絶妙なタイミングで白湯が運ばれる。お茶やワインではないのは、財源の問題なのか、その程度の人間と把握されているのか、そこまでは判然としなかった。ラビンスキーは呆然と室内を見回す。殺風景。その一言がよく似合う部屋だった。四方と後方には案内をした兵士がおり、歓迎はされていないとわかる。ハーバーの咳払いに我に返り、ラビンスキーは頭を下げた。
「失礼いたしました」
「いえいえ、こちらでは珍しい技術のようですな……」
(こちらでは……?)
ラビンスキーは身構える。名前と言い、表現と言い、ユウキの言葉を思い起こさせる。ハーバー博士は少し白湯を冷まして啜る。言葉を選びながら、沈み切った声で続ける。
「……ラビンスキー殿、休戦の提案、我々としても前向きに検討したいと考えています」
「はい、有難うございます」
博士は眼鏡を外すと、そのまま見上げるようにラビンスキーを見た。連れ込んだゴーレムがラビンスキーに少し近づく。ラビンスキーは背筋を伸ばした。
「そこでですな。お互い希望の条件などあるかと思うのですね。ラビンスキー様としては、どのようにお考えでしょうか?」
博士は口角を上げる。ラビンスキーは肩の力が抜けないまま、引きつった笑みで返した。
「私は、両国の理解を深めるために、兵士たちが自由に交流できるようにしたいと考えているのです」
勿論、ラビンスキーは平和的で円満な解決の為に、この様な条件を出しているわけではない。プロアニアが傲岸な王の下で、世界帝国を作ろうとするのであれば、その力の源は間違いなく技術力だ。中世の休戦スタイルと同様、交流のある休戦というのは、技術や文化的交流の前線となる。プロアニアの技術を奪うことによる、自軍もとい自国のメリットは計り知れない。
とはいえ、リスクは決して小さくない。交流という言葉から察せられる様に、相手にも技術移転が起こるということだ。しかしそれは、実際には、プロアニアが再現するには非常に困難なものだ。重装歩兵と魔術師を主戦力とするムスコールブルク、騎馬と「秘跡」による魔術を主戦力とするエストーラ・ハングリア両国の戦術は、資源不足と魔術不能が殆どというプロアニアのハンディキャップ故に、困難を強いられることになる。まして、機関銃、火砲などと言う時代錯誤と言って差し支えない技術を持つ彼らにとって、旧時代の産物を開けた領土で迎え撃つなどさしたる苦労もないだろう。「ダグザの大釜」さえ守り抜けば、こちらの方がメリットが大きい。
「無論、無論。休戦とあらば産業も物資も交流することになりましょう。私が古典の大魔術ゴーレムの量産をする非凡な技術に関心がないはずがありません」
ラビンスキーはやっと肩の荷が下りた様な気がした。ラビンスキーの安堵の表情にハーバー博士の顔も綻ぶ。殺風景な部屋に、暖かい日が差し込んできた。博士は白熱電球の光に目を瞬かせながら、ラビンスキーの言葉を待つ。ラビンスキーは折り目正しく頭を下げた。
「有難うございます。それで、ハーバー博士のご希望は?」
博士は少し俯いて目を閉ざす。頭髪のない頭が光を反射し、顔の彫りが強調される。兵士達が姿勢を直した。
「そうだね、君の命が欲しいだろうか」
カチカチと言う銃器の音、ラビンスキーは咄嗟に振り返る。高らかな銃声がラビンスキーの背後から響いた。ラビンスキーの頭部に正しく照準を合わせた旧式の銃は、静かに煙を立てている。ラビンスキーは目を見開いて背後から漂う火薬の匂いに体を強張らせる。弾丸はゴーレムの腕に阻まれ、土の腕に食い込んでいた。
博士は澄ました顔で周囲の兵士に向けて手を挙げる。無機質な部屋に無機質な銃を構える音が響く。
「やはりゴーレムというものは厄介だ……私も魔法の勉強をするべきだろうか?」
「ハーバー博士!一体何のつもりですか!」
博士は心底心苦しそうに伏し目がちになり、ゴーレムが覆い被さるラビンスキーに向けて沈んだ声で答えた。
「吐き気がする……。吐き気がする程の嫌悪感だ。ラビンスキー君、信じ、愛したものに裏切られたことはあるかな?」
ゴーレムは押し黙ったまま微動だにしない。博士が手を下ろすと、兵士たちは一斉に銃を放った。光の通らない中、ラビンスキーは轟音と砂塵に見舞われる。ゴーレムはなお黙ってラビンスキーに覆い被さっていた。
「……ハーバー博士、貴方のお気持ちお察し致します。でも、それならばなぜプロアニアに協力するのですか?この状況はあの時によく似ているではないですか」
博士は乾いた笑い声を上げる。兵士が弾丸を装填したのを確認し、再び手を挙げた。銃口は先程の弾丸が埋まった辺り、脆くなった土がパラパラと落ちる。
「あの時と似てはいるが、残念ながら余りにも違うね。我が祖国とは何もかもが違う」
「貴方は天才的な頭脳を、間違った方法に使っている!」
ラビンスキーが叫ぶと、ゴーレムは破片を撒き散らす。火薬の匂いだけでなく、貫通した弾丸がラビンスキーの眼前まで迫っている。ゴーレムは音を立てて崩れる自分の肉体を気遣うでもなく、静かに、自らの崩壊するのを眺めている。
「王は私を含め、死体と死者の魂を繋げることができる……。ネクロマンスというべきものかな。私の意思とは関わりなく、私は君を殺す。王は私と同じ様に君を使役することだろう。さぁ、次あたりで君の脳天を貫けるのではないかな?」
銃口を向ける音。手を挙げた博士は慈愛に満ちた微笑を浮かべる。ラビンスキーは小さなひびが無数にできたゴーレムの中に隠れながら、震える手を抑える。
「貴方が殺すのは、私ではありません。貴方自身の心だ」
力強く叫ぼうとして、声が裏返る。
「何?」
博士は怪訝そうに眉をひそめる。ラビンスキーは耳に残る銃声と猛烈な砂塵の衝撃に息を荒げ、縮こまりながらも、博士のいるあたりをまっすぐに見据える。
「貴方が本当に使役されているというのならば、貴方は一切無表情で私を撃ち殺すべきでした。然し、貴方は私を憂う様に撃ちました。それは、貴方の中に貴方の片鱗が残っているからだ」
「……仮にそうであれば、どれほど良かったであろうか。私は君を憂うよ、ラビンスキー君。途轍もなく、吐き気がする……」
博士は最後の手を振るう。さながら銃殺刑の如く、一斉に、無慈悲に、弾丸が放たれる。ラビンスキーは覚悟を決め、娘の顔を思い浮かべながら、目を瞑った。
銃口から煙が立つ。部屋を充満するそれに、博士はむせ返った。ラビンスキーが目を開くと、眼前には見覚えのある燕尾服がある。ゴーレムは崩れかけのままその背後に包まり、小さな穴越しに、目を見張るほどの数の死骸が蠢いている。
「……ほう。悪魔か」
「ビフロンス、どうしてここに……?」
ゴーレムが体を起こす。ラビンスキーを囲んでいた兵士達が死骸に埋め尽くされ、兵器を巻き上げられている。逃げ道もないまま、腐乱した死体が起き上がる様にただただ狼狽えていた。パニックを起こした兵士が何度も発砲する。それでも、意思も命も持たない死骸は肉を吹き飛ばされながら、呻き声を上げて前進する。
「貴方はもう少し情報に気を遣った方がいい。私には余りにも筒抜けでしたよ」
「悪魔よ、少し語ろうではないか。君には関心がある」
「……ハーバー博士。非常に残念ですが、貴方は輪廻の外に戻るべきでしょう」
死体の一人が博士にに近づく。博士は静かに目を閉ざし、囁く様に言った。
「……それは構わないがね」
発砲により途轍もない熱量となった室内には、腐乱した肉塊と赤黒い血飛沫に塗れている。無力化された兵士達が死体から逃れようと部屋から逃げ出そうとドアノブを回す。扉は外側から鍵が掛けられ、開けることがかなわなかった。博士は微動だにせず、死体が迫るのを座したまま待つ。死体は机にどろどろに腐食した血を滴らせながら、博士の眼前で突然停止した。
「……?まさか……」
「王より賜ったダイアロスの槌の破片……本物のようだね。やはり悪魔は、聖なるものには触れられぬという事だ」
博士は胸元から小型で黒く輝く拳銃を取り出す。ゴーレムがラビンスキーの前に立ちはだかる。博士はニヒルに微笑した。
「ゴーレムはやはりいい。屈強で、裏切らない。しかし、いくら頑丈と言えど、内部の法陣に傷をつけてしまえば、それまでだ。……私は君を憐れむよ。真面目だけが取り柄の官僚に作られた土塊には、ファジーさが足りない」
博士は安全装置を外す。死体は呆然としたまま博士の前にとどまることしかできない。ビフロンスの額に汗がたまる。ラビンスキーは土塊にしがみつきながら、追い詰められた小鹿の様に足を震わせる。ゴーレムだけが整然と立ちはだかっていた。
「終わりだね」
「終わらない!」
ラビンスキーはゴーレムの背中を押す。全身の指示だった。博士は冷静に発砲したが、死体がそれを阻んだ。吹き飛んだ死体を払い、ゴーレムは前進する。
「確かに、ルシウス先生のそれと比べて、AIの様な予測判断は苦手だし、ゴーレムとしての質もよくはありません。しかし、一切の捻りなく、従順に指示に従ってくれるんです」
ラビンスキーのゴーレムに出せる指示は前進、旋回、後退、主人の守護、積載、開放、その程度だった。それは単調作業を繰り返すゴーレムを参考に作られた、ゴーレムの限界だ。しかし、それしかできないという事は、敵味方問わず前方の人間を轢き殺すことも、厭わないという事だ。
博士の発砲は死体に阻まれる。とうとうゴーレムの前進にじりじりと壁際まで追いつめられると、空になった銃を離し、両手を挙げる。ラビンスキーはゴーレムの動きを止めた。
「王は……目覚めたばかりの私に、死ねと、そう言ったのだ」
「どういうことですか?」
「そのままの意味だよ。然しね、寛容な時もあった。相反する指示を何度も受けたよ。まるで人が変わったようにね。まるで祖国のようだ。忌々しい、嵐でも吹いて吹き飛んでしまえば良いものを」
天井からガスの噴き出す音が聞こえる。ラビンスキーは瞬時に、それが何なのか理解した。死体に迫られて扉に追い詰められた兵士達は、大きな悲鳴を上げて鉄の扉を叩く。「出してくれ」、「助けてくれ」、喚きながら必死にドアを叩く。
「あぁ、私も見切りを付けられたか。……もとより王は、自国の領土を拡大することも、求めていないようだ。あれは文字通り、災厄をまき散らす魔物であろう」
「死にたくなければ退きなさい!圧で押し切ります!」
ビフロンスは死体を使って兵士を押し退け、部屋を埋め尽くさんばかりに、死体を呼び出して突進させた。ゾンビ映画の様な景観に、思わず吐き気を催す。扉はギシギシと音を上げながら、徐々に歪んでいく。兵士の一人がひゅうひゅうと息を立て、自分の首をひっかき始めた。
「そうだね、諸君。せいぜい足掻くと良い。私は一向にかまわないからね」
蝶番がはち切れ、鉄の扉がグラグラと倒れる。死体が雪崩のように部屋からあふれ出すと、それに倣って兵士達が飛び出した。ラビンスキーは博士に手を差し出す。
「はやく!」
博士は薄ら笑いを浮かべながら、ラビンスキーに銃口を向けた。死体が強引にラビンスキーを部屋から押し出した。嵐の過ぎ去ったような荒れ果てた部屋に、ガスが充満している。博士は弱々しい声で、ポツリと呟いた。
「皮肉なものだ、クララ。私の発明は君を奪い、同志を奪い、最後には自身さえも奪うのだな……。今にして思えば……」
ラビンスキーがふり返ると、歪んだ鉄扉がフラフラと揺れている。大きく開いた隙間から、ガスが溢れ出していた。




