帝国の寝帽子1
城塞と呼ぶに相応しい、飾り気のない城に入城すると、既に本殿へ通るまでにムスコールブルクとは様々な違いが見られた。
まず警備兵の数が尋常ではない。狭間から常に監視されているような緊張感があり、四方の監視塔や城壁の上、ひいては庭園に至るまで、至る所に警備兵がいる。教会の扉も鉄製ならば、城門の扉は鉄製が二重になっている。
玄関口には殺人孔があり、天井は低く黴臭い。壁に掛けられた絵画も数点あるが、ムスコールブルクのそれと比較しても、やはり古臭いものであった。蝋燭一本を頼りに明かりのない道を導かれた一行は、皇帝の玉座へとたどり着く。導かれるままに玉座の前に跪く一行は、謁見の間で待機する兵士たちの数に思わず肝を冷やした。それでも、努めて冷静に対処するロットバルトに倣い、ラビンスキーは玉座の前に跪く。先刻とは打って変わって玉座の皇帝は威厳に満ちていた。
「面を上げよ」
一同が顔を上げたことを確認すると、皇帝は右手に控えさせた宰相の手から、ムスコールブルクから届けられた親書を受け取る。
「……それで、どれがロットバルトなのだ?」
小声で訊ねた皇帝に対し、宰相が耳打ちをする。ラビンスキーは皇帝からの冷ややかな視線を受け、俄かに緊張する。そもそも、この皇帝がどのような人間なのか、ラビンスキーはまだ掴みかねていた。
「ロットバルト卿よ、余は感動している。貴方にはこの黄金城に是非とも来ていただきたかったのだよ。貴方と我が息子が結ばれれば、などと本気で考えていたのでね」
「……!?」
ロットバルトの表情が険しくなる。シモノフは何事かとロットバルトに視線を送る。皇帝は明らかに狼狽える彼女の姿を見て鼻で嗤う。
「何、初歩的な思考実験だよ。イワン卿には娘がいた。その娘の話が、ある時を境にめっきり聞かなくなった。王の暗殺事件の頃だったかね?代わりにロットバルトなる人物がムスコールブルクの政治の表舞台に姿を現し始める。息子であるルシウス卿がいるにもかかわらず、何故イワン卿は後継をその「男」に選んだのか。答えは簡単だ、その「男」がイワン卿の血を引いているからだ。即ち、不自然に消えたライサ嬢ではないか、という仮説が容易に予測できるというわけだ」
「何という深淵な思考……。しかし、私は暦とした男で御座います。ライサ嬢は豊満な乳房を持っておりましたが、私はこの通りで御座います」
ロットバルトが胸を強調するように姿勢を正す。皇帝はそれを見定めるように見下ろし、顎を摩る。
「まぁ、いいでしょう。いずれ明らかになることだ。……さて、親書を頂き、拝読させていただいたがね、実に興味深い。分割案はどのように望まれるか?」
皇帝は肘掛けに肘を立て、リラックスした姿勢を作る。足を組み、ゆっくりと貧乏ゆすりをする。
「身に余るお言葉。……私としましては、ビスタ・ナレフ両川に沿って三分割するのがよいかと」
皇帝は宰相に耳打ちをを授かると、口の中で下を動かしながら、天井に視線を逸らす。昼だというのに薄ら暗い城内では、天井の様子は正確に把握することが難しい。
「……北部をムスコール大公国が、西部をプロアニアが、南部をエストーラが頂く。それでよろしいかな?」
釘を刺すように確認するのは、あくまで利権を強調することが目的だからだろう。領土としては三国ともほとんど同等の利益を得ることができる。但し、プロアニアがこのままその利権を失うであろうことは、皇帝の物言いで十分理解できた。
「ブリュージュとの結婚は認めていただけるという事のようだが、余としては些か物足りない気がしてならぬのだが?」
「当然、いざという時の軍事的協力はさせていただきます」
「……それはそれは。大いに結構なことだ。やはり一兵卒の魂というものは如何なる金玉よりも尊いであろう。こちらも真摯に答えねばなるまい」
皇帝は兵士たちに指示を出す。召使らがどんどんやってきて、シモノフ、ロットバルトの前に光沢を湛えた武具の数々が並べられた。ロットバルトの口から思わず感嘆とした声が漏れる。その流麗な美しさたるや、さながらなめした良質の皮のようだ。
「君たちの兵士が何人かはわかりかねるが、ある程度ご容赦頂きたい」
「いえ、これは……!エストーラの武具の開発技術は相当に高いと聞いておりましたが、ここまでとは……!」
「私は、ムスコールブルクの申し出を受け入れようと思う。ペンの用意を」
皇帝は右の手を差し出す。すかさず召使がペンを受け取り、素早く署名を書いた。
「それでは、早速だがね、プロアニアについては晩餐にて語り合おうと考えている」
「はい、そのように」
ロットバルト卿が答える。いよいよ内陸地域を巡る激しい争いが現実化してきたため、ラビンスキーは祈るように手を合わせた。




