世界の端から9
重装騎兵たちや様々な家畜動物に跨った小柄なコボルトの軽装騎兵たち、逞しい弓兵たちに紛れて、僕は死臭のする街を行進した。歩幅の大きい大人たちに置いて行かれないように、速足で進む。町の隅に積み上げられた死体の虚ろな目や、飛び交う蠅を払う薬屋の主人などが、双頭鷲の軍旗が靡くのを不安そうに見つめている。
これから、戦争が始まる。その不安にざわつくほど町に人はなく、皆家から出てこない。それでも、大通りが見える家主たちにとって、この光景は余りにも絶望的に映るだろう。
僕はいつもの軽装の下にレギンスを穿き、胸当てを着込んでいた。混戦になった場合の事を考え、生存確率や泥の跳ね返り等による被害を減らすために、いつもよりも若干耐久性のある装備を整えていたのだ。
覚悟はしていたが、やはりこうして軍団に参加すると、緊張感が一気に増す。戦線への移動でさえ、誰一人として他人をおもんばかる余裕がなかった。城壁が迫る毎に圧迫感を感じ、肺が押さえつけられるような恐怖に見舞われる。
「ユウキ!」
振り返ると、死屍累々が端に寄せられた大通りの中央に、モイラが立っていた。僕は思わず彼女の名前を呼び、兵士たちの群れに逆らって駆け寄る。息を切らせた彼女は、息を切らせたまま僕に抱き着いた。僕は黙って彼女を抱き返す。決意を固めたつもりでいたが、簡単に揺らいでしまった。
「モイラ……。ごめん。僕は……」
彼女は僕を強く抱きしめたと思うと、その手をほどく。僕は彼女に手を回したまま、彼女と目を合わせる。彼女はその大きな瞳には不安な表情を残したままその大きな瞳には不安な表情を残したままで、悟ったような、呆れたような笑顔をしていた。
「わかっています。貴方はそういう人です」
ゆっくりと顔を上げる。軍団はどんどん遠ざかっていく。ずっとこうしていたい、と感じたことのない我儘な気持ちがこみ上げてくる。あのまま彼らが行って仕舞えば、僕はずっとモイラといられるのだろうし、誰もそれを咎めないだろう。
瘴気が漂うような、霧のような死臭がロマンチックな雰囲気を台無しにする。現実に引き戻そうとするのは、黒斑の犠牲者たちの容赦と感情のない瞳、そしてそれを無慈悲に回収する死体回収車の姿だった。
「僕は、君となるべく長く一緒にいたいんだ。この戦いは、僕たちの何かを引き裂こうとしているんだと思う。それを断れない自分が、情けないし、悔しい」
僕は率直な告白をする。自分がいかに取るに足りない人間であるかも、この町に住むネズミに寄生する病原体のような惨めな人間であることも分かっていた。それでも、モイラは僕を認めてくれた。見捨てないでいてくれた。それが本当に嬉しかった。だから離れるのは怖い。それでも、僕の華奢な体には、強い濁流に逆らえるほどの力ははない。全身で彼女に迫る巨大な津波を防ぎ切るなど、僕にはできなかった。
「情けない!……でもね、ユウキは強い人です。抗うことだけが強さじゃないことは、私も良く分かっているから」
モイラはスカートの裾を強く握っていた。彼女に負担をかけてしまうことに負い目を感じ、胸が締め付けられる。僕は強く、強く息を吸い込んで、言葉を吐き出した。
「……僕が行くのは、世界の為でも、国の為でも、君の為ですらない。僕は僕の居場所を失いたくなくて、戦場に赴くんだ」
こっちに来てから、失いたくないものがあまりにも増えすぎた。もしもプロアニアの要求を受け入れたら、それは失われてしまうだろう。国家を全部明渡せなどという要求をする国が、まともなわけがない。
「ねぇ、ユウキ。約束してください。必ず、生きて帰ってくるって。そう、約束してください」
モイラは囁くように小さな声で、然し訴えるように力強く言った。僕は見ていられなくなって、唯一開店している薬屋を見た。
「僕は、守れもしない約束をできる男じゃない……。だから、待っていてほしい」
「だったら、美味しいもの用意して、待っています。ユウキの事を「信じています」から」
僕は溢れそうな涙を堪え、黙って彼女を抱き寄せた。彼女はされるがままにそれに応え、僕を抱き返す。大軍の先頭が門に差し掛かる頃に、僕は静かに手を緩め、なるべくモイラを見ないように踵を返す。
普段とは少しだけ違う自分の靴の音を聞きながら、少しずつ歩く速度を速める。誰かの啜り哭く声が聞こえる。僕は振り返らなかった。振り返れば、もう行きたくなくなってしまうだろうから。




